終章 エピローグ4 遺された者たち
「生きている間に……報告出来たら良かったのだがな」
「……そうですね」
氷雨の言葉に彩芽は頷く。
二人の前にあるのは墓石。
そこに眠るのは、彩芽の家族だ。
「結局……お前の母には勝てずじまいだったな」
「……はい?」
「――気にするな。独り言だ」
ぼそりと呟いた氷雨。
彩芽が聞き返すと、彼女は気まずそうに顔を逸らした。
「もうALICEに救世主としての意味合いはない」
氷雨はそう切り出す。
この世界は救われた。
もう《ファージ》が現れることはないだろう。
だからALICEが戦うべき相手はもういない。
敵がいなければ、救世主の出番はない。
「ゆえに、これからは多少だが自由を確保してやれるだろう」
性質上、ALICEの生活は束縛が多い。
まず町を出ることが許されない。
箱庭は《ファージ》の出現分布を解析し、もっとも効率の良い場所に位置していた。
だからこそ拠点を大きく離れることは許されない。
いつ《ファージ》が現れるか分からないのだから。
「とはいえALICEのメンバーの身分は基本的にグレーな手段で用意されたものだ。不便をかけてすまないな」
「いえ、本来のわたしたちはすでに死んでいる人間ですから。多少の不具合は仕方ないと分かっています」
彩芽は首を振る。
元より、彼女は20年前に死亡した身である。
すでに死亡届は提出されている。
そのため現在の彩芽には20年分のカバーストーリーが用意されている。
今の彩芽へとつながる、存在しない彩芽の歴史が用意されている。
身辺整理処置を受けていない彩芽でさえそうなのだ。
身辺整理処置を受けたALICEにおいては、彩芽よりも空白だらけの経歴となる。
そんな彼女たちに清廉潔白の身分など保証できまい。
どういう手段を取ったのかは知らないが、彩芽たちが問題なく生活できるのは氷雨たちが尽力してくれていたからなのだ。
「役目を終えても、私たちはお前たちに完全な自由を確保してやることはできない。だからこそお前たちが望む限り、箱庭はALICEの居場所であり続けると誓おう」
ALICEの体は人間とは違う。
しかも歴史は浅く、個体数も少ない。
普通の病院には通えず、いつ不具合が起こるかもわからない生物だ。
そのため今後も箱庭を離れることはできないとあらかじめ伝えられていた。
彩芽たちも反対するつもりはなかった。
それでも、氷雨から見るとALICEを縛りつけているかのような気分になるのかもしれない。
そのことを後ろめたく思っているのだろうか。
「……ありがとうございます」
それでも彩芽は礼を伝えた。
帰る場所がある。
それはきっと、とても幸せなことなのだから。
「生天目」
「はい」
「他にも不都合があれば、いつでも頼って構わない。もちろん公私に関わらずな」
氷雨は彩芽を見ない。
彼女の視線は墓石へと向いている。
彩芽から見える横顔は真剣で、氷雨の言葉に偽りがないことは明白だった。
「……うふふ」
そんな彼女を見ていると、彩芽の口から自然に笑みが漏れた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと、みんなを頼ることができますから」
――こう見えて、お父様よりも少し器用なんですよ?
そう彩芽は語る。
彼女は仲間を、友達を信じている。
一人で暴走したりしない。
助けを求められるくらいの器用さはある。
「…………私を頼れと言ったのだがな」
「?」
だから心配いらない。
そう言いたかったのだが、氷雨はどこか不満げだった。
「結局、私だけおいてきぼりにされてしまいましたね」
ふと彩芽は息を吐く。
見上げれば、広がるのは青空。
憂いない空が、世界を照らしていた。
「生天目――」
「私はこれから――」
この世界にはもう彩芽の家族はいない。
最後の家族でさえ、滅びゆく世界をめぐる戦いの中で散っていった。
ならば――
「頑張って思い出をたくさん作らないといけませんね」
――彩芽は生きなければならない。
「これからの世界のことを、みんなに話さないといけないから」
無論、嫌々生きてゆくつもりはない。
生き残ったことを嘆いたりしない。
家族には、楽しい話をしたいから。
「10年や20年では足りなさそうですね」
人はいつか死ぬ。
ならば、せめて大量の土産話とともに。
彩芽は青空に手を伸ばした。
「お父様の家族を思う心がつないだ世界を、私は生きていく」
それは、遺された者たちにしかできないことだから。
好きな人の娘に頼りにしてもらいたい氷雨。
それでは次回は『元・高架下の姫』です。