1章 20話 夕焼けのステージ
「お――」
夕焼けに染まる帰り道。
その途中で天は面白いものを見つけた。
――公園だ。
最近となっては数も減ってしまった公園。
だが時間帯のせいか、そこに子供はいない。
(いや――)
天は足を止めた。
誰もいないように見えた公園には一人の少女がいたからだ。
年齢としては小学生くらいだろう。
彼女はブランコの上にただ座っていた。
それだけならきっと天は立ち止まらなかっただろう。
だけど少女の表情が、天をその場にとどまらせた。
「どーしたんだ?」
気が付くと、天は少女に声をかけていた。
少女は顔を上げる。
そこに浮かんでいたのは笑顔だった。
――しかし、さっき天が見たのは沈んだ表情だった。
その表情が一瞬で変わった。
誰かに見られていると理解した瞬間に。
(この表情……)
違和感がない。
それこそが違和感。
相手に気付かせないほど、仮面をつけることに慣れてしまったということなのだから。
(なんだかな……)
天は頭を掻く。
彼女の表情には既視感があったからだ。
天宮天は前世では普通の人間だった。
だが、普通ではなかった。
《象牙色の悪魔》という常識外れの能力を持って生まれてきた。
それが普通ではないと知ってから、彼は演じ続けてきた。
普通であるために。
そんな自分だからこそ、彼女に対してシンパシーのような感情を覚えた。
同じような人種だからこそ、彼女の仮面の向こう側さえも少しだけ見えた。
(とはいえ、こういうのは踏み込まないのが優しさなんだろうな)
しょせん天宮天は他人だ。
土足で踏み入ることは優しさではない。
優しさに見せかけた偽善は、かえって人を傷つける。
それが痛いほど分かってしまうから、天は見過ごそうと決めた。
もしも彼女と自分が近しい間柄だったら。
そんな想像に意味などないと切り捨てて。
(…………!)
その時、天の中でフラッシュバックした。
降り落ちる鉄骨。
そして、自分が助けた親子の安心した表情。
――その時の、自分の内側で湧き上がった気持ちが。
(このまま見過ごしたんじゃ、前世と変わらないか)
器用ぶって生き方を決めていた前世と変わらない。
「なあ」
「なぁに? お姉ちゃん」
天が声をかけると、少女はそう言った。
「名前はなんていうんだ?」
「――莉子」
「…………名字は?」
「……ない」
少女は首を横に振った。
名字がない。
天の中でいくつかの理由が浮かぶ。
たとえば――彼女に身寄りがない可能性。
どこかの施設で育てられているのなら、名乗るべき名字がないことにも納得がいく。
とはいえそれを指摘するつもりはない。
結局のところ、前世でも今世でも天宮天はカウンセラーではない。
だが今世の彼女は――アイドルだった。
「じゃあ莉子。頼みがあるんだけどさ」
「俺の歌、聞いてくれないか?」
☆
夕焼けに染まるステージ。
足場は砂で滑りやすく、お世辞にも恵まれた場所ではない。
だがそれでも、ここでないと意味がなかった。
今ここで歌い、踊る。
たった一人の少女のために。
――きっと未熟なパフォーマンスだっただろう。
だが一生懸命だった。
たった一曲を踊る間に汗の粒が飛んでしまうほどに。
(こんなに全力だったことって、前世にあったかな)
いや。きっとなかっただろう。
なんでも教えてくれる悪魔を宿して、なんでも知っているつもりになっていたから。
なんでも知っていると思いあがって、目立たぬよう周りに合わせようなどと考えていた。
見ているのは横ばかり。
正面を、自分の限界を見つめて努力したことなどなかった。
(これは俺のアイドルとしての――初めてだ)
初めて、誰かのために見せるアイドルとしての姿。
それは大勢の観客の前ではなく、目の前にいる女の子のために。
「――――――――――――っと」
歌が終わった。
天の動きも止まり、静寂だけがこの場を支配する。
歌声が響いていた空間からの急転のせいか耳鳴りさえするくらい静かだ。
パチパチ……。
そんな世界に音がよみがえる。
それは莉子が拍手をした音だった。
「お姉さん凄かったよ……! もしかしてアイドルなの……!?」
興奮をにじませた莉子の声。
きっとそれは仮面の感情などではなかった。
(アイドル――)
天宮天はALICEだ。
世界の裏側で世界を守り、表側ではアイドルとして活動するのだろう。
だが――
「俺は……」
良いのか?
アイドルだと名乗ってしまって。
それは嘘にならないのか?
口にした言葉を嘘にしないだけの覚悟があるのか?
脳内で渦巻く葛藤。
それは数瞬のことだった。
「…………アイドルの卵……みたいな奴だ」
アイドルだなどと無責任なことも言えない。
嘘にしてしまうかもしれない言葉を、彼女に向けたくなかった。
だけど、完全に否定することもできなかった。
アイドルとして生きる未来への躊躇いが消せない。
そんな天が口にしたのは、曖昧な言葉だった。
だからこそだろう――
「お姉ちゃんがアイドルの卵なら――私がファン一号だね」
――彼女の言葉が胸に響いたのは。
初めて天が自発的にアイドルとしての行動をする回となりました。
それでは次回は『定期戦闘訓練』です。
前回は声のみだった妃氷雨の正式な登場回です。