終章 38話 紅蓮
クルーエルが横から天の大剣を叩く。
斬撃がゆがみ、クルーエルに攻撃は届かない。
現在、彼女は手に影を持っていない。
さっきまで攻撃に使っていた影さえも体に纏い、防御を固めている。
そして天の攻撃は受け流すことで対応。
「ッ――!」
クルーエルが後方へと跳ぶ。
隙があれば距離を取る。
それは逃げの戦法。
だが、勝利のための積極的逃亡だ。
「っ……!」
天の左目から血涙が流れた。
演算能力の限界が近づき始めているのだ。
――時間稼ぎ。
それこそが、クルーエルが見出した勝利への最適解。
演算の限界が近づけば、読み逃がしが増える。
それは実質、攻撃力の低下といっていい。
なのに制限時間が迫ってくる。
押し切る攻撃力が低下し、時間をかけてしまえばタイムリミットで敗北。
一見すると天が一方的に押しているように見える状況。
しかし戦場はクルーエル優位へと傾きつつあった。
おそらく、天が戦えるのはあと1分。
クルーエルがすべての攻撃をさばけるか。
天の攻撃が彼女の守りを貫けるか。
勝負はその一点にかかっている。
(――――演算しろ)
天は脳の限界を突破する。
(求める解は『勝利』)
悪魔が無数の数式を駆使する。
制限時間は1分。
それをどう使うか。
時間すべてを費やし、クルーエルの防御を剥ぎ取るか。
あえて制限時間を縮めてでも、より強い突貫力を求めるか。
あらゆる考え方から、より合理的なものを選び取ってゆく。
そして――解を得た。
(こいつが――最後の一手だ)
次の攻防ですべてを決める。
クルーエルとの距離は50メートル。
中遠距離と呼ぶべき間合い。
近距離攻撃しかない天は、その間合いを潰さねばならない。
天は腰を落とす。
そして強く地面を踏みしめ――蹴った。
鳴ったのは二つの音。
地面が弾け、吹き飛ぶ音。
そして、限界を超えた足が壊れる音。
骨に亀裂が入り、筋肉が裂ける。
限界以上の出力を発揮した脚。
それはこの攻撃の後のことは考えないという決意。
天は弾丸のようにクルーエルへと跳ぶ。
「ッ――させるかっ!」
クルーエルが消滅の影を振るう。
天のスピードから方向転換が難しいという判断。
彼女の接近に合わせ、クルーエルは斬撃を置く。
そのタイミングは完璧。
クルーエルの間合いに入ると同時に、天の体は真っ二つとなることだろう。
だが――
「ッ!」
天は地面に大剣を突き立てる。
急ブレーキ。
それも武器を使って。
スピードと攻撃手段。
二つを同時に捨て去る悪手。
本来なら判断ミス以外の何物でもない。
焦燥から無理な攻勢に出て、失敗した。
そう見えるだろう。
しかし――
「っ……!」
急減速によりタイミングをずらした天。
消滅の影が彼女の鼻先を掠める。
だがこのままでは意味がない。
間合いを保たれ、時間制限が来る。
敗北は避けられない。
(もう――未来を見る必要はない)
ゆえに天は――演算を打ち切った。
未来予測を捨てる。
同時に《青灰色の女神》で脳を修復し続ける必要がなくなった。
だから――さっき折れた両足を一瞬で治す。
多少脆くてもいい。
どうせ、また壊す。
「はぁぁぁッ!」
天は蹴った。
――地面に突き立てていた大剣を。
大剣はブレーキのためだけに地面に刺したのではない。
彼女が二段階目の加速をするための足場でもある。
クルーエルの斬撃をやりすごし、天は大剣を蹴りつけて再加速。
二人の間合いが消えた。
距離にして2メートル。
最後の交錯が始まった。
☆
(――絞り出せ)
クルーエルは己を鼓舞する。
右手による斬撃は躱された。
こちらは間に合わない。
左手には――影がない。
影は出し尽くした。
身を護る影さえも捻出しきった。
だが――ここなのだ。
ここが、勝負の瞬間なのだ。
ここで限界を超えたのなら、クルーエルの勝ちだ。
(限界を……越えろッ!)
振り抜いた左手。
消滅の影を持たない一撃。
それで天を止めることはできない。
彼女なら、ダメージを受けながらでもクルーエルの命を刈り取るだろう。
ゆえに素手では駄目だ。
己の権能が。消滅の影が必要だ。
その時、クルーエルの左手。その指先が揺れた。
彼女の爪が黒く染まってゆく。
彼女の影は、彼女の体を補完し、治療する。
であれば逆は?
彼女の爪が、消滅の影へと姿を変えてゆく。
極限状態の中、クルーエルは己の限界を超えた。
「天宮天ッ!」「クルーエルッ!」
二人の間合いは2メートル。
もう、逃げ場はない。
クルーエルの左手から消滅の影が伸びる。
彼女が絞り出した最後の力は天の顔面に迫る。
そして――
「っ……!」
(外れた――……!)
天の姿が消えた。
身を低くし、地面を這うようにして影の下に潜り込んだのだ。
それでもクルーエルの影が掠めていたのか、天の髪を留めていた紐が断たれる。
ふわりと広がる赤髪。
紅蓮の髪が、天の背後で舞い広がった。
それは炎に似ている。
連綿と紡がれ、託されてきた希望の炎だ。
その姿には神々しささえ感じられる。
(ああ――なるほど)
クルーエルの口元に自然と笑みが浮かぶ。
悟った。
(やはり私は、お前に負けるのだな)
天が迫る。
すべてを出し尽くし、彼女は迫る。
その姿は美しい。
人々の希望を背負い、彼女は今――踏破した。
困難が敷き詰められた、険しい道を。
その姿が美しくないのなら、何が美しいというのか。
倒されることさえ悔しいと思えない。
彼女の全力の矛先が自分であることが、むしろ光栄だと思える。
(――赦す)
(お前の輝きは、私の影を消し去るに値するッ……!)
ゆえにクルーエルは――受け入れない。
美しさはいらない。その威風は天宮天にこそふさわしい。
潔さはいらない。その美徳は天宮天にこそふさわしい。
勝利さえいらない。その栄光は天宮天にこそふさわしい。
ならば醜くてもいい。
ならば生き汚くてもいい。
ならば勝利しなくてもいい。
最後まで抗い、世界に祝福された希望を穢そう。
それが世界に悪とされた、クルーエルにできる贈り物だ。
世界を背負い、世界を救う少女。
彼女に贈る、悪だからこその生き様。
「「――――」」
クルーエルの手が天の首に迫る。
しかし天はそれを躱す。
そして――彼女の手刀がクルーエルを貫いた。
「これで終わりだ……クルーエル」
互いが互いを支え合うようにして立つ二人。
体を寄せ合う姿はまるで、抱き合っているかのようだった。
あと2話くらいでエピローグになると思います。
それでは次回は『終わらせ方は己自身で』です。