終章 34話 理不尽がはびこるこの世界で
「――――!」
視界が開けた。
気が付くと天は見慣れた場所にいた。
ハイウェイ――最初に助広と戦い始めた場所だ。
「戻った……のか?」
天は周囲を見回す。
道路には助広とクルーエルが倒れていた。
クルーエルは外傷なく。
助広は――首から血を流して。
彼の体に刻まれた傷を見れば、さっきまでの戦いが幻想などではなかったことが分かる。
「――奴を倒したのか」
クルーエルが起き上がる。
彼女が意識を取り戻したということは、あの世界に捕らわれていた人々も目を覚ましているのだろう。
「ああ」
天はそう答えた。
まだ助広は死んでいない。
だが、致命傷だ。
それこそ《単一色の世界》を維持できないくらいに。
「……そうか。それならば――」
「もう――終わったと思うのかい?」
声が聞こえた。
それは助広が血を吐きながら絞り出した声だ。
「まだ……生きてるのか?」
あまりにも痛ましい姿。
思わず天の表情がゆがむ。
そんな彼女をよそに、助広は歩く。
十字架を杖にして、ふらつきながらも歩いてゆく。
その先にいたのは――
「――女神」
マリアだった。
助広とマリアは静かに対峙する。
「僕は……この世界が嫌いだ」
――才能を持つ者が勝利できない世界が嫌いだ。
――優しさを持つ者が奪われてゆく世界が嫌いだ。
そう助広は語る。
「平等に分け合うものが損をして、身勝手に奪うものばかりが幸福を手にする世界が嫌いだ」
世界はきっと理不尽で、不平等だ。
運命の悪戯で、芽を摘まれる天才がいる。
優しさに付込み、利用しようとする者がいる。
――優れたものには栄誉を。
――優しきものには幸福を。
きっとそれが、助広の原点だったのだろう。
どこかで歪み、傾いただけで。
救われるべき人が救われて欲しい。
そんな思想が、どんどん深化し、極まっていった。
そうしてここまで来てしまったのだ。
「……これは、アタシが間違っちゃったのかなぁ」
マリアは息を吐いた。
その姿は消沈しているようにも見えた。
「君は僕に、理不尽の片棒を担がせた。理不尽に、人間だけを救う技術をもたらした」
「誰かの身に降りかかる理不尽を、本気で怒れる君だから未来を託したつもりだったのに」
しばしの静寂。
無音の交錯。
最初に動いたのは――助広だった。
「女神ッ!」
助広は十字架を振るう。
《極彩色の天秤》も使わない。
彼自身の力のみで振るう一撃。
一方でマリアは動かない。
そのまま十字架はマリアの首筋に迫り――
「ごめんね?」
――助広の心臓が吹き飛んだ。
明らかに助広のほうが先に攻撃していた。
どう考えても逆転不能なタイミング。
なのに攻撃を当てていたのはマリアだった。
人間と神。
そこには隔絶された差があった。
理不尽なまでの差があった。
「アタシのキャスティングミスだからごめんねって気持ちはあるけど……君はこの世界に生きていちゃいけないから」
助広の体がゆらぐ。
胸に大きな穴を開け、彼は地面に倒れこむ。
すでに彼は――絶命していた。
☆
今度こそ、本当に終わりだ。
助広の遺体を見下ろし、天は唇を噛んだ。
彼女は助広の傍らに膝をつく。
そして、見開かれたまま固まった目を閉じさせた。
彼は敵だ。
だが打ち捨てるのは忍びないと思う程度には――情があった。
1年の付き合いだが、共に戦う仲間だったのだ。
「正直、ALICEの存在を教えたりなんかしなければ、こうならなかったのかなーって思っちゃうかなー」
マリアはそうぼやいた。
平等主義は、きっと助広がずっと抱えていた思想なのだろう。
だがそれを実現する力がなければ。
鬱屈とした思いを抱えていても、世界を壊そうとまでは思わなかったはず。
偶然にも、マリアが彼に力を与えてしまわなければ。
こんな未来はなかったのかもしれない。
でもマリアを責めるわけにはいかない。
彼女の行動は人間のためで、彼女の行動がなければ多くの人間が死んでいたのだから。
だからこれは――運が悪かっただけなのだ。
奇しくもそれは、助広が最も嫌う理不尽なのだろうけれど。
「…………」
クルーエルが鼻を鳴らす。
彼女にとって助広は宿敵でしかない。
大切な仲間を殺した、憎むべき敵でしかない。
死体を前にしてなお、鎮まらない思いがあったとしても仕方のないことだ。
それでも口を挟まないのは、彼女なりに天たちの気持ちを汲んでいるのだろうか。
曇天の下。
戦場は静寂に包まれていた。
「ALI……天宮天」
そうクルーエルが口にしたのは数分経ってからのことだった。
彼女は腕を組み、天をまっすぐに見つめていた。
「これでもう、世界を滅ぼす存在はいなくなった」
彼女は語る。
そして――嗤った。
「――などと言わないだろうな?」
クルーエルの目に宿るのは、敵意だ。
彼女は天の瞳を覗き込む。
「天宮天。私と戦え」
そしてクルーエルはそう告げた。
「どちらかが命尽きるまで」
その言葉は冗談などではない。
彼女は真剣に、天との死合いを望んでいた。
「……どうしてもなのか?」
「無論。これは私の矜持の問題だ」
クルーエルは退かない。
「《ファージ》として、私は最後まで人間を喰らう、害する。生き方を曲げることを赦さない」
彼女は《ファージ》の王である。
《ファージ》としての生き方を貫くことこそが矜持。
もう、彼女の仲間はいない。
だからだ。
だからこそ、餞として彼女は生き方を貫かねばならないのだ。
「ゆえに止めてみろ。救世主であるというのなら。私という悪を止めてみろ」
人間を害する《ファージ》。
人間を守るALICE。
始まりの構図。
それに殉じ、終わりへと駆けてゆくのだ。
「もう一度言う」
「私と戦え。天宮天」
最後の戦いは天VSクルーエルとなります。
世界の命運ではなく、己の矜持をかけた戦いです。
それでは次回は『終わりはせめて』です。