終章 33話 覚悟の世界
「んぐっ……くふっ……ぁあっ……!」
助広の手が下腹部に沈み込む。
彼の手は容赦なく天の内臓を掴んでいた。
今は彼の手が栓の役割をしているため出血は少ない。
だが彼の一存で、天の内臓はすぐにでも床中にまき散らされることだろう。
「ゃめ……やめ、ろぉっ……!」
内蔵を揉みしだかれ、天は苦悶の声を上げる。
腹の中で助広の手がうごめく。
不快感で涙と吐き気が止まらない。
天は口をつぐんで必死に耐える。
「いくら再生能力があっても、傷口に異物を挿し込まれていたら治せないよね?」
天の能力なら、腹に穴が開いても治せる。
だが、助広の腕が邪魔で再生するスペースがないのだ。
体は回復を始めようとしても、再生した肉の行き場がない。
実質的に、天の再生能力は封じられていた。
「これで分かったかい?」
助広は天の額に顔を押し当て、そう問い詰める。
彼の手が天の乳房を乱暴に掴む。
「必死に抗ったところで、君は大いなる平等の前には屈服するしかないんだよ」
「君一人の重さじゃ、この世界は傾かない」
助広は耳元で天へと囁く。
「諦めて。みんなと一緒の世界に逝きなよ」
甘く、毒を流し込んでくる。
助広は天の首筋に歯を突き立てた。
歯が食い込み、白い肌から赤い血液が流れる。
それでも天は動かない。
うなだれたまま、抵抗もしない。
触手に体を縫い留められ。
精神汚染で意識もはっきりしない。
そんな中、天には一つの確信があった。
「確かに……俺だけじゃ無理だったな」
天はぽつりと口にした。
諦めのような言葉。
「でも――いるんだろ?」
天は顔を上げる。
彼女が浮かべていたのは――勝気な笑みだった。
脂汗を流しながらも、その表情には勝利への確信が映っていた。
「――クルーエルッ……!」
天は名を呼んだ。
王の名を。
「ッ!?」
助広の表情が変わる。
肉壁から影が噴き出したのだ。
影は天を捕らえていた触手を切断し、助広を襲う。
「ちっ……!」
助広は舌打ちを漏らす。
今の彼は、敵と戦力を均衡させることができない。
ゆえに消滅の影を躱せるだけの速力がないのだ。
ダメージを最小限に抑えてはいたが、全身に切り傷が刻まれる。
「なんで彼女がッ――!」
「オッサンには分からねぇだろうな」
苛立ちを見せた助広に天は告げる。
「他の何かと比べるだなんて考えられない。そんな大切な人がいないオッサンにはな」
誰の味方でもない。
誰の敵でもない。
平等であることだけを至上命題とする男。
そのためなら、かつての仲間をも手にかける男。
彼には分からないだろう。
「大切な人を殺された怒りが――簡単に塗り潰されるかよ」
助広は甘く見ていた。
己の行動が、周囲の者たちの心をどれほど傷つけたのかを。
それによる宿怨の重みを見誤った。
「君は、クルーエルが自我を保っていることを確信していたっていうのかい?」
「最初は半信半疑だったけどな」
クルーエルの意志の強さを信じたというのも根拠の一つ。
だが、他に理由がないわけではない。
天が最初にいた大部屋。
ALICEたちが無慈悲に打ち捨てられていた部屋。
――あそこにクルーエルはいなかった。
見逃しただけかもしれない。
天の知らないところにいたのかもしれない。
だが、なんとなく感じていた。
彼女がどこかで意識を繋ぎ止めていることを。
最大の好機まで、残る力を蓄えようとしていることを。
だから天は声を上げた。
どこかにいるクルーエルへの道標として。
ここに――倒すべき敵がいると伝えるために。
……肉壁の中から伸びていた影が消えてゆく。
今度こそ、クルーエルは完全に意識を失ったのだろう。
意識の波に吞まれながらも、虎視眈々と報復の機会を狙い続けた。
一矢を報いたことで、最後の糸が切れたのだろう。
だが、充分だ。
クルーエルの一撃は、天へと引き継がれてゆく。
「ッ!」
天は駆けだした。
その先に助広はいない。
彼女が目指したのは、取り落としていた大剣だ。
「そうはさせないよッ……!」
助広もすぐさま十字架を拾いに行く。
位置関係から、天の妨害をするのは不可能と判断したのだ。
だからこそ天を迎撃するための武器を手にした。
「ッ……!」
天は大剣を握りしめた。
それは、助広が武器を手にしたのと同じタイミング。
「神楽坂、助広ぉぉぉ!」「天宮天ぁぁぁぁぁッ!」
同時に二人は駆け出した。
小細工はない。
一直線に、真正面から。
君は今から――天宮天だ。
(そういえば、俺の名付け親はオッサンだったな)
天は地面を踏みしめる。
不思議と、昔の光景がよみがえってくる。
今も、これからも名乗ってゆくであろう名前。
それを与えてくれたのは、他ならぬ助広だった。
そんな男と殺しあう未来があるだなんて、あのときは思ってもいなかった。
二人の距離が――ゼロになる。
「「はぁぁぁああああああああああああああああああああああああああッ!」」
二人の攻撃がぶつかり合った。
競り合い、火花が散る。
全身全霊の衝突。
その勝負の行方は――
「なんでッ……!」
焦りをにじませたのは――助広だった。
少しずつ。
だが、確実に天が押し勝っていた。
助広の体が、少しずつ後ろに滑ってゆく。
「なんで、消耗しきっているはずの君が――ここまでの力を……!」
身体能力では天が勝っている。
しかし余力のある助広と違い、天は今にも気絶しそうな有様だ。
本来なら、押し勝つのは助広のはずなのだ。
「別に、愛とか友情パワーだとか言うつもりはねぇぞ」
「オッサン……その小指どうしたんだ?」
「ッ!?」
「知ってるだろ。武器を握るとき、小指は大きな意味を持つって」
天の視線の先には、助広の手があった。
小指が欠損した手が。
「これまでは《極彩色の天秤》があったから影響もなかったんだろうさ。取るに足りない傷だって、記憶にさえ残っていなかったんだろうな」
小指を失っても《極彩色の天秤》なら、欠損さえも考慮して戦力を均衡させる。
だから助広も戦いに不自由を感じなかったのだ。
ゆえに危機感を持っていなかった。
「誰がつけた傷かなんて知らない」
「だけど、そいつがテメェの敗因だ」
小指は握力に大きな影響力を持つ。
小指を失えば、武器を振るう力が大きく減衰する。
パワー同士のぶつかり合いになった時、その差が明確になる。
「はああああああああああああああああああああッ!」
天は助広を壁まで押し込んでゆく。
「ッッッ…………!」
助広が歯ぎしりする。
鍔迫り合いを制したのは天。
助広の十字架が押されてゆく。
「く……そッ……!」
助広から余裕が完全に消えた。
それでも、もう遅い。
大剣の刃が――助広の首筋に触れた。
「――――――終わりだ。助広のオッサン」
振り抜かれた刃が、助広の首を深々と斬り裂いた。
――――決着。
それでは次回は『理不尽がはびこるこの世界で』です。