終章 31話 虚無の世界
「さすがに、少し退屈だねぇ」
肉壁に包まれた通路を走り抜けた先。
彼はそこにいた。
「天ちゃんもそう思わないかい?」
彼――助広は笑う。
通路が終わり、現れた大部屋。
その中心の丘に彼は立っている。
「さあな。俺はこの世界をぶっ壊すのに忙しいんだよ」
天は助広をにらみつける。
だが彼は動じない。
むしろ笑みを深めている。
「いやいや。平等な世界を実現するための人身御供として、1人寂しく生きていこうと思っていたところだからね。敵でもいてくれると嬉しいね」
助広は十字架を担ぎ上げた。
「それともいっそ、アダムとイブになって新たな世界でも作ってみるかい?」
助広は冗談めかして笑う。
しかし天は言葉を返すことはない。
問答をしたくてここに立っているわけではないのだから。
「ッ……!」
天は地を蹴る。
弾力のある肉の床を蹴り、弾むように助広へと迫る。
「っと……」
助広は十字架を盾にして防ぐ。
しかし――
(なんだ……?)
わずかな違和感。
その正体を明らかにするため天はさらに攻撃を続ける。
体を回転させて横薙ぎ。
全身の筋肉を使った刺突。
そのすべてを助広は防ぐ。
(ほんの少し――俺より遅い?)
わずかにだが、助広のほうが遅いように思えた。
それはありえない。
助広の能力《極彩色の天秤》の性質上、スピードで天に劣ることはありえないはずなのだ。
「なんだ――? この世界と《極彩色の天秤》は――同時に使えないのか?」
天はそう問う。
天は《象牙色の悪魔》によって自我を守った。
もしも助広も同じなら。
「――なるほど。うん。偶然だねぇ」
助広は得心がいったように頷く。
「――そうだよ。僕は今、集合的無意識と僕の精神を均衡させている。それこそが、この世界に僕が取り込まれない理由だよ」
彼はすでに能力を使用している。
しかしそれは、この世界で正気を保つためだった。
本来太刀打ちできるはずもない膨大な意識の奔流。
それに吞み込まれないよう、彼は自分の精神の格を引き上げた。
「――そのことに気付けるあたり、天ちゃんが自我を保てているタネも似たようなものなのかな? たとえば――演算能力のすべてを、自分自身とその他の精神を取捨選択するために使っている――とかね?」
「…………」
助広は短いやり取りで天の現状を見切った。
隠しても無駄だろう。
隠しても、すぐにボロが出る。
「なんだ? ちょっと安心したか?」
「安心っていうのは、不安だった人間がするものじゃないかな?」
未来演算のできない天。
能力の均衡が使えない助広。
どちらが有利とは一概に言えない状況だ。
しかし、天にとって思いもしなかった幸運だったのも事実。
「はぁ!」
天はさらに攻勢を強める。
力で勝っているのなら、狙うのはハイペースの勝負。
思考する時間を与えない。
策など介入する余地のないインファイトであれば、必然的に身体能力へと勝負の比重が傾いてゆく。
未来演算が使えない以上、読み合いの勝負をするつもりはない。
「第3世代のALICEは、天ちゃんみたいな第2世代には身体能力で劣るからね」
能力値に強化リソースの多くを割いた第3世代。
能力という強みを失った今、第3世代が持つ弱さが浮き彫りになっている。
「はぁぁッ!」
天が全力で振り抜いた一撃。
それは助広の十字架を大きく弾いた。
武器を手放すことこそなかったものの、助広の腕が大きく弾きあげられた。
助広の胴体ががら空きになる。
そして、天の手にはもう一本の大剣がある。
終わらせる。
そんな決意を乗せ、天は大剣を助広の胴体に叩き込――
「まあ、身体能力だけで勝負が決まるわけもないんだけどね」
ぐちゅりと音がした。
視覚外からの痛み。
助広は左手で天の手首を押さえ、攻撃を防いでいた。
それと同時に、彼の膝が天の股座へと捻じ込まれていた。
「ッ、ッ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
遅れて爆発した痛みに天は腰を折る。
痛みで意識が助広から外れた一瞬。
その刹那に、彼は天の首を掴む。
「ぁっ……」
「悪いけど正直、妃ちゃんの戦いを見てきた僕としては、これくらいの戦闘技術じゃあちょっと物足りないねぇ」
首が締まって息ができない。
だが助広の手はさらに力を増してゆく。
そして――
「それじゃあ天ちゃん。さようなら」
天の首が――折れた。
首の骨を握り折られ、彼女の頭が傾く。
見開かれた目から光が消えてゆく。
「世界が最後に用意した障害にしては――随分と低いハードルだったね」
助広は興味なさげに彼女の体を投げ捨てた。
彼はそのまま天に背を向ける。
歩き始める助広。
彼の背に――天が飛びかかった。
「はぁぁぁッ!」
鬼気迫る叫びとともに天は大剣を振るう。
彼女の斬撃は――助広の脇腹を掠める。
内臓に達するような深さではない。
ギリギリで助広が反応し、わずかに間合いを広げたのだ。
「そういえば、再生能力はそのままだったんだね」
助広は無傷の天を見て笑う。
確かに、天は間違いなく首の骨を折られた。
しかしそれは《青灰色の女神》で治せる範囲の負傷だ。
「まだ……勝った気になるのは早いだろ」
天は大剣を構える。
「まったく。ゾンビ系アイドルでも目指しているのかい?」
助広は呆れたように笑う。
彼の態度にはまだ余裕がある。
「でも、忘れられたら困るなぁ」
彼は十字架を振り上げる。
「ゾンビってのは、十字架で殴られたら死ぬものなんだよ」
天VS助広が始まります。
それでは次回は『闘争の世界』です。