1章 19話 月読
「なんでALICEのこと知ってるんだよ」
「ご存知ですか? わたくし、テレビも見るんですよ?」
天の問いを、月読はそうはぐらかす。
月読は身軽にガードレールの上を歩いてゆく。
先程、天が尋ねたのは『救世主としてのALICE』について。
それを月読は『アイドルとしてのALICE』と曲解することで明言を避けた。
とはいえそれで引き下がれるような違和感ではない。
「――アイドルの話だったとして、なんで俺がALICEだと思ったんだ? ちゃんとテレビ見てるんだろ?」
天宮天の加入は『重大発表がある』という形で示唆されているのみ。
まだ部外者が知っている情報ではない。
どちらにせよ、天を見てALICEという言葉を出した時点で怪しいのだ。
「くすくす」
月読は笑う。
優雅に、淑やかに。
彼女はガードレールの上で器用に回転した。
ふわりと舞うスカート。
「ひ・み・つ――ですよ」
彼女は口元に指を当ててそう答えた。
(ただの箱庭のスタッフ……って感じには見えないよな)
一般人と呼ぶにはあまりにも優美だ。
深窓の令嬢を思わせる儚さ。
その美しさは、彼女が人ならざる者なのではないかと感じさせるほどだ。
(もしもこいつが《ファージ》なら――)
人間と見分けがつかない怪物。
それはあまりに脅威だ。
「よろしかったら、わたくしの城にいらっしゃいませんか?」
「城……?」
天はこの町に、世界に詳しくない。
だが前世と同じ常識で考えるのなら、こんなところに城があるとは考えにくい。
暗喩か。あるいは――別世界の話なのか。
「ああ。じゃあ、案内してもらうよ」
天は挑発的に笑う。
(罠かもしれないけど――逃す手はないよな)
明らかに異質な少女。
彼女の正体に迫れるのなら、このリスクを冒す意味はある。
「それでは。ついてきてくださいませ」
そんな天の思惑を知ってか知らずか、月読は変わらぬ足取りで進んでいった。
(気を引き締めないとな)
天は覚悟を決め、月読の背を追うのであった。
☆
「ここが、わたくしの城ですよ」
「うそ……だろ?」
月読に導かれた先。
その光景を前にして天は茫然としていた。
あらゆる可能性を吟味した。
何が起ころうと冷静に対処する心構えはあった。
だがそれはたった一つの現実を前に砕け散った。
盾を構えていたらミサイルを撃ち込まれた気分だ。
「こんなのって……ありかよ」
常識が崩れる気配に天はよろめく。
彼女の眼前にあったのは
――テントだった。
「ホームレスじゃねぇかッ!」
月読に案内されたのは、高架下にあるホームレスの溜まり場だった。
☆
「3分経ちましたよ?」
「さ……さんきゅ」
天は月読に促され、カップ焼きそばのお湯を捨てる。
ソースを入れると、湯気に乗って濃い香りが広がってゆく。
現在、天は月読に昼食を振る舞われていた。
もっとも、スーパーで安売りされているようなカップ麺だけれど。
「召し上がらないんですか?」
「いや……食うけど」
天は焼きそばを啜る。
それを確認すると、月読も焼きそばを食べ始めた。
無理している様子はない。
むしろ食べ慣れているように見える。
(まさかこいつの正体がエレガントホームレスだったとは……)
想定外すぎる。
「こういうものをB級グルメというんですよね? 味わい深い料理も良いですけれど、こういうジャンクじみた食べ物のほうがわたくし好みですね」
「お、おう……」
天のイメージ内での月読は、馬鹿みたいに長い机でフルコース料理を食していたのだが思い違いだったらしい。
庶民派を通り越して家がないとは想像できようか。
「ここには、誰にも知られていない人間が流れつきます。誰にも気に留められない存在。誰の目にもつかず、どこにでもいる人たち。彼らとすごしていると、自然と情報が集まってくるんですよ?」
そう月読は笑う。
人の口に戸は立てられぬ。
守り抜かれる秘密などないということなのだろうか。
「ここはわたくしの城で、このあたり一帯は城下町。住んでみれば、良い所ですよ?」
月読はそう言った。
天は食事をしながらも周囲を観察する。
「なんつーか……もっとあれだと思ってたな」
「もっと小汚い、と思ってしましたか?」
「ま、まぁ」
ここに住んでいる人は意外にも不衛生ではない。
中にはスーツを着ている人間さえいるくらいだ。
正直に言えば、天の印象とは違った光景だった。
「それはそうですよ。一目でそうと思われる格好をしてしまえば、日銭を稼ぐことも難しくなりますから。偏見を受けやすい立場だからこそ、普通の人よりも普通を意識して行動するんです」
「なるほどな」
人の印象の大部分は容姿で決まるという。
だからこそ、ここに住む人々は身だしなみを意識する。
逆にいえば、無頓着な人間というのは何もしなくとも普通が保証されているのか、普通となることを放棄しているのかだ。
(って、呑気に食ってる場合じゃないだろ)
月読と名乗る少女。
彼女の正体はいまだに見えない。
独自の情報網で偶然ALICEの存在に行き着いただけの一般人。
それならそれでも良い。
だが不透明な状態で放置するには彼女が持つ雰囲気は異質すぎる。
――探る必要がある。
「でさ? さっきの話だけど、なんで俺が――」
「ずずずー」
「……………………」
天が視線を向けた先では、月読が焼きそばを啜っていた。
そこに妖艶さを纏う少女はいない。
平和的な表情で食事を楽しむ少女がいるだけだった。
「…………まあ、いいか」
天は頭を掻く。
毒気を抜かれてしまった。
問い詰めても、適当に誤魔化されて終わるだけだろう。
(悪い奴にも見えないしな)
不可思議で底の見えない少女。
透明で正体は見えず、秘密に包まれた彼女はひどく不透明だ。
それでも、彼女が敵とは思えなかった。
☆
「いつでも来てくださっていいんですよ?」
「ああ」
月読が口にした見送りの言葉に、天はそう答える。
時間としては一時間程度か。
しかしその密度は濃く、心地が良いものであった。
外出できる機会が限られていなければ、もっと長居していたかもしれない。
たった一日の外出にも数日を要したのだ。
次に箱庭から出られるのにも相応の時間が必要なはず。
だからこそ今日のうちに、より多くの場所を見ておきたい。
「じゃあな。また機会があったら来るよ」
「ええ。お待ちしております」
月読は微笑む。
やはりこういった仕草は上品で、育ちの良いお嬢様に見える。
――実際はテント住まいなわけなのだが。
軽く手を振りつつ天は彼女に背を向ける。
時間は昼過ぎ。
もう少しで日が傾き、夕方になる頃だ。
箱庭には門限もある。
それを考慮すれば、回れる場所は多くない。
そんなことを考えていると、自然と早足になる。
だから天の耳に――
「……ええ。楽しみにお待ちしていますよ」
「貴女とは――長く、深い付き合いになりそうですので」
――彼女の声は、届かなかった。
『謎めくエレガントホームレス』な月読でした。
彼女は箱庭の外の人物ですが、物語内では最重要といっても良い立ち位置の人物です。
それでは次回は『夕焼けのステージ』です。
天の初お出かけ回は次で終わりとなります。