終章 27話 世界調和5
「ああ――これだけは使う気はなかったのに」
助広はつぶやいた。
仰向けに倒れたまま。
曇天を仰いで。
「な……生きてるのかよ」
思わず天の口からそんな言葉がこぼれた。
ショック死していてもおかしくないダメージだ。
あんな穏やかに話せる状態ではないはずなのだ。
「ぁ……ぁは……!」
助広は笑う。
灰色の空に手を伸ばし。
「――死にかけに見えるがな」
クルーエルは一蹴した。
彼女の言う通り、助広にはもう時間がないように思える。
たとえ延命措置を用意していたとしても、あまりに血を失いすぎている。
背骨まで一気にえぐり取られているのだ。
立ち上がろうとしても、彼の体を支える芯が存在していない。
「これは――あまりに平等すぎるから」
だから……脅威ではないはずなのに。
「僕も、ここまで平等にする気はなかったんだけど」
なぜか嫌な予感がする。
寒気がする。
怖気がする。
口の中が乾いてゆく。
「天ちゃんが悪いんだよ……?」
助広が立ち上がった。
だがそれはあまりに不自然な動作だった。
倒れてゆく光景を逆再生したかのように、どう考えても物理的に不可能な体勢で起き上がる。
――助広の体にノイズが走った。
彼の動きが安定しない。
急激に速くなったり、一瞬フリーズしたり。
壊れかけのテレビ映像を見ているかのようだ。
「君が差別主義を改めないから」
助広が十字架を振り上げる。
ノイズが激しくなった。
十字架の形が崩れてゆく。
世界というシステムを、コンピューターウイルスのようにノイズが侵蝕してゆく。
「君に、分からせてあげないといけなくなっちゃったじゃないか」
「見せてあげるよ」
ついにノイズは空中へと拡散され、空全体を覆ってゆく。
「これが、平等の極致だ」
「《魔界顕象》」
「――――――――《単一色の世界》」
ノイズが世界を包み込んだ。
「…………!」
天は思わず耳をふさぐ。
耳鳴りがひどい。
視界は混沌としたノイズが明滅し、脳を刺すような耳鳴りが響く。
ほんの数秒だが、度を越した不快感に嫌な汗がにじむ。
「これが、天秤さえ必要ない――まごうことなき平等の姿だよ」
天たちの視界が戻った時、世界はノイズに覆われていた。
空も、地もノイズが侵食している。
現実感のない世界。
イメージとしては電脳世界だろうか。
もっとも、そこかしこにバグが跋扈しているけれど。
「わわ、わわわわわわわわっ……!」
マリアの焦った声が響く。
彼女は両手を掲げながら右往左往している。
――彼女の結界が崩壊し始めていた。
ノイズに染められ、結界が維持できなくなっているのだ。
「もうこの世界は、君の世界じゃないんだ。君の適用したルールは、この世界では無力だよ」
助広はマリアを鼻で笑う。
「――なんだよこれ……?」
異常すぎる光景に天は動けない。
これまでも常識外れの経験をしてきたつもりだったが、今度はさらに規格外だ。
ここが、さっきまで自分が立っていた世界だとは思えない。
「――――――――!」
「マリアっ!」
天は叫んだ。
マリアの姿が透明になり始めていたのだ。
この世界に溶けてゆくように。
「天ちゃん! この能力は絶対に発動させないで――!」
マリアの体が消えていく。
伸ばした手にも、もう指は存在しなかった。
天は彼女の手を掴もうと手を伸ばす。
だが、それよりも早く――マリアは消失した。
消失。
それが死を意味するのかは分からない。
曲がりなりにも神なのだ。
不死性を持っていてもおかしくはない。
とはいえ、本来起こってはいけないことが起こっているのは疑いようがない。
「それじゃあ――平等を始めようか」
助広の号令。
すると突如、大量の触手が現れた。
デジタル風の世界とは不釣り合いな、肉感的な触手。
赤黒い色のせいもあってか、悪魔じみた不気味さがある。
「――こんなもの」
一気に襲いかかる触手。
クルーエルはそれを消滅の太刀で斬り捨てた。
黒閃は容易く触手を細切れにする。
嫌な予感は杞憂だったのか。
天はそう思いかけた。
しかし、触手の欠片がクルーエルの頬に飛び散った時――異変が起きた。
「っ……!?」
クルーエルがその場で膝をついた。
同時に、彼女の手元にあった影が弾け飛んだ。
彼女の反応が鈍い。
その隙に大量の触手が彼女を狙う。
「何やってんだ……!」
天はクルーエルの手を引いて離脱する。
妙に反応の悪いクルーエル。
天は何度も彼女の名前を呼ぶ。
「ッ――――!」
何度目かの呼びかけで、クルーエルの目に意思が宿った。
「どうしたんだ……?」
「……分からん。ただ、アレに触れた瞬間に意識が飛びかけた」
「触れただけで気絶するってことか……?」
天の問いかけに、クルーエルは渋い表情となる。
「そんな可愛いものだといいのだがな。そうだな……より近い表現をするのなら――精神を汚染されるような感覚だった」
精神汚染。
クルーエルは自らの身に起きた出来事をそう評した。
「自分が自分でなくなる感覚。目は見えているし、耳は聞こえている。だが、自分の意識だけがおいていかれる……自分という存在が消える感覚」
クルーエルの表情には不快感が滲みだしている。
どうやら余程体験したくない感覚だったらしい。
「精神汚染だなんて失礼だね」
そんなクルーエルを助広は笑う。
「それは、精神の洗浄だよ」
「《単一色の世界》は、すべての生物を同一存在に統合する能力だよ」
「差別というものは、差があるから生まれるんだ」
助広はそう説く。
「なら、世界の生物すべてを統合し、たった1つの存在にしてしまえばいい」
助広は酔いしれたように微笑む。
「世界中の生物の意識を集合的無意識に接続し、あらゆる自我を消滅させる」
両者の違いを尊重するという平等。
《単一色の世界》はそれを嘲笑う。
違いは差別。同一こそが平等。
一切合切を統合することで、世界を不平等から救済する。
そんな暴力的な平等が《単一色の世界》の本質。
「安心してよ天ちゃん」
「平等な世界に、絶望なんて存在しないからさ」
真に平等な世界。
そこに住まうものには、絶望を感じる機能など与えられない。
助広最大の切り札は『全生物の統合』です。自己という隔たりが消え、まっさらな平等を強制的に実現する凶悪な能力です。
それでは次回は『世界調和6』です。