終章 23話 世界調和
「この切り札は回数に制限があるから出し渋っていたんだけどね」
助広は肉塊を手に笑う。
あの肉片はマザー・マリアの遺骸だ。
消滅する死体の一部をくすねておき、『マザー・マリアと対等になる』ことで他の追従を許さない戦闘力を得る。
シンプルながら凶悪な戦法だ。
今の助広は、《悪魔の心臓》を使った天よりも強い。
「しょせんは死体だからね。騙し騙し使ったとしても、そんなに持続性のある戦い方じゃあない」
そう言いつつも、助広の余裕は崩れない。
時間制限があろうとも、それがリスクにならないほどの力を得たという自覚があるのだ。
「「…………」」
天とクルーエルは構える。
一瞬も油断できない。
助広の微細な仕草さえ見逃がさない。
そのはずなのに――
「やば――」
天は横に跳ぶ。
――未来が見えたのだ。
「あれ? 少し失敗したかな? 思ったより速くなっているみたいだ」
――助広がただ歩いてくる未来を。
ただ歩いただけで天たちの動体視力を振り切り、彼女たちの背後へと移動する未来を。
マザー・マリアのハイパワーを人間に取り込むという暴挙。
それはレース用のエンジンを軽自動車に積み込むようなものだ。
軽量な肉体と、規格外のパワー。
それらが合わさった助広は、歩くだけで容易く音を追い越す。
チリっ……。
天の頬が裂けた。
助広は歩くだけで大気を巻き込み、歩いた軌跡を真空状態にする。
一瞬だけ、そこには局所的にして途方もない気圧差が生まれる。
世界の空気がその差を埋めようと殺到したとき――
「「ぐぁッ……!?」」
風の刃に巻かれ、天とクルーエルは吹き飛ぶ。
風圧に体の自由を奪われ、受け身を取ることもできずに地面に叩きつけられた。
「く、そ……!」
悲鳴を上げる体を叱咤し、天は立ち上がる。
しかしすでに助広は十字架を投擲していた。
これまでとは音が違う。
甲高い、耳をふさぎたくなるような異音。
見ているだけで伝わる威力。
血の気が引いてゆくのが分かる。
(回避――)
あんなものとぶつかり合ってはいけない。
あれは、力比べをするような相手じゃない。
「――避けても良いのかい?」
助広がいやらしく嗤う。
ここで天が十字架を躱したとして――どうなる。
山を砕くような威力で投げられたソレは何千人の人間を殺すのだ。
考えたくもない。
高すぎる演算能力ゆえに、その被害規模さえも詳細に理解できてしまう。
(ヤバイ……躱しきれないか……!)
――助広の言葉に反応し、ほんの一瞬だけ回避をためらってしまった。
そしてその一瞬の遅れにより、回避の選択は不可能になってしまった。
(防ぐ……は駄目だ。逸らすしかない)
天は重心を後方に傾ける。
そのまま全身の筋肉で大剣を振るった。
横合いから十字架を叩いて軌道を曲げる。
衝突の衝撃に合わせて吹っ飛び、被害圏内から脱出する。
その二つを同時に実現する選択。
それでも――
「がぁぁぁッ!?」
両腕がひしゃげた。
両肘から先が千切れそうになる。
続く風圧で体が吹き飛んだ。
たった一撃で意識を奪われそうになる。
「なんだよ……これ」
倒れ伏したまま天はそう漏らした。
圧倒的だ。
たった一撃で満身創痍。
それも助広にとっては何ということもない一撃で、だ。
「それじゃあ――次の一撃だよ」
助広は十字架を構える。
――天のいない方向を向いて。
(そういうことかよ……!)
万全の態勢で受けたから一命をとりとめた。
だから助広はこう言っているのだ。
――できるものなら、不完全な状態で止めてみせろと。
万全な状態で死にかけたのだ。
ギリギリ間に合ったとして、そんな状態であの攻撃を受けてしまえば確実に死ぬ。
(それでも――)
狙ったのかは知らない。
だが、助広が狙っている方向には――蓮華たちがいる。
あのまま攻撃を許せば、彼女たちは死を避けられないだろう。
それは――駄目だ。
(両腕は死んでる)
すでに再生を始めている。
だが、まだ腕に力が入らない。
引きちぎれた筋肉はまだつながりきっていない。
(それでも足は動く……!)
立てる。
走れる。
腕が使えないのなら、蹴りで逸らせばいい。
「あああああああああッ!」
天は雄叫びをあげ、駆けだした。
そして助広の攻撃ルートに飛び込む。
策はない。理屈ではない。
ほとんど反射的な行動だった。
「僕が投げた武器を必死に追いかけて。これじゃあ、まるで犬みたいだね」
しかし、彼にとってはそれも織り込み済み。
元より、天に防がせるつもりだったのだ。
だから、天がギリギリで追いつける場所を狙った。
そんなことは分かっている。
分かっていても――逃げるわけにはいかないのだ。
「ッ……!」
(……防げない)
嫌でも分かる。
必死に追いすがったせいで姿勢は崩れている。
両腕は使えない。
いくら演算で可能性を模索しても、どんな理想的な対応をしたとしても事態を打開できない。
きっと、彼の攻撃を無視することだけが最適解だった。
それでも天は飛び込まざるをえなかった。
致命的な失策。
それを認めたうえで、天は抗う。
だが演算結果が示すのは非常な現実だけで――
「絶対☆無敵ガード!」
十字架が天を粉砕する直前。
声が聞こえた。
同時に、彼女の眼前に半透明な障壁が構築された。
六角形の結界は多重に展開されている。
硬質な音と共に、十字架が弾き飛ばされる。
あれほど暴虐の限りを尽くした一撃が、当然のように防がれた。
「チッ……!」
助広が舌打ちを漏らす。
彼の顔には、隠す気もない不快感が満ちている。
天が生き残ったから?
攻撃を防がれたから?
――違う。
助広がここまで苛立っているのは、戦場に現れた一人の少女のせいだ。
「入れ知恵だけで飽き足らず、そこまで肩入れするっていうのか……!」
――女神……!
助広は苦々しく叫ぶ。
彼の視線の先には、少女がいた。
ピンク髪を揺らし、白いドレスを身に纏い。
少女は笑う。
世界の滅亡など感じさせないような振る舞いで。
だが、彼女こそが世界の最終防衛ライン。
世界の滅びに最も近く、そのことごとくを跳ねのけてきた少女だ。
「女神降臨☆」
少女――マリアは軽快な名乗りとともにウインクした。
VS助広、第二ラウンドです。
それでは次回は『世界調和2』です。