終章 20話 アリスブルーの空へ
「確かに、この成長には驚いたね」
助広はそう口にした。
だが、彼の表情に焦燥の色はない。
「でも、同時に少し残念だよ」
それは、自分の優位は揺らがないという自負があるから。
「どうせ人間びいきの女神のことだ。君の強化には彼女も関係しているんだろう?」
見透かしたように助広は言った。
彼はマリアからALICEの技術を得たという。
ならば、彼女の存在意義についても少なからず知っているのだろう。
「だけど、まさかその答えが『ただの身体強化』だなんてね」
それを踏まえ、助広は一笑する。
「確かに《悪魔の心臓》の使用時間が飛躍的に伸びたのはすばらしいよ。でも、僕を倒すための有効打とはなりえない」
彼の言うことは間違っていない。
たとえ天がいくら身体能力を上げたとしても、彼の能力ならばいつでも戦力を拮抗させることができる。
その上限値がないことは、マザー・マリアのとの戦闘から察することができる。
ゆえに天がどれほど強靭になろうとも、助広の力が頭打ちになることはない。
だからこそ、彼女の成長を脅威と思わないのも仕方がないのかもしれない。
「――そろそろか」
もし、天が手に入れた力がそれだけならば。
「――――――《青灰色の女神》」
その時、光が世界を満たした。
天の体が白い光に覆われる。
目のくらむような輝き。
その後にいたのは、ウエディングドレスを纏う天だった。
純白にして潔白の花嫁衣裳。
穢れ一つない衣装を身に纏い、天は戦場に立っていた。
「なんだ……!」
「これは――」
天の変貌に、クルーエルも助広も驚愕していた。
ただ外見が変わっただけではない。
身体から滲みだす神々しさが、見る者を圧倒しているのだ。
「こいつが――俺の全力だ」
「ッ……!」
最初に動いたのは助広だった。
彼は神速で天へと迫る。
彼女に何もさせてはいけない。
そう感じ取ったのだろう。
助広が十字架を振るう。
天と均衡したパワーでの一撃。
それを――
「防いだ……?」
天は片手で受け止めた。
大剣を使うことなく、素手で。
「力が均衡しているのに、僕の攻撃を素手で防いだ。――どういう仕掛けなのかな?」
怪訝そうに助広は眉を寄せる。
「どうしてだろうな」
天は涼しい顔で答えた。
――答えはシンプルだ。
同じパワーなら、技術が高いほうが勝つ。
天は高い演算能力で、筋肉を完璧に掌握し、奇跡ともいうべき理想の防御態勢を取っただけだ。
理論上でしかない、実現性に乏しい技術。
戦いの中ではとても再現不能なガードを天は実戦の中で引き起こしたのだ。
普通の攻撃。
理想の防御。
同じ戦闘力であるなら、どちらが勝るかなど明白だ。
「ッ……!?」
助広の姿勢が流れる。
天が手首を返し、十字架を弾いたからだ。
これも予想通り。
コンマ1秒以下。
助広の意識が手元から逸れた100分の1秒を正確に突き、そのタイミングで攻撃を受け流したのだ。
ゆえに容易く助広の姿勢は崩れる。
「ッ」
わずかに助広の顔に緊張が走る。
崩れた体勢。
このタイミングで攻撃を受けたらダメージを避けられないと悟ったから。
ゆえに――
天は、誰もいない場所を斬った。
「…………?」
助広は動きを止める。
だが、天は何もない空間で空振りを繰り返した。
――助広に背を向けて。
「……ふざけているのかい?」
「………………」
天は動きを止めた。
そして、脳内でカウントを始める。
――1。
――2。
今度は、大剣の先端で軽く道路を叩いた。
「何を狙っているのかは分からないけど――殺せば変わらないだろう!?」
助広は十字架を横一線に振るう。
狙うのは天の頭部。
しかし――
「!?」
突如、天を中心として道路がヒビ割れた。
天の足元が陥没し、彼女の体が10センチほど沈む。
その10センチの差で、助広の攻撃が空振りした。
天を中心にヒビが蜘蛛の巣のように広がる。
ほんのわずかな凹凸。
そこに、助広の足が引っかかった。
「……!」
助広の体が揺らぐ。
「がッ……!?」
そんな彼の無防備な顔面へと、大剣の柄頭が叩き込まれた。
柄を使った打撃。
それでも天の身体能力は、助広の体を数十メートル吹っ飛ばす。
助広の体が地面を転がった。
しかし彼はすぐに体勢を立て直す。
とはいえ、彼の表情には少なくない動揺があった。
「なんだいそれ? 強いとか、弱いというより――奇妙だ」
そして助広は十字架を構えた。
「少し様子を見よう……かっ!」
助広は左足を踏み出し、十字架を振りかぶる。
投擲の動作。
天に意味もなく近づくのは危険と判断したのだろう。
しかし――
「――――」
天は爪先でアスファルトの道路を軽く叩いた。
直後、助広の足元で道路が陥没した。
「!?」
投擲のために強く踏みしめた足元が崩れる。
それに連動して、助広の投擲フォームが崩れた。
十字架の軌道が大きくゆがむ。
回転しながら飛来する十字架は大きく狙いを外し、彼方へと飛んでゆく。
「本当に気味が悪いね。まるで、本物の『ラプラスの悪魔』みたいだ」
眉一つ動かさない天を見て、助広はそう漏らす。
現在、過去、未来。
そのすべてを掌握する悪魔――ラプラス。
そんな存在を彷彿としてしまうほどに、天は戦場を支配していた。
「はぁッ!」
次に動いたのは――クルーエルだった。
背後から天へと迫り、影の太刀を振り抜く。
だが天は、クルーエルの手首を押さえた。
腕を止めてしまえば、刃が天を襲うことはない。
武器ではなく、彼女の動きそのものを止める。
それこそが、消滅の影による攻撃をガードする唯一の方法だ。
「油断大敵だよ」
天の意識がクルーエルに向いた直後、
助広が十字架を横に振り抜いた。
真横からのフルスイング。
それを天は、左手を盾にして防いだ。
メキっという音を立て、左腕が直角に折れる。
そのまま天はゴルフボールのように大きく吹き飛ばされた。
それでも彼女は両足で着地する。
「……折れたか」
天は力なく垂れた左腕を見てつぶやいた。
青黒く変色した患部。
どう考えても骨折している。
「――《青灰色の女神》」
それでも天は立ち上がる。
何事もなかったように。
そんな彼女を見て、助広は頷いた。
「なるほど……《悪魔の心臓》をなぜ長時間使えるのか。その答えがそれってわけなのか」
助広は指を向けた。
天の――傷一つない左腕へ。
1秒前まで折れていたはずの左腕へと。
「超速再生。それが君の新しい力ってわけだね」
天が最初に《不可思技》に目覚めたのは2章のエピローグです。
《悪魔の心臓》の反動で生死の境をさまよった時、アンジェリカの運勢操作によって『運よく《不可思技》に目覚めて』います。
そして7章。脳を破壊され、明らかに彩芽の能力でも治療できない(能力の条件上、一度は彩芽がダメージを受け負う必要があるため)はずの天が無事→彩芽が駆けつけた時点で、天の傷はある程度治っていた。といった感じです。
ちなみに、修行後に現れた天が『服は破れているのに傷はない』のも《不可思技》の力です。
それでは次回は『アリスブルーの空へ2』です。