1章 0話 死後の楽園と生後の物語
俺は目を覚ました。
いや。
そう自分で信じているだけで、まだ自分は寝ているのかもしれない。
そんなことを思ってしまうくらい、周囲の光景は非現実的であった。
柔らかな風の吹く芝生。
周りにはいくつものシャボン玉が浮かんでいる。
その景色は幻想的で、この世界に存在する場所とは思いにくい。
となれば、ここは俺の妄想か夢である可能性が濃厚なわけで。
「ここはあれか? 地獄か天国に行くまでの待合室とか」
そんな結論に至る。
ほんの数秒前、俺は死にかけていたのだから。
ここが死後の世界である可能性は大いにある。
「んー。『ここは天国なのか……?』とか思わなかったの?」
その時、声が聞こえた。
振り返ると、そこには少女がいた。
ピンク色の髪を揺らす、高校生くらいの少女が。
もっとも、無垢な瞳や仕草が、見た目よりも彼女を幼く見せる。
総合的に見れば、中学生にも思える。
「誰もいないからな。残念ながら、俺は人類史上最高の善人なんかじゃない」
ここには彼女以外の人影はない。
もしもここが天国なら、これまでここに到達した人はいないということ。
そんな場所に招かれるほど立派な行いをした記憶がない。
「天国に行く人たちには個室が与えられるかもだよ?」
「……マジか」
「いや、嘘だけど☆」
「…………マジかぁ」
少女の無邪気な笑みに、俺は嘆息した。
「結論から言うと、ここは地獄や天国だかの待合室じゃないよ」
少女はそう言った。
「強いて言うなら――社長室?」
――どうやら、死後の世界は企業らしい。
「死んでいくアナタを、わたしが『ちょっと待った~』ってしたんだよ」
少女は掌を突き出す。
多分『ちょっと待った』をジェスチャーで表しているのだろう。
「つまり、君が社長だと」
「そういうことだね☆」
俺がそう問うと、少女は嬉しそうに笑う。
そして彼女は両手を広げ――
「ようこそ。ここは《最果ての楽園》。世界の管理者に与えられる、神様のためだけの世界だよ」
そう告げた。
「…………なるほどね」
俺は上半身だけを起こした姿勢から立ち上がる。
「驚かないの?」
「生憎、俺も普通の人間じゃないからな。今さら驚くほどのことじゃない」
自分が普通ではないことは自覚している。
16年も生きていれば、それくらい気付ける。
「それで。俺が『ちょっと待った』された理由は何なんだ?」
それこそ、俺が持つ特異性が関係するのだろうか。
そんな意図を込めての問いかけだったのだが。
「う~ん。社長室のたとえになぞらえるなら――採用面接?」
そう言って、少女は首を傾けた。
可憐さを感じさせる顔立ちもあって、その一連の動作はかなり様になっていた。
「……何のだよ」
とはいえ、俺の疑問が解決されたわけではない。
「救世主採用試験の」
俺の疑問への解答は、ただ疑問を増やすものだった。
「ちなみに、履歴書ですでに採用は決定されてるんだけどね☆」
しかも、もう決まっているらしい。
「送った記憶もない履歴書に就職先を決められた……」
俺の口からため息が漏れる。
「というわけで、女神の業務の下請け先になって欲しいんだよ」
少女はそう宣言した。
彼女は俺に顔を近づける。
「これから君が生まれる世界は、前の世界とは似ていても違う世界」
そう彼女が耳元でささやく。
「そこには君の知り合いなんていないけど――救って欲しいんだよ」
そう言う彼女の声は真剣なものだった。
これまでの子供っぽさとはかなりのギャップがある。
だがすぐに彼女の雰囲気は戻り、
「もちろん、嫌なら嫌って言ってね? 嫌がる人を無理に救世主に仕立て上げるっていうのは――違うでしょ?」
彼女は再び笑った。
神様とは理不尽なものだと思っていたけれど、案外、人間の心も考慮してくれるものらしい。
「……受ける」
だが、その気遣いは不要だった。
オレに、彼女の要請を拒絶するつもりはない。
「その救世主っていう役目。俺が受ける」
きっとこれは一時の気の迷い。
――命を懸けて誰かを助けた。
その興奮が、俺にその未来を選ばせた。
また、誰かを救うために手を伸ばしたいと思わせた。
その選択を後悔しないかは――これから次第だ。
「……ありがと」
俺の答えに、少女はそう返した。
嬉しそうで、それでいて少し切なげな微笑みと共に。
――救世主というくらいなのだ。
きっと生半可な気持ちで歩める道ではないのだろう。
そんな道に俺を導くことは、彼女にとって不本意だったのかもしれない。
だとしたら、きっとこの神様はお人よしだ。
「そういえば、君の名前を聞いていいか?」
まだ彼女の名前を聞いていなかった。
これから会うかも分からない以上、不要なことかもしれない。
だがせっかく神様と会えたのだから、名前くらいは知っておきたい。
「――マリアだよ」
少女は――マリアは確かにそう答えた。
「なるほど――」
俺は顎を撫でる。
そして彼女に笑いかけると、
「やっぱ、女神となると名前も神聖な感じなんだな」
そう言ったのであった。
次話から新しい世界での話となります。