終章 15話 秤の観測者
「く……そ……」
グルーミリィは毒づく。
彼女の視界の端には、自分の下半身が転がっている。
言い訳の余地さえない致命傷だった。
「もうご飯は食べられなさそうだね」
そんな彼女へと助広が歩み寄ってきた。
彼は微笑み、彼女を見下ろす。
「そんなに睨まないで欲しいな」
助広は肩をすくめる。
「これは必要なことなんだ。女神から運命を取り戻す。天秤が釣り合う、理不尽のない世界を実現するための戦いなんだ」
彼はそう説く。
そんな彼を――グルーミリィは嘲笑う。
「はっ……平等か」
「非現実的で笑えるだろう? だけど、そんな理想が現実になろうとしているんだ。目指さないなんて、もはや罪じゃないのかな」
助広はそう言った。
彼の目には微塵の疑いもない。
自分が歩む道こそが正しい。
そんな確信だけがあった。
「天秤が釣り合っている、か」
グルーミリィは口元をゆがめる。
そして、助広へと視線を向けた。
「天秤が釣り合っているのか分かる奴がいるとしたら、それはどっちの皿にも乗らなかった卑怯者だけだろ」
天秤に乗らず、自分だけを特別だと思っている卑怯者だけだ。
皿に乗って、必死に生きている者たちに『天秤が釣り合っているか』など分かるわけもない。
生物には主観があって、完全な平等など実現しないのだから。
いわゆる、隣の芝は青いという奴だろう。
誰もが世界の不平等を謳い、自分だけがと嘆く。
「神様気取りで平等平等抜かしやがって……」
傲慢に平等を説く助広の姿は、彼が討とうとしている神様に似ていた。
皮肉な話だ。
神様気取りが、本当の神を殺そうというのだから。
「遠目で天秤を眺めて『あっちが可哀そうだ』とか『あっちは恵まれすぎている』なんて決めつけて、無責任に手を出すような奴が作った世界なんざ願い下げだぜ」
グルーミリィは空笑いを漏らす。
大量の血液が口からあふれた。
それでも笑うのをやめない。
「お前は人間にも《ファージ》にも縛られない、中立の立ち位置で物事を見ているつもりなんだろうけど」
「そういうのを――可哀そうな奴っていうんだよッ!」
《ファージ》とALICE。
敵同士。
それでも、両者には共通点がある。
それは――真剣であったという一点。
自分の在り方に対して真摯であったという一点だ。
そうやって命を削りあってここまで来た。
ゆえに、神様の目線を気取って世界を見ているような奴には譲れない。
誰の敵でもなく、誰の味方でもない。
そんな男が勝者になる未来など、全力で阻止してみせる。
(オレは……ここで終わりだ)
もう死は目前だ。
だが、だからこそグルーミリィは命を燃やす。
延命など考えない。
彼女は両腕の力だけで跳び上がる。
「ッ……!」
この状態から彼女が動けるとは思わなかったのだろう。
わずかに助広の反応が遅れた。
それでも彼は十字架を振るう。
グルーミリィの側頭部へと十字架が迫る。
彼女が食らいつくのが先か。
助広が彼女を叩き落とすか。
そんな一瞬を競う攻防。
その結末は――
☆
「うん。少し想定外だった」
助広は右手を見て呟いた。
ぼたりと血が落ちる。
彼の右手は――小指が欠損していた。
さきほどのグルーミリィとの攻防。
わずかに反応が遅れたせいで、彼女に小指を食いちぎられたのだ。
「はは……! 君はこれで満足だったのかい?」
助広は地面に転がったグルーミリィに問いかける。
「君が命を懸けたところで、得た結果は僕の小指一本。君の命の重みは、その程度だったってことだよ」
どうにか永らえた命で得たのは、ほんのわずかな負傷。
「小指一本といっても、僕の能力なら欠損さえ考慮して天秤を釣り合わせることができる。事実上、君は無意味に死んでいくんだ」
助広はグルーミリィの顔を踏みつける。
もう抵抗する気力は残っていないのだろう。
踏みつけられても、グルーミリィは反応を示さなかった。
「勝手に……言ってろ」
絶え絶えに彼女がそう言った。
今にも息絶えそうなグルーミリィ。
それでも彼女は、ほんの少し笑った。
「オレの命の価値を決めるのは……お前じゃない」
彼女の瞳から光が薄れてゆく。
彼女の体が少しずつ消滅してゆく。
「これからテメェを殺す誰かが……オレの命の価値を決めてくれるだろうさ」
その言葉を最期に、グルーミリィは世界から消失した。
☆
「――うん。予想以上だよ」
少女――女神マリアは微笑む。
柔らかな笑み。
だが、彼女の頬には汗が流れていた。
汗が落ちる。
――泥と血液で汚れたウエディングドレスへと。
「今の君なら……世界を救えるよ」
「――――天ちゃん」
「……おう」
マリアは少女の背中を見つめる。
赤いツインテールをなびかせる少女の姿を。
少女――天宮天は静かな瞳で遠くを見つめている。
赤と青。
彼女の両手には、二本の大剣が握られている。
達観した瞳には、揺るぎない強さがあった。
マリアは胸元に刻まれた傷を撫でる。
天によってつけられた傷を。
ついに彼女は、女神さえも斬れる境地へと達したのだ。
「もう、神楽坂助広は動き始めてる」
「……そうか」
「頑張ってね☆」
「ああ」
マリアは指先で世界をゆがめる。
黒い波紋が広がり、世界と世界をつなぐゲートが開かれた。
ゲートの向こう側には、天たちが住む世界が見えた。
「ここを通れば、元の場所に戻れるよ☆」
「……マリア」
「なぁに?」
「ありがとな」
天から告げられたのは感謝の言葉。
そんな彼女の様子に、マリアは笑みをこぼす。
「大丈夫だよ☆ だってこれは、女神の仕事なんだから」
世界を救うことが女神の役目。
それを天に委託しているにすぎないのだ。
修行を手伝ったからといって、彼女が感謝する必要はない。
「天ちゃん」
「?」
「――責めても良いんだよ?」
「……ほんとにどうしたんだ?」
マリアの言葉の意味が分からないようで、天は首をかしげている。
ほんの少しだけ胸が痛む。
「君は特別な才能を持っていたから選ばれただけ。この世界に生まれたわけでもない、本来なら世界の命運なんて背負う必要のない人間なんだよ」
マリアは胸元に両手を当てた。
そして、両手を握りしめる。
「痛かったでしょ? 怖かったでしょ? なんで自分がって思ったでしょ?」
――君には、責める権利がある。
そう告げた。
それは偽りない本音。
本来なら関わるはずもない戦いに関わらせてしまったから。
それに対する不満を受け止める義務がある。
だから――
「責める理由なんてないだろ」
天はそう答える。
マリアの心配など杞憂だと。
そう示した。
「俺はこれから世界を救って、大切な奴と末永く生きていく予定なんだ。どこに責める理由があるんだよ」
(そっか……)
マリアは思う。
(天ちゃんはもう、世界を救った先を見ているんだね)
困難な現状など問題ではない。
天が見ているのは、さらに向こう側の未来。
――壁を飛び越えようとする人間には二種類いる。
壁を見ている人間と、壁の向こう側を見ている人間が。
どちらがより高く飛べるのか。
その答えを、マリアは知っていた。
「……やっぱり、君を選んでよかった」
「君になら、世界を任せられるよ」
小指一本。そこに意味が宿る瞬間は来るのか――
そして、ついに天が参戦します。
覚醒天の武器は大剣二刀流です。
それでは次回は『反撃の兆し』です。