終章 14話 牙3
「ッ」
グルーミリィは身を伏せる。
彼女の頭上を剛腕が駆け抜けた。
今のは彼女が召喚した《ファージ》によるものだ。
グルーミリィは姿勢を低くして《ファージ》の懐に潜り込んだ。
(この位置からなら見えねぇだろ)
彼女は小柄なため、《ファージ》の陰に隠れている。
ここからなら、助広には彼女の行動は見えない。
「食い殺す」
グルーミリィの喉をこじ開け、化物が飛び出す。
化物は眼前に立っている《ファージ》の腹を食い破る。
《ファージ》の体を貫き、その向こう側にある空間を捕食した。
「危ないなぁ」
「ちっ……」
捕食によってぽっかりと抉れた道路。
その傍らで、助広はへらりと笑う。
どうやら少し攻撃のタイミングがずれていたらしい。
グルーミリィは苛立ちを滲ませる。
「ちょこまかと――!」
助広はグルーミリィを中心とした円を描くように走っている。
間合いを詰めることなく、だからといって狙いを定めさせない。
そんな立ち回りだ。
(あいつとしては、早く勝負を決めたいはずだ)
早くグルーミリィを殺し、クルーエルを追いたいと考えているはず。
だが、それにしては助広の行動は積極性に欠けているように思える。
間合いを詰めるわけではない。
だからといって、あえて逃げることでグルーミリィを引きつけようという意図もない。
(じっくり腰を据えて――なんて考えてるはずがねぇ)
助広は、そこまでグルーミリィを大きな壁として見ていないはずだ。
(つまり、あいつは何かを待っているはず)
グルーミリィは考える。
助広が保っている間合いの意味を。
あれは――彼が一瞬で詰められる距離。
そこから逆算すると彼が待っているのは――
(そういうことなら――)
グルーミリィは左右から迫る触手を躱す。
軽いバックステップ。
そして着地のタイミングで――少しバランスを崩した。
一歩二歩と足踏みするグルーミリィ。
そんな彼女を抱きとめるように触手が伸びてくる。
それを――あえて躱さない。
(あいつが待つチャンスとなれば、こいつしかないだろっ)
触手が彼女の両足を捕らえる。
さらなる追撃で両腕を絡めとられた。
「っぐ……!」
顔に巻き付いた触手が、猿轡のように彼女の口を封じた。
体の自由を奪われ、口さえ拘束された。
このタイミングなら――
(来やがったなっ……!)
ついに助広が接近してきた。
彼は十字架を振り上げ、攻撃態勢に入っている。
――予想通りだ。
グルーミリィは身をよじって拘束を解こうとする。
しかし明らかに間に合わない。
(おそらくこいつは、まだオレが演技をしている可能性を疑ってやがる)
絶好の機会を前にしても、グルーミリィが罠を仕掛けている可能性を頭に残している。
そう確信していた。
(だからいいぜ。一発叩き込めよ)
ゆえに彼女を許容する。
己の死を。
彼によって致命傷を与えられることを割り切った。
カウンターで彼を殺すために。
今のタイミングで攻撃しても、おそらく躱される。
彼はまだグルーミリィが本当は攻撃できる状態である可能性を疑っているから。
だからその疑いがなくなる瞬間、グルーミリィに致命傷を与えた瞬間を突く。
(今の戦力差なら、死ぬ前に一撃食らわせるくらいの余裕はある)
絶命は避けられなくとも、即死はしない。
たとえ脳を潰されようと、本能で食い殺して見せる。
そう覚悟を決めた。
しかし――
「ッ…………!?」
助広のフルスイング。
振り下ろされた十字架は――グルーミリィに当たらなかった。
彼が十字架を叩き込んだのは――彼女よりも手前の道路。
目測を誤ったなどという凡ミスではないだろう。
だが、予測外。いまだに彼の意図が分からない。
グルーミリィの思考が困惑に染まる。
とはいえ時間が止まるわけではない。
十字架を中心としてヒビが広がり、道路が崩落した。
足場を失い、この場にいる全員が空中へと投げ出される。
「それじゃあ――終わりにしようか」
助広が嗤う。
その視線に、グルーミリィは凍りつく。
(空中で姿勢が――)
足場を失ったことで態勢が安定しない。
こんな状態で攻撃にタイミングを合わせるのは不可能だ。
彼は足場を崩すことで、彼女が反撃する可能性を入念に潰してきたのだ。
グルーミリィの攻撃の起点は口。
言い換えれば、彼女の正面にさえ立たなければ攻撃範囲に入らない。
(仕方ねぇかッ……!)
もう絶好のタイミングなど待てない。
それに、空中で動きづらいのは彼も同じ。
むしろそれを利用して――
「ッッ!」
口をふさぐ触手ごと前方の空間に食らいつく。
空間ごと削りとる一撃。
足場がないここでは――
「なっ……!?」
グルーミリィは目を見開いた。
すでに、目の前に助広はいなかった。
彼はガレキを蹴り、地面に向かって飛んだのだ。
あのまま攻撃してくると予想していたため、彼女はわずかに動揺する。
一方で助広は彼女たちよりも早く地面に落ち、十字架を構えた。
「困ったなぁ」
「こんなにいっぱいの《ファージ》に押し潰されたら死んじゃうじゃないか」
(そういうことかよ――!)
ここに至り、グルーミリィは助広の本当の狙いを察した。
道路は崩落し、グルーミリィを含む大量の《ファージ》は落下している。
そして助広がいるのはちょうど落下地点。
今、グルーミリィたち《ファージ》の軍勢が助広に襲い掛かっている。
(この立ち位置、この瞬間だけは――)
確かに《下級ファージ》たちに助広を害する意図はないだろう。
だが現実問題として、《ファージ》は助広にとって危険な存在となっている。
この瞬間だけ、落下する《ファージ》たちの下敷きになりかけているという今の構図に限っていえば――
(天秤の均衡が崩れる)
ほんの数秒間だけ、『助広VSグルーミリィ&《ファージ》』という図式が成り立ってしまう。
「――《極彩色の天秤》」
助広は十字架を構える。
本能で分かる。
今の助広は、数秒前よりもはるかに強い。
「それじゃあ、終わりにしようか」
助広が体を回転させ、十字架を投げ放った。
大気を巻き込むようなフルスイング。
暴力的な風圧がグルーミリィたちを空中に縫い留める。
追い風を受けて加速する十字架。
「ぎ……がッ……!?」
ぐちゃりと音が鳴る。
それは――十字架が彼女の胴体を切断した音だった。
助広VSグルーミリィが、大体前半部分の最後となります。
それでは次回は『秤の観測者』です。