終章 13話 牙2
「それは……どういう状況なのかな」
助広は問う。
彼の視線の先にはグルーミリィがいた。
彼女の左肩からは血が流れ、腕を伝い地面へと落ちていく。
それは助広がつけた傷ではない。
突如として彼女を襲い始めた《ファージ》。
攻撃のうちの一つが彼女にヒットしたのだ。
元はといえば彼女自身が召喚した《ファージ》だ。
なのに自分が襲われ、傷つく。
(召喚した数が多すぎて制御できなかった……?)
すでに町中には大量の《ファージ》が放たれている。
状況から考えて、犯人はグルーミリィだろう。
だとすると彼女はかなりの数の《ファージ》を呼び出している。
詳細な命令を下していないとはいえ、これほどの数の《ファージ》を操るのには無理があるということか。
結果として制御が甘くなり、襲われることとなった。
助広に勝つための戦力を求めるあまり、身の丈を越えた力を振るおうとした。
そう考えるのは簡単だが――
(あの《ファージ》を制御できていないとして、なぜ僕には一体も襲いかかってこないのかな)
そう。
それだけが気がかり。
制御できていないのなら、無差別に襲わねばおかしい。
そんな違和感がくすぶっていた。
「くはッ……!」
グルーミリィが嗤う。
「さすがに無策で突っ込んでは来ねぇか」
「急いでいるとはいえ、さすがに警戒はするさ」
グルーミリィの態度には余裕さえある。
《ファージ》たちの叛逆も想定外ではないということか。
「良いことを教えてやるよ」
そう彼女は告げた。
「多分、テメェも気づいているんだろうけど。さっきオレが呼び出した《ファージ》は特殊な性質を持ってんだ」
「こいつらは、女しか襲わねぇ」
「なるほど、どうりで僕が襲われないわけだ」
(最初からそういう性質の《ファージ》を呼んでいたってことは――)
「ッ――そういうわけか……!」
助広はグルーミリィの狙いを悟り、一気に後方へと跳ぶ。
今、彼女と戦うのは駄目だ。
だが――
「逃げんなよ」
グルーミリィは高速で助広に迫る。
彼女の手は、助広の襟首をつかんでいる。
「らぁッ!」
そのままグルーミリィは助広の体を道路に擦りつける。
彼の体を数メートルに渡って引きずってゆく。
「痛い、なぁッ……!」
このままミンチになるつもりは毛頭ない。
助広はグルーミリィの腹を蹴り飛ばす。
体重のせいか、彼女の体は簡単に吹き飛んだ。
しかし、それだけ。
グルーミリィにはダメージらしいダメージがない。
それは両者の間に大きな戦力差があるということ。
「テメェの能力は、自分と敵の戦力を均衡させること」
一度、彼女には助広の能力を見せている。
そこからこの方法を思いついたのだろう。
「なら、お前にたくさんの味方がいれば――お前自身の戦闘力は低くなる」
「良かったなぁ。仲間がいっぱいじゃんか」
自ら敵を呼び出すことで、自分が不利になる戦場を作るという手法を。
助広の能力は天秤。
あくまでその力は均衡。
ゆえに、助広が有利な状況では能力が発動しない。
「ちっ」
グルーミリィは舌打ちしながら跳ぶ。
《ファージ》が彼女に襲いかかったのだ。
「まあ、単純な総戦力では均衡が取れてるんだろうな」
グルーミリィは殺到する《ファージ》を的確に処理してゆく。
だが反撃はしない。
あくまで躱すだけ。
もしも敵である《ファージ》を殺してしまえば、戦力を釣り合わせるために助広が強化されるからだ。
「だけど、戦力が釣り合っていても、有利なのはオレだ」
そう断言するグルーミリィ。
そしてそれは正しい。
「オレは、お前さえ殺せればいい」
確かに、現在は『助広+《ファージ》VSグルーミリィ』という構図での戦いとなっている。
しかしグルーミリィ個人として見れば、殺すべきなのは助広だけなのだ。
「ここにいる《ファージ》は100。つまり、今のお前は、俺よりも《ファージ》100体分弱い」
「そんなお前1人を殺せただけで、オレの勝ちだ」
総力戦をしたとして、グルーミリィが勝利するのか、助広と《ファージ》の軍勢が勝利するのか。
それは分からない。
戦力が均衡している以上、勝敗を確実に見通すことは難しい。
だが、グルーミリィが掲げた勝利条件は違う。
たとえ《ファージ》の群れに殺されたとしても、敵の内の1人――助広さえ殺せればいい。
局所的な勝利が目的で、大局的な勝利に興味がない。
自分を狙う100の敵。
1体1体の戦力は、自分よりはるかに劣る。
そんな状況で、敵の内の1人さえ殺せれば勝利。
グルーミリィは平等を謳う能力を逆手に取り、自分が優位に立てる状況を作り出した。
「すさまじい執念だね」
「当たり前だろ」
助広は逃げる。
《ファージ》たちを盾にするように駆けまわる。
助広が攻撃する必要はない。
グルーミリィが言ったように、彼には仲間がいる。
「ちっ……!」
グルーミリィの体に触手が巻き付く。
助広は、彼女が《ファージ》に囲まれやすいように移動していた。
結果として、グルーミリィは死角を突かれたというわけだ。
「悪いね。僕は、君と違って巻き込みを気にしなくていいんだよね」
助広は十字架を投擲した。
標的はグルーミリィ。
しかし、十字架はその軌道上にいる《ファージ》も動揺に薙ぎ払ってゆく。
「あーあ。味方が減っちゃった。これじゃあ、僕が頑張るしかないじゃないか」
味方が減れば、自分自身の戦力を向上させることで補填する。
周囲にいる《ファージ》を殺すほど、助広とグルーミリィの戦力差も埋まってゆく。
だからグルーミリィは《ファージ》を殺さないように戦わねばならない。
だから助広は《ファージ》を好きなだけ巻き込んで戦える。
単純な話だ。
「っせーよッ!」
グルーミリィは口を開く。
彼女の口内からせり上がる黒い化物。
それは大口を広げ――十字架を飲み込む。
十字架だけではない。
化物は見た目から想像もつかない速度で前方の空間を捕食した。
グルーミリィを起点として、前方5メートルほどの空間がすべて彼女の捕食圏内。
「ッ!」
助広はサイドステップで彼女の捕食から逃れた。
何の抵抗もなくコンクリートの道路が抉れてゆく。
もしあそこに留まっていれば、助広は一瞬で肉片へと変貌していただろう。
「……さすがにまったく巻き込まないってのは無理があったか」
体を食いちぎられた《ファージ》の残骸を眺め、グルーミリィはため息を吐いた。
(厄介だねぇ)
グルーミリィを安全に殺すには、《ファージ》の群れに身を隠しながら戦う必要がある。
だが彼女の無差別捕食を前にしたとき、周囲の《ファージ》は障害物へと変わる。
《ファージ》に隠れたせいでグルーミリィの予備動作を見逃したら。
《ファージ》が邪魔で回避動作が遅れたら。
おそらく散乱している肉片の仲間入りだろう。
(随分と僕を殺すために策を練ったらしい)
助広の能力への対策。
それに対し、彼が取るであろう手段の予測。
どれも上手くできている。
(一番楽なのは、彼女が下級たちを皆殺しにしてしまうまで逃げ回ること)
この調子で《ファージ》を巻き込めば、戦力差は縮まる。
完全な対等とまではいかなくとも、一瞬の隙を突けば殺せるくらいにまで戦力が迫れば。
安定して彼女を殺せるという確信はある。
(だけど、それじゃあ長期戦は避けられない)
助広は思案する。
安全かつ素早く彼女を殺せる手段を。
(いっそALICEを呼び込もうか)
町中に《ファージ》を放ったのも、『女』であるALICEが戦場に来ることを防ぐため。
グルーミリ時の作戦の根幹は、呼び出した《ファージ》が有する『女しか襲わない』という性質。
ALICEの介入は、グルーミリィがもっとも避けたい事態のはず。
上手くいけば、ALICEにグルーミリィの相手を押し付けられるかもしれない。
(……それもなしだ。脅威度から考えて、明らかに狙われるのは僕だ)
グルーミリィ1人ではALICEに勝てない。
なら、ALICEが助広より優先して狙う理由がない。
助広が集中砲火を受けることは必定。
助広VSグルーミリィ&ALICE、という形になる以上、彼女たちを殺すことは容易になる。
だが時間がかかるのは目に見えていた。
(参った。この戦場において『自分の戦闘力では脅威にならない』ことさえ利用して作戦を練っているなんてさ)
上級。されど、それ止まり。
彼女は王ではなく、ただの兵士に過ぎない。
標的としての優先度は低い。
言い換えれば――見劣りする。
それさえ利用した策。
(……切り札を出すべきかな?)
3つの切り札の内の1つ。
《極彩色の天秤》が機能不全を起こした事態を想定した切り札。
それを選択するべきか。
(いや――)
助広は内心で笑う。
こんなところで出すのは少々贅沢がすぎる。
(もっとスマートに殺して見せようじゃないか)
(見せてあげるよ。無能な味方は、敵と変わらないという事実をね)
味方が増えると弱くなる。
それが助広の弱点の一つです。
それでは次回は『牙3』です。