終章 8話 意地
「――――――――」
氷雨は倒れ伏していた。
全身が痛い。
爆破による砂塵で視界が潰れているため、自分の体の状態は分からない。
だが深手を負っていることは明らかだった。
(なんとか……即死は避けたが)
爆発の直前、急いで距離を取った。
しかし、そんな努力を嘲笑うかのように爆発は彼女をあっさりと包み込んだ。
狭い路地ということもあり爆風の逃げ場所が限られ、爆発はより大きな威力を発揮した。
とっさに障害物を利用して身を守ったがこの有様だ。
いや。生きていただけマシなのだろう。
一つ対応を間違えていれば、今頃肉片になっていたはずだ。
「ん……くっ……」
氷雨は焦げた地面を這う。
遅々とした動作で氷雨は大通りを目指してゆく。
彼女の手には素体が握られていた。
氷雨ではもう素体を守れない。
こんな路地裏で素体を持っておくわけにはいかない。
せめて人通りのある大通りに素体を投げ込めたのならば。
助広も簡単に手出しはできないだろう。
運が良ければ、爆発音に引き寄せられた野次馬に上手く紛れてくれるかもしれない。
そう信じて、氷雨は足掻き続けた。
「もう無駄だよ」
彼女の背後に、助広が現れた。
彼の体に傷はない。
彼は涼しい表情で、這いずる氷雨を見下ろしている。
「もう逃げられないって」
「ッ……!」
助広が氷雨の背中を踏みつける。
ボロボロの体では抵抗もままならず、彼女の体は地面へと縫い付けられた。
(まだ――)
氷雨は唇を噛む。
まだ大通りは遠い。
霞んだ視界は薄暗い路地しか映さない。
これでは素体を隠すこともできない。
「まだ……だ……」
素体を持つ腕を振り上げた。
黒く焦げついた腕は弱々しく震えている。
それが面白いのか、助広は特に邪魔するわけでもなく笑っている。
「く……そ」
少しでも遠くへ。
そう願い、氷雨は素体を投げた。
宝石のようなそれは低い弾道で飛んで行く。
しかし衰弱しきった腕力での投擲だ。
素体は数メートル先の地面に落ち、転がってゆく。
「あーあ。あれじゃあ、僕が取りにいかないといけないじゃないか」
助広は嘆息する。
彼は頭を掻き、素体に向かって足を踏み出した。
――素体を奪われる。
――守れなかった。
――大切な人が守ったものを、奪われてしまう。
絶望に似た悔しさが氷雨の中で湧き上がる。
そして――
「赦す。私が受け取るとしよう」
声が聞こえた。
女性の声だ。
彼女は素体を手に、好戦的な微笑みを浮かべていた。
闇よりも暗い黒髪を揺らし。
雪のような白い肌をした女性は、愛でるように素体を眺めていた。
「お前は――」
「案ずるな。今回ばかりは、味方をしてやる」
――これを守ればいいのだろう?
女性――クルーエル・リリエンタールはそう問いかけてきた。
そして素体はクルーエルへ。
それでは次回は『敵の敵、あるいは』です。