終章 3話 終末とのエンカウント
妃氷雨は後部座席の窓から外を眺めていた。
今日は、3周年記念ライブへと向けての打ち合わせがあったのだ。
そして打ち合わせが終わったのが先程のこと。
彼女は財前邸へと戻っていた。
「3周年記念ライブ。楽しみですね」
「……ああ。そうだな」
運転手をしている女性スタッフの言葉に氷雨は同意する。
「ALICEのみんなも、世界も大変な時期ですけど……だからこそ成功してほしいですね」
現在、箱庭と呼ばれていた事務所は復興不能なほどに崩壊している。
そのため、スタッフの大部分は休職させていた。
だから、こうして今も働いているスタッフは箱庭の真実に近しい人材――ALICEの裏の役割も知っている者だけだ。
そんな彼女だからこそ、ライブが迫っている今に思うところがあるのだろう。
「すべてを終わらせて、憂いなくステージに立たせてやりたいという気持ちはある。同時に、せめてライブまでは平穏が続いて欲しいという思いもある」
「複雑ですね」
「かもしれんな」
氷雨は腕を組み、背もたれに体重を預けた。
迫る決戦。
しかしALICEの側から能動的に戦いを挑むことはできない。
彼女たちの役割は防衛戦であり、そもそもとして仕掛けるべき敵の居場所さえ分からないのだ。
だから何時、何処で世界の命運をかけた戦いが始まるかも分からない。
そんな生活を強いてしまっている。
気にしていないように見えても、彼女たちも決戦の予兆を感じているはずだ。
何かが起こるという不安感と、積極的に動くこともできないもどかしさ。
そんな生殺しのような現状を早く終わらせてやりたいと思う。
同時に、少しでも彼女たちに準備の時間を与えて欲しいとも思う。
――もしかしたら、全員で一緒にいられるのは最後かもしれないから。
これまでも死と隣り合わせの戦いだった。
だが、今度の戦いはその比ではない。
これまで以上に近くで死神が手招きしてくる。
もしかしたら、などと前置いたがそれは間違いだ。
むしろ、誰も欠けないことこそが奇跡と言っていい確率の戦いとなるだろう。
「…………」
氷雨は胸元に手をやり、強く握りしめた。
思い浮かぶのは一人の男の背中。
力はなくとも、その精神性で《ファージ》の命に迫った男の姿。
もうこの世にはいない――彼女にとって人生と言ってさしつかえない人物。
氷雨は彼――生天目厳樹に人生の半分以上の時間を捧げてきた。
だからこそ、彼が人生において占めていた比率は大きい。
(分からないものですね。生天目社長――生天目さん)
氷雨は目を閉じる。
(《ファージ》を殺すためなら世界を壊しても良いと思って貴方が集めた力は今、世界を守りうる唯一の可能性となっている)
《ファージ》から世界を守りたいなんて思っていない。
世界ごとであろうと《ファージ》を葬ろうという決意があった。
自分と同じ悲しみを他人に味合わせたくないだなんて思っていない。
他人を気遣う余裕もないほど、前だけを見ていた。
そんな狂気的な一途さが、今の世界を作ったのだろう。
(貴方は興味がないかもしれないが。私は、世界が救われて欲しいと思っています)
(少しでも、貴方の悲しみや苦しみに意味を持たせたい)
不幸なんて、きっと知らないほうが良いのだろう。
失敗して成長するより、成功して成長したほうが良いのだろう。
失って気付くより、失う前に気付いたほうが良いのだろう。
しかし、過去は変わらない。
忘れることも叶わない。
悲劇であったことが変えられないのなら、意味のあるバッドエンドであって欲しい。
たとえ慰めであっても、救いが欲しい。
(あの日の貴方の痛みが。今日に至るまでの苦しみが。平和な未来につながっていたのだと思いたい)
氷雨は目を開く。
その瞳には憂いなどない。
(そして、貴方の人生の意味を決められるのは、生きている私たちだけだ)
だから――
「っ!」
そこまで思った時、氷雨の肩がわずかに跳ねた。
脳よりも早く、体が察知した。
(殺気――)
巧みに偽装された殺意が、一瞬だけも漏れた瞬間を。
「止めろッ!」
「え――」
氷雨が指示を飛ばす。
普段はALICEのオペレータもしているだけに、スタッフの反応も早い。
だが、そもそも車は一瞬で止まることなどできない。
響く悲鳴のようなブレーキ音。
タイヤがスリップし、車がスライドする。
「これは――」
氷雨は窓越しに殺気の正体を見た。
それは、回転しながら飛来する十字架だった。
「ッ……!」
そして十字架は、氷雨のいた後部座席を一撃で叩き潰した。
☆
十字架の衝突によりガソリンが漏れたのだろう。
車は激しく炎上し、黒煙を巻き上げている。
「――――」
集まる人々。
全員の視線が壊れた自動車に向けられている。
氷雨はその視線をすり抜けるようにして歩いて行った。
そして迷わずに狭い路地へと入る。
「――いるのは分かっている」
路地に向かって氷雨は問いかける。
殺気の距離、方角。
すでに彼女は、敵の居場所を割り出していた。
「――なるほど」
声とともに返ってきたのは――拍手。
「いやぁ。さすがだね」
路地の角から男が現れる。
黒髪混じりの金髪。
全体的にだらしない印象のある男性。
だがその眼は、どこか他人を見透かしている。
そんな得体の知れなさも内包している男。
「攻撃の軌道から場所がバレないように、上手くカーブをかけたつもりだったんだけどなぁ」
「攻撃の出所を見ていたわけではない。私は、攻撃を仕掛けたお前自身を見ていただけだ」
「怖い怖い。さすがの僕も、そういう言語化できない感覚を正確には掴めないからね。こればっかりは経験の差かな? 僕は本来、研究畑の人間だからさ」
氷雨は男を見つめる。
そこにこもる感情は、殺意。
「私に会いに来たということは、人生を充分に楽しみ終えたということだな?」
「なあ? 神楽坂」
氷雨は殺意を滾らせ、口角を吊り上げる。
そんな彼女を前にして、男――神楽坂助広は涼し気に微笑んでいた。
ついに世界の命運を決める戦いが始まります。
最終決戦第1ラウンドは『妃氷雨VS神楽坂助広』です。
それでは次回は『終末へのカウントダウン』です。