終章 1話 不気味な静寂
「なんつーか、気味悪ぃな」
太刀川美裂はそう呟いた。
彼女は座ったまま背もたれに体を預ける。
「ここ数日、《ファージ》の影も見当たりやしねぇ」
《ファージ》の活動の鎮静化。
美裂の懸念はそれだった。
「とはいっても、まだ1週間も経っていませんわよ」
「だけど、それまでは毎日出てたじゃんか」
美裂の言葉にアンジェリカも腕を組む。
ここ最近は《ファージ》が活発に出現していた。
それこそ毎日、多い時は一日に何度も出撃した。
しかしそれがこの数日止まってしまっている。
《ファージ》の出現の知らせがまったく来ないのだ。
「嵐の前の静けさとも良いますしね……」
彩芽も思うところがあるようで、少し眉を寄せる。
「《ファージ》の側で何か動きがあったんでしょうか……」
(動き……ね)
彩芽の言葉を、蓮華は反芻した。
普段、《ファージ》はこことは位相の違う世界に住んでいる。
だから向こう側での出来事を知ることはできない。
とはいえ《ファージ》の動きに明らかな変化が現れた。
だとしたら、そこに理由があると考えるのが妥当だろう。
「そこのところどうなの? 月読」
蓮華は月読に問う。
彼女は女神からのメッセージを受け取ることができる。
もしも《ファージ》の側で動きがあったのなら、女神を経由して月読に情報が回るはずだ。
「どうでしょうか。わたくしには判断しかねますね」
――あちらも忙しいようですし。
月読は小さくそう言った。
あちら――おそらく女神のことだろう。
今、女神は天を鍛えるための修行をしているという。
何度か蓮華も様子を見に行ったが、最低限しか休めず戦いっぱなしだという。
となれば女神も手が空かないわけで、情報を集められていないのかもしれない。
「天も戻ってこないし、嫌な感じだな」
美裂の言葉。
それはただの予感だろう。
だが蓮華を含め、この場の全員が同じ思いを抱いているという確信があった。
感じるのだ。
これまでにない嵐の予感を。
「問題ないわ」
それでも蓮華はそう断言した。
「アタシたちは負けない。そうでしょう?」
蓮華は窓から外を見つめる。
そこに広がるのは曇天。
灰色の空が続いていた。
「困難かどうかなんて関係ないわ。負けちゃいけないから、アタシたちは負けないの」
蓮華たちが《ファージ》に負けてしまえば、多くの人が死ぬこととなるのだから。
負けるわけにはいかないのだ。
(となれば、アイツも動くんでしょうね)
神楽坂助広。
ALICEを裏切り、敵となった男。
彼もきっとこの戦いに現れるはずだ。
彼の望む『平等』のためには、蓮華たちが所有している女神の素体の破壊が欠かせないから。
素体。
それは女神マリアが現世に干渉するためのアバター。
それがなければ、彼女はこの世界を救うための力を十全に発揮できない。
月読曰く、女神というのは世界を守るためのシステムだという。
その機能には二段階が存在している。
ALICEなどの間接的手段で世界を救う一段階目。
女神が自分自身で世界を救う最終段階。
後者の発動のためには、素体が不可欠なのだ。
素体が失われたのなら、蓮華たちが敗北したときに人間を守れる存在がいなくなってしまう。
――今回だけなら、ALICEが勝利してしまえば問題は起こらない。
そもそも女神の助力が必要な状況を作らなければ、素体がなくても滞りなく平和を取り戻せるだろう。
だが問題はそんなに単純ではない。
たとえ今回は世界を守れたとしても、素体が失われてしまえば遅かれ早かれ人類は滅んでしまう。
大災害。《ファージ》に代わる新たな敵。
そんなものがいつ発生するか分からないのだから。
今回のためだけではなく将来のために。
絶対に素体を守り通さねばならないのだ。
「……天」
(早く会いたいわね……)
天は今、新たな力を身につけようとしている。
彼女はただ前を見て進んでいる。
そのことが誇らしく、少し寂しい。
「なんだ蓮華。好きすぎてつい名前を呼んじゃった的なやつか?」
「!?」
気が付くと、美裂が意地悪く笑っていた。
――無意識に天の名前を呼んでいたらしい。
「――何言ってるのよ。戻ってくる頃には、少しはマシな戦力になっているか心配していただけよ」
蓮華は焦りを押し殺してそう答えた。
少し声が裏返った気もするがバレていないだろう。
「美裂さん。そんな野暮なことを言うものではありませんわ」
「へいへい」
「…………あはは」
美裂だけではない。
なぜかアンジェリカや彩芽も少し不自然な反応を見せる。
――どうにも釈然としない。
「あら。どうしたんですか?」
「……別に」
蓮華は月読も観察するも、彼女からは何も分からなかった。
とはいえ腹芸や心理戦で彼女に勝てた試しがない。
あまり直感はあてにできないかもしれない。
(なんか嫌な予感がするわ……)
メンバーたちの温かい視線に、蓮華は本能的な危機を感じるのであった。
彩芽も、美裂たちから聞いて『天×蓮華』情報は把握しています。
知られていることに蓮華が気づくのは少し先のことになるでしょう。
それでは次回は『奇妙な絆』です。