8章 エピローグ2 灰色の空の下
「……………」
浅い呼吸が続く。
降りしきる雨が白い肌を叩く。
体温は下がってゆくが、雨が降っていたのは幸いだったのかもしれない。
肌を打つ感覚がなければ、とうに意識を投げ出していただろう。
女性――クルーエルは路地裏に倒れこんでいた。
外傷はすでにない。
しかし無茶な能力行使のせいで内臓まで傷ついていたこともあって、治療のために影を使い果たしてしまった。
さらに体力も底を尽き、動くこともできない。
今のクルーエルは普通の人間と変わらないほどに衰弱していた。
唯一の幸運は、助広が現れなかったことだろう。
さすがに彼もクルーエルがどこに転移したかを確かめることはできないらしい。
「…………限界、か」
意識が薄れてゆく。
このまま気を失ったとして、自分がどうなってしまうのかは分からない。
必死につなぎとめていた糸もついに切れようとしていた。
パシャリ……。
そんな時、音が聞こえる。
水たまりを踏んだ音だ。
「…………?」
クルーエルは倒れたまま目線だけを上げる。
視界がぼやけて良く見えない。
しかしそこには人影があった。
かなりの長身。
体格からして男だろう。
「……怪我はないようだ」
男の手が肌に触れる。
聞いたことのない声だった。
男はクルーエルの肌に触れる。
しかしそれは優しく、彼女の体を労わっているように思えた。
「病気なのか?」
男が尋ねてくる。
彼の声は、彼女を心から心配していた。
「……違う」
クルーエルはそれだけを絞り出す。
病院などに放り込まれては困る。
どこからALICEや助広に情報が回るか分からない。
「そうか――」
「帰る場所はあるのかね?」
「…………」
帰る場所。
「もう……ない」
もう、壊れてしまった。
「……そうか」
クルーエルの言葉に込められた感情を正確に察したわけではないだろう。
それでも男性は深く問わなかった。
「それでは、俺の家に来るといい。このままでは風邪を引いてしまう」
クルーエルの体が浮く。
背中の膝の裏に腕が回され、持ち上げられているのだ。
ゆりかごのように揺れる。
男はクルーエルを運ぼうとしているようだ。
(……なんのつもりだ)
彼がどんな意図をもってそうしたのか分からない。
これからどうするつもりなのかも。
(まあ……よい)
どうせ体も動かない。
たとえ彼女にとって不利益な企みがあったとして、この場でそれを打ち砕くことはできない。
そう思い直し、クルーエルは意識を鎖した。
はたしてクルーエルを保護したのはどんなグレイトフルな男なのか……。
それでは次回は『喰らった屍の上でオレたちは生きている』です。