8章 18話 こぼれおちるもの
反転世界。
それは世界の裏側にあるもう一つの世界。
影の世界。
影。
そう。この世界は、クルーエルのための世界だ。
この世界は影。
つまり、影を操る彼女なら――
「…………!」
クルーエルは口の中にあった影を伸ばす。
高速で伸びた影の槍は助広を狙う。
おそらくこの一手が、初めて彼の意表を突いた。
「くっ……!」
わずかに目を見開き、助広は後方に跳ぶ。
しかし影が彼の肩を貫いた。
赤い血液が戦場に散る。
しかし、そんなことにクルーエルは目もくれない。
「あああああああああああああああああああああああああッ!」
ただ叫ぶ。
鼻から血を流すほど全力で。
(この世界は――私の影でできている)
(だからこの世界は、私の意志で壊せる)
突如、世界の崩落が始まった。
床が、壁が、天井が、世界さえも。
すべてがヒビ割れてゆく。
この世界は彼女の影で作られている。
消滅の能力こそ有していないが、彼女の意思次第で操作できる。
だから城一つを破壊することさえ容易い。
とはいえリスクがないわけではない。
「ごぶっ…………」
クルーエルの口から血の塊があふれた。
彼女の能力では操れない容量の影を無理に操作しているのだ。
その皺寄せが体に襲いかかってくる。
(すまない)
クルーエルは謝る。
最期までともにいた我が子たちに。
(お前たちの死体を、弔ってやれそうにもない)
一度壊してしまえば、反転世界は戻らない。
仲間たちの死体は、世界とともに消え去ることだろう。
力に制約のかかったクルーエルでは、再び世界を構築することなどできない。
だから今からすることは、自ら安住の地を放棄するということ。
生き延びるため、故郷を捨て去るということ。
命以外のすべてを捨てるということ。
だがもう戻れない。
すべてを――壊す。
「崩れろ」
主の号令に従い、世界は崩落してゆく。
「まさかここまでやるとはね」
助広は崩れる床を蹴り、壁に捕まる。
しかし壁さえも崩れ、彼はさらに跳び移ってゆく。
すでにクルーエルの周囲にある床は崩れており、助広の接近を許さない。
「なるほど。君の天秤は、誇りに傾くんだね」
助広は嘆息する。
そして、笑った。
「良いよ。君はそれで良い。僕ももう、君を説得するのは諦めよう」
呆れるように彼は笑う。
助広は頭を掻くと、虚空へと手を伸ばす。
指先を中心として空間が波打つ。
その波紋は半径1メートルほどの円となり世界を揺らしている。
「世界の崩落だなんて、さすがに僕の能力でもどうにもならないからね。帰らせてもらうよ」
助広の腕が波紋の向こう側へと消えてゆく。
きっとあれが、彼の用意したゲートなのだろう。
「それじゃあ、さようなら。運命に流されるだけの、それを許容してしまった影の王女様」
助広の体が消えてゆく。
きっと彼は人間界に帰ったのだろう。
反転世界にはクルーエルだけが取り残された。
☆
「これで終わりか……」
クルーエルは静かに呟いた。
彼女は疲れたように天井を見上げている。
すでに壊れかけた天井から夜空が見えた。
(私にとってこの世界だけが安息の領地)
この世界は彼女の影で作られた世界。
彼女が、彼女たちのために創り上げた安息の地。
だからこそ、ここは《ファージ》の肉体に回復を促す。
(あちらの世界は、私の体への負荷となる)
(おそらくあの世界で休眠したのなら、もう私は目覚められない)
1年の活動期間。
1年活動すると、クルーエルの体が急激に衰弱する。
ゆえに彼女はこの世界で、1000年かけて体を癒すのだ。
しかし安息の地は自らの手で破壊してしまった。
だからこそ、これまでのように1000年で目覚めることはできない。
あるいは、それが最後の眠りとなってしまうかもしれない。
この瞬間、彼女の命のカウントダウンが始まったのだ。
(だが、構わない)
あと1年。
それは、クルーエルが意識を保てる時間。
それでもいい。
(神楽坂助広)
クルーエルは助広が消えた場所を睨んだ。
仲間を、子供を殺した男。
「――必ず、お前は殺す」
怨嗟を吐く。
自分が終わるときまでに、彼を殺す。
「赦すことはない」
ついにクルーエルの足元が崩れた。
崩れた先には闇だけだ。
だが恐れる必要はなかった。
この闇は、彼女自身なのだから。
クルーエルは闇に落ちてゆく。
影が彼女を包んでゆく。
影は球体となり、世界から消えた。
そこにはもう、クルーエルの姿は存在しない。
戦いの場は人間界へと移ります。
そして始まる最終章『デッド・オア・ラストライブ』。
それはALICE、《ファージ》、神楽坂助広の三つ巴となります。
ALICE →人間を守るため→《ファージ》
→世界の要である素体の保護→神楽坂助広
《ファージ》→矜持を曲げないため→ALICE
→死んだ仲間への弔い合戦→神楽坂助広
神楽坂助広 →素体を破壊したい→ALICE
→積極的には仕掛けないが自衛はする→《ファージ》
3つの陣営のスタンスはこんな感じでしょうか
それでは次回は『世界が終わる前に』です。