8章 16話 運命の皿
「はい。ちゅどーん☆」
「きゃぁっ!?」
後頭部を矢が掠めた。
天は転びそうにながら草原を駆ける。
「ぬふふふふふっ……! 天ちゃんが今すっごい可愛い悲鳴あげたの聞いちゃったぁ☆」
「うっせぇ!」
天は全力疾走しながら叫ぶ。
そんな間にも、マリアは再び天へと照準を合わせる。
「《原色の女神》」
マリアの手元から――矢が消えた。
「っひ……!」
今度は矢が天の頬を掠めた。
引きつった悲鳴が漏れる。
さっきからずっとこうだ。
矢が放たれる瞬間が見えない。
マリアが能力を使うたび、矢が天を掠めるのだ。
いや、掠めるだけにとどまっているのは天が全力で躱しているからだ。
もし足を止めてしまえば、矢は天の側頭部を貫くことだろう。
「ああもうッ! 手加減なさすぎだろぉッ! 死んだらどうすんだよ死んだら!」
「死んだら転生させてあげるよぉ☆」
「死生観狂ってんのかお前!?」
「死んだら、もっと優秀な天ちゃんになるまで転生させてあげちゃうよぉ☆」
「ガチャ感覚で人の体を厳選してんじゃねぇッ!」
「目指せGカップ金髪美女☆」
「しかも胸のサイズ厳選してんのかよッ!」
天は反撃どころか逃げ惑うだけだった。
ジグザグにマリアと距離を取る。
それでも矢は体を掠めてゆく。
(このまま逃げてたら、マジでもう一回転生することになっちまう……!)
まだ戦いが始まって半刻と経っていない。
だが一瞬も止まれずに走り続けている。
いずれ体力が尽きてしまうのは目に見えていた。
(ここは攻撃に――)
天は急ブレーキをかけ、マリアへと転換し――
「《象牙色の――》……!」
掠めた矢が、天の耳を裂いた。
裂けた耳たぶから血が垂れる。
痛みによって急速に頭が冷めてゆく。
攻勢に出ようとしていた気持ちが一気に萎えてゆく。
「ぁ――」
「天ちゃんダメだよぉ☆」
「そんなに不用意に攻めると――殺しちゃうぞ☆」
「ちょっと、甘やかしすぎちゃったかな?」
マリアの手元に、5本の矢が創造された。
「難易度アップだよ☆」
☆
「運命って残酷だよね」
助広は笑う。
「でもこれは、君も悪いんだよ?」
十字架が床に擦れて嫌な音を鳴らす。
「僕はちゃんとチャンスをあげたんだから」
十字架から血が垂れている。
その血は、クルーエルの仲間たちのものだった。
「なのに君たちは誇りを選んだ」
「運命を変えることを諦め、誇りを抱いて自己満足のままに死ぬことを選んだんだ」
「その結果がこれだ。クルーエル・リリエンタール」
助広は告げる。
唯一立っている《ファージ》――クルーエルへと。
すでに彼女以外の《ファージ》は助広に討たれていた。
ほんの少しの綻びを突き、次々に仲間が倒れていった。
それだけではない。
すでにクルーエルが纏う影も減りつつある。
すでに影の衣の中でも、両袖にあたる部分は消失していた。
「まあいいさ。君たちが選んだ未来なんだ。僕は尊重するよ」
助広は嘆息する。
「人生は理不尽の連続さ。才能があっても運に見放されたら何も掴めない。優しさに溢れていても、取るに足りない悪意によってすべてを奪われる」
助広はクルーエルを見据える。
「僕はね、そんな世界に納得がいかないんだ」
彼の目には虚しさが宿っていた。
「納得。そう、納得なんだ。幸せになれるかどうかなんて関係がないんだ。人生において大事なのは、納得できることなんだ」
彼はそう説く。
「失敗しても良い。奪われても良い。ああ『努力が足りなかった』、『才能が足りなかった』、『もっと人の意見を聞くべきだった』……そうやって後悔できたら良いんだ。失敗でも、納得できる理由があったなら良いんだ」
彼は唇を噛む。
「『運が悪かった?』『最初から運命で決められていた?』――納得できるわけがない。僕は、そんな釈然としない理由が敗因となる世界が嫌なんだ」
「僕は、納得のできる戦いを提供したいんだ」
助広はクルーエルに手を伸ばす。
「今からでも良いよ。僕の手を取ってほしい。平等な舞台で、納得のいく戦いをしようじゃないか」
助広が握手を求めてくる。
彼は心から望んでいるのだ。
クルーエルが彼の手を取ることを。
望んでいるのだ。
「ふざけるなッ!」
だがクルーエルはそれを振り払う。
影の伸ばし、助広の命を狙う。
しかし助広は身軽な動きで影を躱していった。
「我が子を奪われッ! お前などに従うことなど赦せるわけがないだろうッ!」
クルーエルは激情をたぎらせる。
もはや助広を殺すべき敵でしかない。
「お前は絶対に殺す」
「私の――誇りにかけて」
ちなみにマリアの使う《原色の女神》は《不可思技》ではありません。
とはいえALICEそのものが女神による技術提供だと思えば、厳密には《不可思技》の原形といえなくもありません。だからこそ『原色』です。
それでは次回は『誇りの皿』です。