1章 15話 レッツ・レッスン
「まだ先だったんじゃないのか……?」
そう天は呟いた。
彼女がいるのは――レッスンルーム。
鏡になった壁、広い部屋。
それこそ複数人でダンスをしてもなんら問題のない一室。
「天ちゃんがここに馴染むのにも時間が必要だと思っていたからね。早く打ち解けてくれて嬉しい誤算だったよ。日程を想えば、あまり余裕がなかったからね」
そう笑うのは中年男――神楽坂助広だ。
「日程?」
「そうさ」
助広はにやつく。
「――――ライブのね」
「!」
ライブ。
その意味が分からないほど阿呆ではない。
「具体的には?」
「一カ月後だね」
「………………」
――天はアイドルについて詳しくない。
だから正確なことは分からない。
しかし想像はつく――
「……ギリ……セーフすか?」
天は視線の先にいた彩芽に尋ねた。
彼女は微笑むと。
「ほぼアウトです」
そう言っただけだった。
やはり無茶なスケジュールらしい。
「幸いALICEは身体能力が高いからね。ダンスのほうは問題ないと思うよ」
助広がそう言って手を叩く。
それがレッスン開始の合図だった。
☆
結論から言えば、助広の目論見は外れていなかった。
いや、この場合、外れて『は』いなかったというべきか。
確かに天の身体能力は高く、動きが追いつかないということはなかった。
それだけではない。
美少女は容姿だけを示す言葉ではないのか、天の声は透きとおっていた。
不慣れゆえに危うくはある。
だが伸びしろを感じさせる歌声だった。
しかしアイドルは踊るだけのダンサーでも、歌うだけの歌手でもない。
それらを両立してこそアイドルのパフォーマンスとなるのだ。
端的にいえば――
「ほら。無言になってるよ」「分かってるっつーの……!」
「今度は動かなくなってるよ」「分かってるしッ……!」
踊りに集中してしまえば歌が止まる。
歌に集中してしまえば踊りを忘れる。
単体ならば危うげながらも成立していたことが、同時並行となった瞬間に崩れてゆく。
どちらも中途半端になり、出来上がるのはボロボロのパフォーマンスだ。
「って――できるわけねぇだろッ!」
「ふぐッ!?」
天はジャージの上着を助広の顔面に叩きつけた。
「まだ歌もダンスも昨日見たばっかなんだぞ……!?」
転生二日目。
天に渡されたのは歌詞カードと楽曲が収録された端末であった。
そして今日が三日目。
つまり、天はまだこの曲を聞いてから一日しか経っていない。
正直、たまに歌詞が忘却の彼方に飛んでしまう。
「じゃあサビからもう一回」
「無視か!? 無視なのか!?」
再開する音楽。
抗議する間さえ与えられない展開に天は悔しげに唇を噛みつつも――
「っく、ぁ、ちょ……『もう一つの誕生日はね? 君が――』」
紡がれる歌声。
楽曲名は『もう一つのBirthday』。
主人公は恋する女の子。
好きな人ができて、自分も知らない自分に気付くお話。
想像よりも臆病で、想像よりも我儘。
生まれたててで、器用な駆け引きもできない自分。
そんな少女が、不器用ながらも想いを伝える恋の歌。
初々しく、アイドルらしい曲だ。
「『生まれてきた意味はね? 君には言えないんだよ』」
しかし――
「『言えるなら、こんなに胸が痛いわけ――~~~~~~~~~~!?』」
「ほら。自分で歌ってて照れちゃ駄目じゃないか」
甘酸っぱい恋心を歌うのは、天にとって難易度が高すぎた。
それも好きな『男性』に向けた歌だ。
天の頭がショートする。
(なにが楽しくて男にラブソングを歌わないといけないんだ……!?)
曲自体に不満はない。
これを歌うALICEたちはきっとファンを虜にするだろう。
だからこそ、これを観客として聞けたらどれほど幸せだったか。
男である自分が、観客たちにラブソングを捧げる。
――眩暈がした。
☆
「…………」
レッスンが終わった。
天の大切なものを削ぎ落として。
「おー。魂抜けてるなこりゃ」
美裂は手を振り、天の意識の有無を確認する。
「ダメだな。目が死んでる」
「それは見れば分かりますわ」
床に四肢を投げ出した天を美裂とアンジェリカが覗き込んでいた。
「…………好き勝手言いやがってぇ」
天は呻き混じりにそう言った。
肉体よりも精神が疲弊している。
ラブソングの無限ループ。
しかも中身は少女の甘酸っぱい初恋物語。
――心が死んだ。
「ば……バックダンサーとか駄目なんすかね……?」
「そんなのいませんわ」
「お前根性あるなぁー。アタシたち4人が歌ってる中、後ろで1人黙々と踊るとか普通に拷問だろ」
――否定できない。
もはやそれは辱めだろう。
踊りだけなら大丈夫かとも思ったが、そう上手くはいかないらしい。
「とりあえず、今日はゆっくりお休みになったほうが良いと思いますわ」
「ま……超ギチギチのスケジュールだしな。休まないと死んじまいそうだな」
ライブでは一人で歌うわけではないのだ。
他のメンバーと歌声を、動きを合わせる必要がある。
自分一人で完璧なパフォーマンスができるのは大前提。
息を合わせる時間が必要な以上、一人での練習のために費やして良い時間はそれほど長くない。
「くぅ……早くシャワー浴びたい。そして寝たい」
天は汗でドロドロになった体をよじる。
鼻孔をくすぐるのは汗のにおい。
ただ意外と不快感がない。
汗臭いという印象はそれほどなく、むしろちょっといい匂――
(って、自分の汗の臭いに反応するってダメだろ……!)
もしもこれが自分の汗でなければ「女の子ってこんな匂いが――」みたいなことを考えていたのかもしれない。
そんな自分に激しい嫌悪を抱く。
救いようのない変態になってしまった気分だ。
「あー……。気持ちは分かるけど、寝るのは後になりそうだな」
美裂は頭を掻く。
「そういえば今日でしたわね」
「?」
美裂の言葉の意味を理解しているらしいアンジェリカ。
一方で、天は疑問符を浮かべる。
そんな彼女の様子を見たからだろう。
アンジェリカは胸に手を当て、誇らしげに告げてくる。
「今日は、ライブ衣装が完成する日ですのよ」
(ライブ衣装……!)
――天の心へとトドメを刺す言葉を。
主人公がアイドル
→アイドルなら歌わなきゃ
→歌詞を載せるのはアウト
→自分で書いたろ
→これはひょっとしてライブのたびに新曲を書く流れでは……?
と、オリジナル楽曲なのでご安心を。
それでは次回は『ライブ衣装を着てみよう』です。