8章 8話 世界の影2
影の世界。
漆黒の城を金髪の少女は歩いていた。
彼女――グルーミリィ・キャラメリゼは廊下の突き当りにある扉の前で立ち止まる。
彼女が扉を押し開ければ、そこには謁見室があった。
長い部屋の奥にある玉座。
しかしそこに座る者はいない。
ただ、玉座の上には影の繭が浮かんでいた。
「調子はどうだ?」
グルーミリィは、繭を見上げている少年へと問いかけた。
すると少年――ジャック・リップサーヴィスは振り返って笑う。
「ミリィちゃんの顔が見られて元気になっちゃったよ」
「お前の調子じゃねえ」
グルーミリィは吐き捨てた。
だがそんな反応をも面白いのか、ジャックは笑みを深める。
「ねぇねぇミリィちゃん。元気になったのは上だと思う? 下だと――」
ジャックはグルーミリィの顔をのぞき込み、彼女の周りを回る。
「死ね。質問に答えてから死ね」
かなり不愉快だった。
しかし、グルーミリィが吐いた毒もジャックにとっては取るに足らないらしく――
「まったくヒドいなぁ。お互い、口から生まれたような存在だっていうのに」
「一緒にしてんじゃねぇ」
グルーミリィの『食う』能力と、ジャックの『語る』能力。
どちらも口にかかわる能力という意味では似通っている。
だが、一緒にされたくはなかった。
生理的に。
「良いじゃないか。女の子の口は、上手に越したことはないさ。そういう意味で、ミリィちゃんは本当に吸引力が――」
「質問に答えなくていいから今すぐ死ね」
口を開くたびに繰り出される猥談には嫌気がさす。
これで、殺すに殺せないだけの強さを有していることも不愉快極まりない。
「それにしても難儀な体だねぇ」
苛立つグルーミリィをよそに、ジャックは影の繭へと視線を戻す。
「目覚めても、現実世界に適応するにはさらに時間が必要だなんてさ」
あの繭の中にいるのは、《ファージ》の王であるクルーエル・リリエンタールだ。
彼女は1000年周期で目覚める。
だが、目覚めた瞬間から万全の状態とはいかない。
ああやって体をこの世界に馴染ませねば、人間の世界では活動できないのだ。
彼女が肉体の調整に入って二ヵ月。
もうそろそろ、本調子となる頃だと思うのだが――
「あ。あと胸が大きいから肩凝りそうだよね。ね? ミリィちゃん」
ふとジャックはそんなことを言い出した。
確かに、クルーエルは肉感的な肢体を持っている。
言うまでもなく、胸元の果実は豊かに育っている。
とはいえ、そこに嫉妬心は特にないのだが。
「は? なんでオレ「ね? ミリィちゃん」……別に、オレは乳のデカさとか「ね? ミリィちゃーん」――お前、オレがコンプレックス発言するまで食い下がる気か?」
「ね? ミリィ――ん? 何か言った?」
「オートで繰り返してただけかよっ!」
自分で言っておいて、グルーミリィの返事に興味はなかったらしい。
「あ。安心して良いよ? 僕って、女の子なら誰でも良いから」
「ストレートなゴミカス発言してんじゃねぇ……」
「あー。でも強いて言うなら、辱めがいのある子が好みかな?」
「ゴミの上塗りしやがった」
貴重な同族でなければ、その場で殺しにかかっているところである。
だが王の――母の前で殺しあうわけにもいかないだろう。
「おやおや。もうすぐみたいだ」
ジャックは繭をみて笑う。
そして、唱えた。
「《解けろ》」
彼の能力は言葉の現実化。
彼の言葉により、影の繭が解かれた。
球状の繭にヒビが入る。
ヒビは広がり――砕けた。
「お加減はいかがですか陛下?」
「――悪くない」
繭の中から女性が生まれ落ちる。
影のような黒髪。
雪のような白い肌。
美しい女性がそこにいた。
「ジャック。良い寝屋であった」
「ありがたいお言葉です」
ジャックは膝をつき、恭しい態度でそう言った。
彼がこんな風に喋るところを、グルーミリィは初めて見た。
「お前。まともに喋れたのかよ」
「口先から生まれた身だからね。口先だけの発言は大得意さ」
「……こいつ不敬罪で処すべきだろ」
どうやら口先だけの発言だったらしい。
予想はついていたが。
「あれ? もしかして、もう準備できちゃった感じですか?」
「我々の正義を貫く時が来たようだなッ」
王の目覚めを察知したのだろう。
二人の男女が現れる。
赤髪を尻尾のような三つ編みにした少女――レディメア・ハピネス。
筋骨隆々とした男――マスキュラ・レスリング。
二人もグルーミリィと同じく上級の《ファージ》だ。
「――揃ったか」
揃う部下たちにクルーエルは満足げな表情を見せる。
「ようやく、忌まわしい制約は失われた」
見ているだけで分かる。
覚醒直後と比較して、クルーエルの力が増している。
これまでの圧倒的な力さえ未完成だったのだと分かる。
「せっかくだ。ディナーに征くか?」
クルーエルはそう誘う。
彼女の所作からは色香が滲んでいた。
妖艶な我らの王。母。
それに従わない理由があるはずもなく――
「ディナーも良いけれど――」
声が降り注いでくる。
聞き慣れない男の声だった。
「僕からのプレゼントを受け取ってくれるかい?」
「……誰だ?」
クルーエルは目を細め、声のした方向を睨む。
暗い通路。
影の中から男性が現れた。
黒の混じった金髪。
男――神楽坂助広はへらりと笑う。
「名乗るほどの者でもないよ」
「快気祝いを渡しに来ただけの、弱い者の味方さ」
助広が《ファージ》と接触しました。
それでは次回は『運命と誇りの天秤』です。