8章 3話 天と彩芽
「ふぅ……」
天は息を吐く。
あれから、蓮華と月読は訓練室へといってしまった。
せっかくなので今後も使うであろう訓練室を見るため、天も同行しようとしたのだが二人に追い出されてしまった。
――女同士の戦いに男は立ち入ってはいけないらしい。
久しぶりの男性扱いも釈然としないものだった。
「それにしても広いな」
天は周囲を見回す。
彼女がいたのは庭園だった。
見回す限りに様々な花が咲いている。
これだけの庭園だ。
おそらく業者が頻繁に手入れしているのだろう。
天はあてもなく歩いてゆく。
八千代から自由に出歩いていいと言われている。
しかし想像よりも広い。
見取り図のようなものを貰っておいたほうが良かったかもしれない。
「あ……」
そんなことを考えていると、天は見慣れた人物を見つけた。
彼女は艶やかな黒髪を垂らし、しゃがんでいる。
少女――生天目彩芽が見ているのはスノードロップの花であった。
白く可愛らしい花が頭を垂れている。
「彩芽も花を見てたのか?」
「あら……」
天の存在に今気づいたのだろう。
彩芽が少し驚いた様子でこちらを向いた。
しかしすぐに彼女は花へと視線を戻し――
「はい。こんなにいっぱいの花はなかなか見れませんから」
彩芽は目を細めてスノードロップを撫でる。
そのスノードロップは……枯れていた。
「いくら手をかけていても、花のすべてが綺麗に咲けるわけではない。こうやって、朽ちてしまう花もある」
きっと丁寧に手入れされているのだろう。
だがこれほど広大な庭園だ。
いくら手をかけても、零れ落ちてしまう生命はあるのだろう。
「《黒色の血潮》」
スノードロップが再生してゆく。
枯れかけていた花は活力を取り戻し、かつての姿を取り戻す。
「良かった」
「彩芽……?」
天は彩芽をのぞき込む。
彼女が使った能力はダメージシフト。
他人の傷を自分に。自分の傷を他人に。
そんな力だ。
「大丈夫か?」
彩芽の中指が虫食いのように欠けていた。
朽ちかけた花のダメージを自分に移したからだろう。
血が地面へと落ちてゆく。
「ええ。大丈夫ですよ」
微笑みながら彩芽は近くの小石に触れた。
砕ける石。
同時に彩芽の指が再生してゆく。
「………………」
(元気に、ってわけにはいかないか)
覇気のない彩芽の目を見て思う。
助広の離反。
それに伴い崩壊した箱庭。
幸いにして、被害を受けたのは一人。
だがそれは、彩芽にとって最悪の形のものだった。
生天目厳樹――父の死亡からまだ日も経っていないというのに、元気に笑えるはずもない。
「彩芽」
「はい?」
「俺たちは仲間なんだ。ちゃんと、頼ってくれていいんだぞ?」
そう言うことしかできなかった。
いつも通りに戻れるのか。
ずっと失意に沈み続けるのか。
憎しみの刃を手に取るのか。
それは分からない。
それでも、彼女を一人にしておくわけにはいかない。
独りなのだと、思わせるわけにはいかない。
「うふふ……ありがとうございます」
そう彩芽は力なく微笑む。
彼女は手を伸ばす。
傷一つない手は、天の頭を撫でた。
「大丈夫ですから。もう少しだけ待っていてください。もう少しで……戻れますから」
――いつも通りに。
きっと彩芽には天の考えなどお見通しなのだろう。
だからこれは彼女の宣言。
復讐に走らないという宣言だ。
「みんなで世界を救って……またライブをしましょう」
復讐をゴールにして欲しくない。
それは、天がかつて彩芽に抱いた思いだった。
復讐が終わればどうでも良いだなんて思わないで欲しい。
もっと先の自分に、光を見出していて欲しい。
そう思っていた。
今の彩芽なら、大丈夫だろう。
怒りも憎しみもきっとあるのだろう。
ないわけがない。
それでも、彩芽はそのためにすべてを捨てたりはしない。
天たちと歩む未来を見失ったりはしない。
それが分かっただけでも良かった。
「ああ。分かった。もう少し待ってるよ」
天は小さく笑う。
「気持ちの整理が終わったら、彩芽のクッキーが食いたいな」
「はい。ここはオーブンも高性能でしたし、わたしも焼くのが楽しみです」
「そっか」
二人は笑いあう。
だが彩芽はわずかに考え込む様子を見せた。
「そういえば……わたしよりも蓮華ちゃんが心配ですね」
「蓮華がか?」
天は首をかしげる。
彼女の目から見て、蓮華に大きな異常は見られない。
それとも天が鈍感なだけで、蓮華に異変が――
「ここ最近、蓮華ちゃんが夜になると部屋に戻ってこないんですよね……。体の調子は良さそうに見えるんですけど……思い詰めていないか心配です」
以前から蓮華は不眠の症状を抱えていた。
そのせいで一時期は体調を崩すほどに。
原因は強すぎる責任感。
すべてを背負い、その重さが彼女を蝕んでいたのだ。
「一時期はちゃんと眠れていたみたいだっただけに、蓮華ちゃんの状態が悪化していないかが気になっていて……」
彩芽は蓮華の不眠を気にかけ、手を尽くしていた。
だからこその不安だろう。
とはいえ――杞憂なのだが。
「蓮華ちゃんのことだから、もしかしたら夜も訓練を――」
「いや。俺のベッドで寝てるから問題ないと思うけど」
「………………」
彩芽が目を丸くした。
「…………やべ」
さすがに彼女の表情を見れば、自分のした失言に気付く。
天の背中を汗が流れた。
「え……えっと」
「よ……夜の合同訓練ですか?」
「ち……ちぎゃいます」
噛んだ。
地の文「少女――生天目彩芽」
天「少……女……?」
彩芽(20)「……………………」
それでは次回は『天と美裂とアンジェリカ』です。