8章 1話 処遇
「天宮。瑠璃宮。そして月読。三名に個別で事情を聴いたところ、矛盾点はなかった。よって、お前たちの言い分が正しいという前提で判断させてもらう」
氷雨はそう宣言した。
現在、ALICEのメンバーは一室に集められていた。
半刻ほど前までディナーを行っていた一室は、真剣な空気に包まれた会議室となっている。
しかしそれも当然だろう。
今から決めることは、それほどに重大なことなのだから。
――月読の処遇。
他にも論題はあるが、最大の論点はそこだろう。
ALICEであり、箱庭を抜け出した少女。
彼女に対し、どう対応するか。
「正直、釈然としない部分もある」
氷雨は嘆息する。
――月読が箱庭を抜け出した事情はすでに説明している。
しかし女神関連についての話はしていない。
転生や女神など、そのあたりを説明することは難しかったからだ。
転生経験者同士ならともかく、言葉だけで説得することは難しいだろう。
しかし女神がいる世界に氷雨を連れていくこともできない。
女神がいるあの世界は、女神が特別に手をかけていた天、蓮華、月読の三人しか入れないそうなのだ。
――つまり氷雨の視点では、月読は『なぜか』世界を守るために素体が必要だと気付き、『なぜか』箱庭に敵がいる可能性を察知したことになるのだ。
そのあたりの違和感が引っかかっているのだろう。
「正直、無条件に信じることは難しいな」
「そうでしょうね」
月読は氷雨の意見を肯定する。
生天目厳樹が死亡し、神楽坂助広は離反した。
現状において、妃氷雨は箱庭のトップだ。
それゆえに慎重な判断が求められる。
苦しい今だからこそ、とんでもない爆弾となりうる存在を簡単に信じるわけにはいかない。
「とはいえ、そういう意味ではアイツの裏切りが逆説的な証明となったな」
氷雨は不快感をあらわにし、舌打ちする。
あれは月読に向けられたものではなく、助広に向けられているように思えた。
氷雨、助広。そして厳樹。
この三人からすべては始まったのだ。
なんの光明もない暗闇を駆け抜け、《ファージ》と戦う術を手にしたのだ。
その一人が殺された。しかも、仲間の手で。
氷雨の心中は察することさえできない。
ただ壮絶なものであることは確かだった。
「事実として箱庭に裏切り者がいた。そして、お前たちは助広が隠し持っていたものを見つけた直後に襲撃された。まあ演技の可能性もあるが、天宮に至ってはほんの少し対応が遅れていたら死んでいた」
――当時の天は致命傷を負っていたという。
それこそ脳の半分近くが物理的に破壊されるほどに。
「だから、一応のところは信じよう」
それが氷雨の結論だった。
100%の信頼ではない。
しかし暫定的にでも月読の事情を信じることにしたのだ。
(なんとか最悪の事態は避けられそうだな)
天は内心で安堵する。
もしも氷雨が月読の話をまったく信じなかった場合。
最悪、月読は殺される。
良くて拘束といったところだった。
だが氷雨の話を聞く限り、処刑されることはないだろう。
「月読」
「はい」
「今回の件で、お前が我々と別行動をする理由はなくなったわけだ」
月読が箱庭を抜けたのは、箱庭の中に敵がいるから。
行動を制限される可能性、背後を狙われる可能性。
それらを吟味し、箱庭を離れたのだ。
しかし敵の正体が露見し、箱庭を離反している現在。
月読が警戒しなければならない事情も少ない。
「私は、お前を戦力として数えたいと思っている」
――構わないか?
氷雨はそう確認する。
彼女は月読を心から信頼してはいない。
だからこそ、月読に最終決定を委ねたのだ。
彼女自身が決め、ALICEと合流することを望んだのだ。
「ええ――そのように考えていただいて構いませんわ」
月読はそう首肯した。
「もう事態は動き出していますから。わたくしたちも、各々で動くべきではないでしょう」
月読はそう付け加えた。
これまで彼女は戦いの外部から干渉し、世界を救う方法を模索していた。
だが敵の正体を知り、世界を救うための道程も見えた。
ここから必要となるのは団結だと彼女は判断したのだろう。
「皆様が認めてくださるのなら、わたくしは再びこの場所で戦いたいと思います」
月読は視線を巡らせる。
ここにいるのはALICE全員だ。
月読について知らないメンバーもいる。
しかし彼女たちの同意なしで、月読の合流は押し通せない。
「あー……良いんじゃね?」
最初にそう言ったのは美裂だった。
彼女は興味なさげに言うと、ギザギザの歯を見せて笑う。
「危険分子っていうなら、アタシのほうがよっぽどだしな」
太刀川美裂。
彼女は生前――殺し屋をしていた。
国家の害となる人間をターゲットにした暗殺を行っていたという。
そんな過去を持つからこそ、美裂は他者の過去について偏見を持たない。
自分自身が、受け入れてもらいにくい過去を背負っているから。
ゆえに、最初に月読を受け入れると決めたのだろう。
「わたしも。問題ありません」
次に同意したのは彩芽だった。
「今は、少しでも戦力が必要ですから」
彩芽が着目したのは戦力。
現在、ALICEは戦力増強が急務となっている。
その解決の一手として、彩芽は同意した。
――今回の事件で、犠牲になったのは一人。
生天目厳樹。彩芽の父だ。
だからこそ、彼女は特に戦力を欲しているのかもしれない。
「わたくしも構いませんわ」
アンジェリカはそう言って金髪を手で払う。
彼女の視線は月読に向けられている。
「月読さんが信じられるのかは、わたくし自身の目でこれから確かめていきますわ」
言い変えてしまえば、アンジェリカは月読を信頼していないのだろう。
しかしそれは疑惑を意味しない。
伝聞による印象で判断しない。
フラットな気持ちで、自分の目で見極める。
ある意味で、それはずっと繰り返されてきたこと。
新人が現れたら、ゼロから信頼を築いてゆく。
当然のことだ。
アンジェリカは月読を疑っているのではない、他のメンバーと変わらぬ対応をすると言っているのだ。
「決まりだな」
「ええ」
天の言葉に、蓮華が頷く。
元より、天たちが月読を拒絶する理由はない。
この瞬間、ALICE全員の許諾が得られたということになる。
「…………そうか」
氷雨は目を閉じ、小さく笑う。
「月読」
「今日からお前を『6人目』のALICEとして迎えよう」
月読はチームALICEの新人となります。
それでは次回は『天と月読』です。