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7章 17話 崩落

 ぼとり。

 音が鳴った。

 重みのある音。

 それは――父の上半身が落ちた音だった。

「ぁ……」

 彩芽の口から声が漏れる。

 だが言葉にならない。

 血の気が引き、冷や汗が流れ、唇が震える。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 気が付くと、彩芽は駆けだしていた。

 助広に飛びかかり、振りかぶった小太刀を叩きつける。

「危ないなぁ」

 しかし助広は十字架で容易く防いで見せた。

 力が拮抗する。

 押し返されることも、押すこともない。

 完全な膠着状態。

「ああああああッ!」

 わずかに彩芽は手首をひねる。

 力のベクトルが変わり、二人の攻撃の均衡が崩れた。

 小太刀は十字架の表面を滑り――彩芽の左手首を裂いた。

 彩芽と助広の違い。

 彩芽は片手で、助広は両手で武器を握っているということ。

 だから――左手を潰した。

「《黒色の血潮(ブラック・ブラッド)》ッッッッッ!」

 彩芽の左手首の裂傷は、そのまま助広へと押し付けられる。

 武器を掴む力が緩んだタイミング。

 彼女は助広にタックルを食らわせる。

「――――!」

 彩芽はその場で体を反転させる。

 そこに見えるのは体を両断された厳樹。

(今ならまだ――)

 すでに厳樹は絶命している。

 だがその傷を彩芽に移せば。

 そして、彩芽が死に至る数秒間で改めて助広にダメージシフトする。

 そうすれば助広を殺し、厳樹の肉体を戻せる。

 肉体さえ戻せたのなら、まだ蘇生の余地はある。

 だから――

「ちょっと焦りすぎたんじゃないかな? まだ救助に移れるほどの隙じゃないだろう?」


「だからほら――天秤が傾いた」


「あっ……!?」

 彩芽の視界が黒く染まる。

 助広の手が背後から彩芽を捕らえたのだ。

 片手は顔を覆うようにして目を隠す。

 もう一方の手で、腰を抱くようにして彩芽の動きを束縛している。

 ――彩芽の《不可思技(ワンダー)》は視界に依存する。

 視覚を奪われてしまえば、能力を発動できない。

「いやっ……放してっ、くださいッ……!」

 焦燥のままに彩芽はもがく。

 助広は彩芽の腰あたりに腕を回しつつも、小太刀を握っていた腕を掴んでいる。

(しま――)

 彩芽の手から小太刀が滑り落ちる。

 手首に痛みが走ったのだ。

 助広は人体実験をしているからこそ、人体の構造に詳しい。

 相手の肉体に効率よく痛みを与える術も心得ているのだろう。

「くっ……!」

 残る一方の腕を使い、助広に肘を叩き込むも効果は薄い。

 刻一刻を争う状況。

 焦燥で頭が狂いそうになる。

「力の天秤が釣り合っているとしたら――先に正気を失ったほうが負ける。当然だよね」

「んんっ…………!?」

 彩芽は声を上げた。

 助広の指が口内に侵入してきたのだ。

「ぁ……ぇ……?」

 体に広がる違和感。

 彩芽の足が震え始めた。

 自分の体重を支えることさえ辛くなる。

「これは僕が作った薬品だよ。ALICEにも効く……ね」

 助広の指が彩芽の舌を挟み込む。

「まあ本来は人型――上級の《ファージ》を想定して作っていたんだけど」

 助広の指が舌を滑るたび、ぬるりとした物が塗り込まれてゆく。

「薬品っていいよね。僕の《不可思技》は良くも悪くもブレが大きいから。画一的な効果が期待できる手段は貴重なんだよ」

「んぅ……!」

 彩芽の舌が引っ張られる。

 舌を引き抜かれそうな感覚に彼女の体が跳ねる。

 助広の指から薬品が塗り込まれ、苦味を含んだ唾液が流れ込んでくる。

(そん……な)

 そしてついに、彩芽は力を失い膝をついた。

 意識が薄らいでゆく。

 つなぎとめようと力を尽くしても、こぼれてゆく。

 このまま気を失っては駄目だ。

 分かっているのに、体は言うことを聞かない。

「おとう……さま」

 彩芽の意識は、完全に途絶えた。



 ついに彩芽の頭ががくりと垂れた。

 半開きの口から唾液が糸を引いて落ちてゆく。

 完全に失神しているようで、軽く揺らしても彼女に反応はない。

「それじゃあ――」

 助広は彩芽に手を伸ばす。

 襟元から手を入れ、服の中をまさぐった。

「あったあった」

 彩芽の胸元から取り出されたのはネックレスだった。

 先程、厳樹によって奪われた女神の素体だ。

「…………………………」

 ふと助広は厳樹を見た。

 物言わぬ死体となった彼の姿を見た。

「やっぱりいいや」

 助広の手からネックレスがこぼれる。

 ネックレスは彩芽の手元へと落ちていった。

「感傷と言われてしまえばそれまでなんだろうけどね。さすがに、そこまで野暮にはなれないかな」

 助広は頭を掻く。

「あそこまでの覚悟を見せられたんだ。踏みにじるだなんて、天秤が釣り合わないよね」

 凡人の肉体のまま、死を恐れずに厳樹は手を伸ばしてきた。

 そして素体を助広から奪ったのだ。

 厳樹が示したのは強い覚悟。

 それをただの理不尽な暴力で塗り潰すわけにはいかない。

「生天目社長。貴方の力強い一歩。僕は好きだったよ」

 誰よりも弱い彼。

 しかし、誰よりもその一歩は重かった。

 そんな彼だから、助広や氷雨はついていったのだろう。

「その覚悟に釣り合うだけのリスクを僕も背負うよ」

 助広は笑う。

「素体は君たちに預けておく。万全の態勢で守ればいいさ」

 厳樹は箱庭に背を向けた。

 そしてそのまま歩いてゆく。

 ――いずれ素体を奪い、女神を殺す。

 その意思に変わりはない。

 だがALICEにも逆転のチャンスを。

 男が覚悟だけで掴んだ未来を尊重する。

 無粋に摘み取ることなど許されない。


「それじゃあ……さよならだね」


 次回からエピローグです。

 その後は8章『運命と誇りの天秤』が開始いたします。

 8章は最終章へと向け、戦いの構図が大きく変化する章となります。


 それでは次回は『嵐の後』です。



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