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7章 16話 戦う覚悟

 ――知っていた。

 ――私は、無力だ。

 ――だから、妻も守れなかった。

 ――そして報復する力さえも……



「生天目さん。生天目さん」

 声が聞こえた。

 厳樹は本から顔を上げる。

 そこにいたのは、身を乗り出す少女。

 少女は腰まで伸びた黒髪を垂らし、厳樹の顔を覗き込んでいた。

 彼女が着ているのはセーラー服。手にはカバンが握られている。

 どうやら高校からそのままここを訪れたらしい。

「――妃か」

 厳樹は少女の名を呼んだ。

 妃氷雨。

 それは厳樹が最初に見つけたALICE適性者だった。

 笑顔の絶えない氷雨。

 しかし彼女はALICE。

 日々、《ファージ》と戦いを繰り広げており――

「生天目さんの娘さんってさ――」


「すごい美人だよね」


 厳樹は無言で読書に戻ろうとして――止まった。

「……そうか。……なら、咎芽に似たのだろう」

 厳樹はそう答えた。

 生天目彩芽。

 それが彼の娘の名だ。

 ――《ファージ》に殺された娘の名だ。

 厳樹の家族が《ファージ》に殺されたのが5年前のこと。

 幸か不幸か、誰一人として《ファージ》によって食われずに済んでいた。

 そのおかげで、厳樹の家族が世界から消滅することはなかった。

 苦しみの記憶として、刻み付けることができた。

「ねぇ助広。まだ、死んだ人をALICEにできないの?」

 氷雨は部屋にいるもう一人の人物へと話しかけた。

「あはは……無茶を言わないでほしいな」

 すると困った風に男――神楽坂助広は笑う。

「でも、きっとできるさ」

 しかし頭を掻きながらも、助広はそう言った。

「まあ……どれくらいかかるかは分からないけどね」

「……カッコ悪」

 どうやら最後の一言が気に召さなかったようで、氷雨は半眼でそう吐き捨てた。

「いやいや。さすがに仕方ないでしょこればっかりは」

 助広は半笑いで抗議する。

 ALICEに関しては助広にしか分からない技術だ。

 そして彼にも分からない部分は多く、ブラックボックスとなっている世界なのだ。

 その解明には時間が必要なのだろう。

「でもそうなったら……きっと寂しいだろうね」

 氷雨は天井を見上げる。

「だって、一緒に過ごしてきた人がもうずっと年上になってて……独りぼっちになっちゃうってことだもんね」

 ――すでに彩芽にALICE適性があることは判明している。

 しかし死体をALICEとして蘇生させる技術が未完成なのだ。

 そしてそれには多くの時間がかかる。

 冷凍保存された死体は年齢を重ねない。

 これから彩芽がALICEとして生まれ変わったとして、周囲とは少なくないギャップが生じていることだろう。

「構わん。ALICEは《ファージ》を殺すための手段だ。知り合いなど少ないほうが都合が良い」

 彩芽にはALICE適性があると分かった。

 同時に、他の家族には適性がないことも分かってしまっていた。

 

「……私も、生天目さんにとってはただの手段なの?」


「当たり前だ」

 氷雨の問いに、厳樹はそう返した。

 もしも家族全員を生き返らせることができたのなら。

 厳樹が復讐を誓う未来はなかったのかもしれない。

 だが、壊れた過去は戻らないと知ってしまった。

 ゆえに、厳樹の復讐は止まらない。

 止めることができない。

「…………ふぅん。まあ……今はそれでも良いか」

 氷雨は息を吐くと、笑った。

 表情の陰りを一瞬で隠して。

「そうだ生天目さんっ」


「娘さんがALICEになったらアイドルやろうよっ」


「は?」

 頓狂な提案に厳樹は声を漏らした。

 アイドル。

 意味が分からない。

「だって美人だし、ファンがいればきっと寂しくないからっ」

 どうやら氷雨は、自分なりに彩芽が孤独感を覚えないで済む方法を考えていたらしい。

「生天目さんは事務所の社長ってことで!」

 氷雨は厳樹を指名する。

「……アイドル活動などする暇があるなら《ファージ》を――」

 とはいえ現時点において3人しかいないような、集団ともいえないメンバーだ。

 アイドルなど養成する土台がない。

 そもそも、そんなことよりも厳樹は――

「生天目さんは娘に寂しい思いをさせたいのっ!?」

 氷雨が迫る。

「…………考えておけばいいんだろう?」

 その勢いに流され、厳樹はそう答えた。

 どうせ先のことだ。

 そのころには、氷雨の考えも変わっているだろう。

「じゃ、助広はプロデューサーね」

「え? 普通、氷雨ちゃんが――」

「私は戦いを教えてあげるのっ」


「だって生天目さんの夢――叶えてあげたいから」


 氷雨は笑顔で語る。

 ――厳樹に復讐を遂げさせたいのだと。

「私、頑張るよ。生天目さんと平和な世界を見たいから」

 否。

 きっと氷雨は、もっと先を見ているのだろう。

 厳樹には暗く、見ようさえ思えないような先の未来を。

「僕は?」

「腐るほど見たから飽きた」

「ひどっ……! 女子高生にそんなこと言われたらお兄さん傷つくよ」

「…………この三十路が」

「しかも追撃……!?」

 氷雨の冷たい視線に撃沈する助広であった。



(ずっと……そうだったな)

 崩れゆくマザー・マリア。

(神楽坂がALICEという知識をもたらした)

 厳樹はただ立っている。

(妃が《ファージ》を倒した)

 助広が十字架を振り上げた。

(そして今、彩芽が《ファージ》の王を討とうとしている)

 ――厳樹には、それを受け止める力などなかった。

(いつだって私は――何もできなかった)

「……私は」


(だが……今だけは違う)


 道を阻む敵が目の前にいる。

 依然として力はない。

 だが――それでもいい。

(所詮、地を這うだけの凡人だったとしても――今なら戦える)

 厳樹が目を付けたのは、助広のネックレス。

 助広が言うには、あれは彼にとって大きな意味を持つらしい。

(必要なのは……戦うという覚悟だけ)

 互いの距離は1メートル。

 凡人でも、一瞬で届く距離だ。

 ただ――ギロチンの刃が待ち構えているだけ。


「戦う覚悟だけなら……20年前からできているッ!」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」

 厳樹は雄たけびを上げ、手を伸ばした。

 掴みかかられると考えたのか、助広がわずかに身を引く。

 よって厳樹の手は助広に届かない。

 しかし、彼の首元にある宝石を掴んだ。

 そしてそのまま――引きちぎる。

「素体をッ……!?」

 助広が初めて驚愕の声を漏らした。

 厳樹との攻防で、初めて動揺した。

「そいつが……《ファージ》に勝つカギとなるのだろう?」

 バランスを取るため。

 《ファージ》が不利になりすぎないために、素体とやらを求めていたのなら。

 逆説的に言えば、それを助広に渡さないことは《ファージ》を殲滅するうえで重要だということ。

 これを――護らなければならないということ。

 だが――

(私の命はここまでか――)

 十字架が振り下ろされようとしている。

 あれが落ちてきたとき、厳樹の命は潰える。

 彼の身体能力では、躱すことなどできない。

 もう――死は避けられない。

 だから――呼ぶ。


「彩芽ぇぇぇぇぇ!」


 娘の名を。

 今、この瞬間。

 ここにいると信じて。

「お父様っ!?」

 厳樹は賭けに勝った。

 建物の陰から走ってくる彩芽が見えた。


「お前に……託す」


 だから、厳樹は笑えた。

 死を前にして、笑えたのだ。

(……咎芽)

 厳樹は娘へと視線を向ける。

 ほんの一瞬。

 だが、ここまで真剣に向き合ったのは久しぶりのように思える。

 寝ても覚めても、厳樹に見えていたのは復讐のための道だけだったから。

 死を前にしたこの瞬間。

 ようやく、なんの障害もなく娘を見ることができた気がする。

 だが、それも終わりだ。

「ぐッ……!」

 厳樹は掌に宝石を差し込んだ。

 尖った先端が、厳樹の手のひらに抉りこむ。

「《黒色の血潮(ブラック・ブラッド)》!」

 同時に彩芽が叫んだ。

 彼女の《不可思技(ワンダー)》が有する力はダメージシフト。

 厳樹の掌から傷が消え――宝石が彩芽の掌を貫いた。

 ダメージシフトの性質を利用した、()()()()()()()()()

 それによって、厳樹は彩芽に素体を託したのだ。

(自分が愛した女の仇さえとれないような私だが――)

 直後、十字架が厳樹を捉えた。

 肩から脇腹へ。

 斜めに厳樹の体が両断される。

 苦しむ間もない、致命の一撃。

 上半身が滑り落ち、景色が回る。

 だから、ここから先の未来を見通すことができない。


(少しは……何かを残せたのか?)


 だけど、自分の行動に意味があってほしいと願う。

 厳樹は地面に落ちるよりも早く絶命した。


 20年前。彩芽たちがジャックに殺害される。

 19年前。助広と出会う。

 16年前。ALICE第1世代の技術確立。

 15年前。氷雨(当時15歳)がALICE化。

 10年前。貴麿の資金提供により組織化。

  4年前。初めての第2世代ALICE月読が覚醒。

  3年前。蓮華、彩芽の覚醒。

  ――厳樹の人生年表はこんな流れですかね。


 それでは次回は『崩落』です。



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