7章 6話 真実
「それを早く――言えッ!」
「痛ぁい!?」
天の肘がマリアの脳天に叩き込まれた。
「戦うべき相手が《ファージ》じゃない? それ一番大事だろ! なんか俺たちがとんでもない空回りしてたみてぇじゃんか!」
天は思わず怒鳴っていた。
しかしこれは仕方がないことだろう。
天に世界を救うよう言ったのは他ならぬマリアだ。
そして天は、自分なりに全力で《ファージ》と戦ってきた。
だがマリアが発した言葉は、彼女の努力を根底から否定しかねないものだったのだから。
命がけだっただけに、怒りが湧くことを非難されるいわれはない。
「んー……。確かに《ファージ》も危険ではあったんだけどね☆ もうそれはぁ、アタシのほうで対策しちゃったっていうか☆」
マリアは神妙な顔で腕を組んでそう言った。
「……………………」
「えぇっと……天ちゃん。肘を叩き込むイメージトレーニングはやめてほしいなぁ……なんちゃって☆」
そう言いながら、マリアは両手で頭頂部と腹部を守っていた。
「最初は天ちゃんたちが予想していた通り《ファージ》が世界の危機って認識で間違っていなかったんだよ☆」
マリアはそう語る。
「だからアタシは、人間にALICEを造る技術を与えた。それで一応の対策は終わったんだよ☆」
――天は《ファージ》と戦ってきた。
下級が相手なら複数体でも今なら問題なく討てる。
中級でも邪魔が入らなければ安定して戦える。
上級が相手となれば苦戦こそするが、どうにもならない相手とまでは思わない。
《ファージ》の王であるクルーエルにはまだ勝つための手立ては固まっていない。
しかし個々の戦力増強や、新たな戦力の補充によっては打倒も不可能ではないだろう。
予断は許さない。
しかし、不可避の破滅などではない。
充分に太刀打ちできる危機なのだ。
ならばマリアの『対策』は効力を発揮しているといえる。
「まあ絶対に大丈夫……ってわけじゃないけど、最悪アタシが出張れば問題なしだし☆」
世界をまたいで転生させるような存在だ。
確かにマリアならばすべての《ファージ》を打倒することも容易そうに思えてくる。
「でも、事情が変わったんだよ」
「事情?」
だからこそ天は首を傾げた。
そんなマリアが、わざわざ天を呼び戻すほどに警戒している危機という存在に思い至ることができないから。
「うん。新しい世界の危機が現れたの」
マリアが語るのは《ファージ》とは違う世界の危機。
世界の破滅へとつながる何かの話だ。
「世界っていうのは複雑だからねぇ。ちょっとしたイレギュラーが重なって、看過できない災厄になることだってあるんだよ」
それこそバタフライエフェクトなんて言葉もあるくらいだ。
現実でも、些細な行動が大きな変化をもたらすことがある。
ならALICEという超自然的な力が及ぼす影響はなおさらに特異なものとなるだろう。
「アタシは道理を曲げて、本来なら存在するはずのないALICEの技術体系を人間に与えた。それが何かを歪ませて、新しい世界の危機を作っちゃったみたいなんだよね☆」
マリアはこつんと頭を叩く。
しかしすぐに彼女の表情は真剣なものとなった。
「しかもそれは――アタシでもどうにもならない」
どうにもならない。
神が、そう言ったのだ。
「おい……。神様でどうにもならないのが俺たちでどうにかなるのか?」
となれば天も心中穏やかではない。
多少特殊であっても、天は人間というカテゴリー内の存在でしかない。
神にできないことを起こせると思えるほど傲慢にはなれない。
「うん。あくまで天ちゃんにして欲しいのは、『アタシがどうにかできる』環境づくりだからね☆」
「環境?」
環境。あるいは舞台。
マリアはそれを整えて欲しいと言った。
「天ちゃんには……あの世界にいるアタシの素体を見つけて欲しいんだよ」
「素体ってどういうことだ?」
「強いて言うなら……アタシがあっちの世界に顕現するためのアバターって感じかな☆ それがないと、アタシはあの世界を直接救うことはできないんだよね☆」
先程、マリアは『最悪』自分が出張れば世界を救えるといった。
最悪。
つまり、そう軽々とする行動ではないのだろう。
言い変えれば、世界を守る最後のボーダーラインだ。
「――敵はアタシの素体を封印して、アタシがあの世界に干渉できないようにしているみたいなんだよ」
彼女は素体をアバターと表現した。
マリア自身の手で世界を救うには、その素体を介する必要があるのだろう。
「素体が無事だったら、アタシが直接出向いて世界を救うことも可能なんだけどね……。体がないと、月読ちゃんにメッセージを送るくらいしかできないんだよ」
マリアは残念そうに嘆息する。
彼女の言う素体が使えないということは、世界を守る最終防衛ラインの崩壊を意味する。
もちろん天たちALICEが世界を救えたのなら問題ないだろう。
しかし万が一、天たちが敗北してしまった時には、人間の手に希望が残らない。
マリアの素体は、人間のために残された最後の保険なのだ。
「だから、わたくしが動けないマリア様の代わりに動いていたんです」
月読はマリアの言葉を捕捉する。
彼女は日頃からマリアの指示で動いていたという。
いわば素体の代わりだったのだろう。
月読がマリアの代行者として、世界を救うための行動を起こしていたのだ。
「……そういうことだったのか」
天は月読が背負ってきた重責を今更ながら感じさせられる。
この3年間。
月読は世界を救うために一人で奔走し続けていたのだ。
「ん?」
そこまで考え、天は一つの疑問に思い至る。
以前、月読が言っていた言葉を思い出したのだ。
「確か月読……箱庭に探し物があるって言ってたよな」
「はい」
天の言葉に月読が頷く。
月読の笑みが、わずかに深まった。
天が口にした質問を待っていたかのように。
「それってもしかして――」
「そうだよ」
「アタシの素体は、箱庭のどこかで封印されている」
そう答えたのはマリアだった。
そして彼女は笑い――
「言い換えるなら」
「箱庭にいる誰かが――世界を滅ぼそうとしているってことだよ☆」
最悪の真実を告げた。
裏切りヒント。
――ALICEの技術と縁深い人物……?
それでは次回は『救世は悪魔の手に』です。