7章 2話 月夜の最果て
「あらあら」
かつて月読に連れられた高架下。
そこには彼女がいた。
月読はいつもの服装で、いつものように微笑んでいた。
「この場合、一人で来てほしいと言わなかったわたくしの過失なのでしょうか」
月読の視線が天と蓮華を交互に移動する。
特に怒っているようにも、不信感を覚えているようにも見えない。
連れてきたのが蓮華であったのは正解だったのだろう。
「天さんは、もっと乙女の秘密を重んじてくださる殿方だと思っていましたのに。悲しくて泣いてしまいそうです」
月読は両手で顔を覆う。
しくしくと棒読みの嗚咽が聞こえてくる。
「いや。確かに俺が悪かっ――――」
明らかに演技だ。
しかし放っていては話が進まない。
天は月読に謝罪を述べかけ――気づいた。
「――――なんで俺が殿方なんだ?」
確かに、天宮天は男である。
ただし『元』だ。
この世界における天は、不本意ながら正真正銘の女である。
そんな天を殿方と呼ぶのはあまりに不自然だ。
「違いましたか?」
指の隙間から月読が覗いてくる。
くすくす。
そんな笑い声を漏らしながら。
「……違わねぇけど。見て分かるもんじゃない自覚はある」
少なくともこの世界において、天が男であった証拠はない。
強いていうのなら、蓮華に正体を語ったタイミングくらいだ。
しかし月読がそれを盗み聞きしていたとは考えにくい。
「うふふ……」
「だからなんで――!」
意味深に笑む月読。
つい天の声が荒くなるが――
「しー。ですよ」
月読の人差し指に制される。
彼女の指が、優しく天の唇を押さえた。
「そんなに、声を荒げないでください。か弱い女性にとって、男性から凄まれるだなんて恐ろしいことなんですよ?」
まただった。
また、彼女は天を男性扱いする。
シャレで言っているのではない。
天がそうであるという確信があるのだ。
「そんなタイプには見えないけどな」
天は頭を掻く。
月読が凄まれたくらいで委縮するようにはとても見えない。
いつだって不可思議で、妖しい少女なのだから。
「それに、心配ご無用ですよ」
月読は微笑みを崩さない。
彼女はその場でくるりとターンする。
ふわりとゴスロリ服の裾が広がった。
「今日は、そのお話をするために来たんですから」
月読は指先で自身の唇をなぞる。
その仕草は驚くほど艶めかしかった。
「天さん。蓮華ちゃん。ついてきてくださいますか?」
「世界の最果てまで」
☆
蓮華に連れられたのは寂れた路地裏だった。
しかし、彼女の本当の目的地はそこではなかったのだろう。
ただ人目につかない場所を探していただけで。
それを示すように、月読がコンクリートの壁を指でなぞると――空間が裂けた。
ゲートのように裂けた世界。
「こちらへ――」
そう言うと、月読は裂け目を乗り越えた。
このまま留まっていても意味がない。
天たちは促されるままにゲートをくぐると――
「……ここは」
蓮華は驚きをにじませて周囲を見回していた。
無限に広がる草原。
世界を内包した無数のシャボン。
幻想的で、不確かな世界。
あまりに壮大な光景は見るものに現実感を抱かせない。
天がここを訪れるのは――2回目だった。
「ここは最果ての楽園。三千世界の管理者が住む世界」
月読はそう評した。
そして天へと振り返る。
「天さんも来たことがあるんですよね?」
「……ああ」
天は頷く。
前世で死に至り、現世で生を得るまでの間。
ほんの短い間だったが、天はここに来ていた。
「どこなの? ここ?」
一方で、蓮華は困惑しているようだった。
周囲を慌ただしく見回しており、落ち着かない様子だ。
「? 蓮華は来たことないのか?」
「? こんなところに来たことがあるわけがないでしょ?」
「そうか……?」
(蓮華はここに来ないまま転生したのか?)
天は以前、ここである程度の事情を聞いてから転生している。
しかし蓮華がここを知らないとしたら。
きっと彼女はよく分からないままにこの世界へと転生させられていたのだろう。
「俺の記憶に間違いがなければ、この世界はめが――」
――女神がいる。
そう言いかけた天の言葉を遮る声があった。
「天ちゃん元気にしてたかなぁ~~☆」
少女が手を振って走ってくる。
腰まで伸びたピンク髪を揺らしながら。
走るたび、大人のものとなりつつある果実が揺れる。
そんな容姿とは裏腹に、もはや幼稚に思えるほど無邪気な笑顔を浮かべて。
端的に言うと――阿呆ぽかった。
「めが…………メガトン級の馬鹿がいるな」
「ひどっ!?」
女神の声が響いた。
ついに女神が再登場しました。
それでは次回は『始まりの場所』です。