6章 15話 妃と王
妃氷雨はALICEである。
同時に、初期型であり天たちに比べるとスペックが低い。
《不可思技》を持たず、身体能力も遠距離型のALICE相当しかない。
自分の体に合った武器を想像する能力もない。
未完成の部分が多い、プロトタイプのALICE。
そのはずなのに――
「すっげ……」
そう言うしかなかった。
天の視線の先では、氷雨がクルーエルと激闘を繰り広げている。
二人の間にある距離は20メートル。
まだ氷雨の間合いには遥かに遠い。
ゆえにクルーエルは影を伸ばし、氷雨を一方的に攻撃している。
だが――当たらない。
一本や二本ではない。
幾条もの影が伸びているというのに、氷雨は走る速度さえ落とさない。
微妙に歩幅を変え、少しだけ高く跳び。ほんのわずかに左右に進路を変える。
それだけで迫る影を躱している。
防御も許されない高速の攻撃をすべて躱しているのだ。
「――――」
間合いが詰まり、このまま氷雨を殺し切ることは無理だと判断したのだろう。
クルーエルは攻撃のためではなく、二人を隔てる壁を作るために影を展開した。
「読めている」
しかし氷雨は動じない。
ただ、サーベルを地面に突き立てた。
そのまま剣の柄に足をかけ、彼女は高く跳ぶ。
まるで走り高跳びのように氷雨の体は影の壁を飛び越える。
影が触れるかどうかのギリギリを見極めて。
「はぁッ!」
そして氷雨は空中で2本目のサーベルを抜く。
振り下ろされたそれは――クルーエルの手首を裂いた。
「防御が甘い。そこも充分に急所だ」
血飛沫が巻き上がる。
氷雨の斬撃が、クルーエルの動脈を断ったのだ。
頭部と両手。
だが頭部を狙われることなどクルーエルも想定済みだろう。
クルーエルが頭部を守ったことで、頭への攻撃は通らない。
ゆえに狙える範囲の中で、氷雨は効率よく彼女にダメージを与えたのだ。
「なら。そいつと交換だな」
クルーエルは追撃しない。
ただ影を操り、地面に刺されていたサーベルを破壊した。
腕一本の対価として、氷雨の武器を一本奪ったのだ。
「さて。次はどうする?」
クルーエルは微笑む。
一度の攻撃のために、氷雨は一本の得物を砕かれた。
最初に彼女が持っていたサーベルは二本。
次に折られてしまえば、もう氷雨に武器はない。
「くだらんことを言う奴だ」
「よこせ。助広」
氷雨はクルーエルから一切視線を逸らさずに言った。
すると、氷雨の隣にサーベルが一本落ちてきた。
厳密に言えば、投げ込まれた。
「いやぁ。人使いが荒いねぇ。まったくさ」
投擲手は助広だった。
彼は幾本ものサーベルを所持してそこにいた。
「それも《ファージ》用に作ってるから安くないんだよ? あんまりポキポキ折らないでくれないかな」
「しばらく使っていなかった不良在庫だろうが」
氷雨は投げ込まれたサーベルを手に取った。
その様子を見てクルーエルは笑う。
「どうやら武器庫はあるらしいな」
クルーエルは影の太刀を手に取った。
「良かろう。あの男を狙うような野暮はするまい」
クルーエルはまっすぐに氷雨を見据えている。
二人は間合いを保って対峙する。
近距離というには遠く。
中距離というには近い。
そんな微妙な距離がそこにはあった。
「ッ!」
先に動いたのは氷雨だった。
彼女はサーベルを縦一閃に振り下ろす。
しかし――
「さっきの一撃はまぐれか?」
クルーエルはバックステップで剣の間合いからわずかに抜け出すと、影の太刀でサーベルを切断した。
消滅の影。
それは鍔迫り合いさえ許さない。
半ばから折れたサーベルが空中で回転し――
「まぐれだったかを決めるのはお前だ」
――氷雨の足に蹴り上げられた。
「っ……!」
唐突に打ち上げられた刃。
それはクルーエルの頬に傷を入れた。
わずかに彼女の体勢が崩れる。
しかし氷雨は追撃しなかった。
「確かに、触れられる個所が少ないというのは厄介だな」
――天も氷雨にシゴかれたからよく知っている。
彼女なら、あの隙を起点に肉弾戦に持ち込むこともできただろう。
しかしクルーエルに対してはそれができない。
脚を絡ませて転ばせることも、肩を押して重心を崩すこともできない。
消滅の影を避けようとすると、手札がかなり削られるのだ。
「ふむ……」
クルーエルの頬に引かれた傷が消えてゆく。
またしても振り出しだ。
きっと影を消耗はしているのだろう。
しかし、それでも道のりは遠い。
天の目から見て、氷雨は攻勢に出ている。
にもかかわらず押し切れない。
まさに王者にふさわしい強さだ。
「それでは、そろそろ終わりに――」
クルーエルの体から影が沸き上がる。
影の太刀が膨れ上がり、大剣と呼ぶべきサイズへと変わる。
それも双剣だ。
観察した限り、あの影に重量はない。
だからこそ、攻撃範囲を拡大することだけに注力したのだろう。
しかし――
「っ」
クルーエルの影が弾けた。
作り出した大剣だけではない。
纏っていた服も半分ほど吹き飛んだ。
霧散した影はそのまま虚空に消えてゆく。
「本当に……不便な体になったものだな」
クルーエルは嘆息した。
どうやら、彼女は自身の不調に心当たりがあったらしい。
「……活動限界があるのか?」
「残念ながら、な」
氷雨の言葉に、クルーエルは肩をすくめた。
彼女の影が多く失われた。
詳しくは分からないが、彼女が十全の力を振るえる時間というのは限られているのかもしれない。
「それでは帰るとしようか」
「させるかッ――!」
クルーエルから戦意が消えた瞬間、氷雨が動いた。
閃光のような斬撃がクルーエルに迫る。
しかし――地面から沸き上がった影にサーベルは塵へと変えられた。
すでに影はクルーエルをドームのように包み始めており、手が出せる状態にない。
「……ALICEといったか? もっと精進するといい」
影越しにクルーエルの声が聞こえた。
それは叱咤であった。
「食われるだけの餌ではいたくないのだろう?」
抗って見せろと。
王の敵となると決めたのだろう、と。
そう言っているのだ。
「思っていたよりも、良い出会いであった」
「――決着が楽しみだ」
クルーエルの姿は、もうそこになかった。
これにて戦いは一時終了です。
それでは次回は「夜明け」です。