6章 14話 悪魔と王
《悪魔の心臓》。
それは《象牙色の悪魔》による未来演算と身体強化を同時併用する技だ。
シンプルだが、単体で使用するよりもはるかに強力な能力である。
半面、体にかかる負担も大きい。
5秒。
以前よりは使用時間も伸びたが現在の天には、それが限界だろう。
これを越えてしまえば、彼女の脳は焼き切れて最悪死に至る。
「はぁッ!」
これまでとは数段違うスピードで天はクルーエルに迫る。
そのまま、地面を抉るようにして大剣を振り上げた。
クルーエルの足元に影がないという性質を利用した一撃。
それを彼女は――
「――ほう」
軽々と躱した。
これまでにない速度で振るった一撃を、いとも容易く。
ギアを数段上げてなお、天の攻撃はクルーエルを捉えられない。
(まだ大丈夫だ)
まだ、悪魔は描き続けている。
勝利へと続く絵図を。
――あくまで今のは布石。
足元を狙うのが目的ではない。
クルーエルを跳ばせるのが目的。
ふわり。
重力に従って、クルーエルが地面に降り立つ。
そこへ天は一瞬で肉薄した。
頭部。腕。
本来、クルーエルに有効打を与えられる個所はそれだけだ。
しかし今――彼女の服の裾がめくれていた。
跳んで、落下を始めたことで服がめくれていたのだ。
そうして、彼女の腹部がわずかに露出する。
内臓を詰め込んだ、腹が見えた。
「らぁぁッ!」
回転を乗せ、天は大剣を振り抜く。
クルーエルの胴体を切断する斬撃は――影に斬り捨てられた。
上からギロチンの刃のように降ってきた影が、天の大剣を破壊したのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
それでも天に動揺はない。
悪魔はそれさえも織り込み済み。
彼女は拳を握る。
そして腰を落とし、地に根を生やすかのように強く大地を踏みしめる。
「こいつで――終わりだ」
天が放ったのは――正拳突きだ。
悪魔の補助を受け、最高効率で放たれた拳。
それは一切のロスなく、クルーエルの腹に叩き込まれる。
彼女の骨格、内臓の配置をも把握して悪魔は描いた。
もっとも効率良く内臓を破壊できる殴り方を。
ゆえにパンチの衝撃は骨にも阻まれることなく、内臓へと直通する。
「ぎ、ぁぁぁ!?」
全身の筋肉が千切れる。
自分を守るための制御を捨てた一撃。
それはクルーエルを一瞬にして吹き飛ばした。
彼女の体が客席にまで飛び、その勢いのまま客席を転がり上がってゆく。
この広大なドームの中央から端まで一気に殴り飛ばした。
「…………どぉだ」
天は倒れたまま呟いた。
全身が痛くて立てない。
だが、悪魔の描いたルートを辿り抜いた。
「俺たちの勝ち――」
「良い一撃であった」
声が聞こえた。
女性は影を纏い、天の前に立っている。
彼女の口からは血が流れていた。
だが、確かに彼女は両足で立っていた。
「しかし状況を見るに、リスクの重い技であったのか?」
クルーエルは興味深そうに天を見下ろしていた。
天の一撃への恐怖も。
倒れ伏した天への嘲笑もない。
ただあるのは、面白いものを見たという感心だけだ。
「もしもそれがノーリスクであったのなら、あるいは勝敗も違っていたのかもしれないな」
そんなことを呑気にクルーエルは喋っていた。
だがそれも仮定の話。
現実として、倒れ伏しているのは天だった。
その事実は覆らない。
「よかろう。赦す。我が子を殺した外道としてではなく、戦士として苦しまぬよう殺してやろう」
クルーエルの手に影の槍が出現する。
あれに貫かれてしまえば、死は免れない。
(やば……勝てる気がしねぇ)
だが、それ以上に天を打ちのめしている事実があった。
――勝利への最短ルートを描いてなお、届かなかった。
あの悪魔が、読み違えた。
いや。
正解が存在しないと結論付けてしまった。
だから答えを辿っても、天に勝利は訪れなかった。
悪魔は言っているのだ。
何千、何億回繰り返したとして。
天宮天はクルーエルを打倒することはできない、と。
最初から勝てる見込みなどありえない敵であったと。
これまで何度となく天を助けてくれた悪魔が、ついに敗北宣言をしたのだ。
あの悪魔に打開できない状況を、自分にどうにかできるとは思えない。
(……でもせめて、蓮華たちだけでも逃がさないと)
もう死は避けられない。
でも、仲間は。大切な女性だけは。
ここで死なせてはいけない。
(悪い。蓮華)
心の中に浮かぶのは謝罪の言葉。
助けつもりで、助けられていなかった少女への謝罪。
そして、再び同じ苦しみを味合わせてしまうことへの謝罪だ。
だけどその言葉を届ける時間さえもう――
「よくもたせたな」
カツン、カツン。
靴音が鳴った。
ステージに女性が現れる。
軍服を纏い、軍靴を響かせ。
サーベルを腰に携えて。
「悪いが、まだそいつらを潰されては困る」
女性――妃氷雨は軍帽の下から鋭い眼光を覗かせる。
普段のスーツ姿とは雰囲気が一変している。
いや、普段から怜悧な視線は相手にプレッシャーを与えていた。
しかし、今はその比にならない。
息ができない。
味方であるはずなのに、視線を逸らせば殺されそうな気分になる。
それほどに、氷雨が纏う空気は殺伐としていた。
「そういうわけで――手合わせ願おうか」
始まりのALICE。妃氷雨がついに抜刀した。
6章の終わりが近づいてきました。
それでは次回は『妃と王』です。