6章 10話 闇色の聖母
駆けだす天。
クルーエルとの距離が詰まる。
――天の有効射程は大剣を含めて約3メートル。
近接戦闘型のALICEだ。
だが天は――クルーエルを間合いに捉える前にブレーキをかけた。
今回はあくまで威力偵察。
戦闘力の分からない敵の実力を推し量るための交戦だ。
ゆえに安全マージンは多めに確保する。
「っと!」
天は大剣を振るい、最前列の座席を根元から斬り捨てた。
そしてそのまま座席を蹴りつける。
すると座席が砲弾のようにクルーエルへと射出された。
「ふむ」
クルーエルは座ったままだ。
だが、彼女の掌から影が滲みだした。
影は細長く伸び、一本の太刀となる。
黒線が閃いた。
すさまじい剣速が黒い残像として虚空に刻まれる。
――彼女に迫っていた座席が細切れになった。
まるで研ぎ澄まされた日本刀で紙を斬るかのような容易さ。
障害物を切断したとは思えないほど剣速に衰えは見えなかった。
「――距離取ってて正解だったな」
天の頬を汗が流れた。
もしも最初から近距離戦を挑んでいたら、あそこで斬られていたのは自分だったかもしれない。
(警戒しすぎる……ってことはなさそうだな)
全霊であらゆる可能性に警戒する。
それでなお充分と言い切れない。
「随分、切れ味が良いんだな」
一旦、動きを止めて天はそう言った。
クルーエルとしても自分から攻撃を仕掛けるつもりはないらしく、ただ微笑んだまま動かない。
「切れ味……まあ、そう言えなくもないかもしれんな」
「…………?」
妙に引っかかる言い方だった。
(なんか能力でも隠してるのか?)
確かに、ただ切断力に特化しただけの能力とは考えにくい。
もしかすると、さっきの斬撃にも仕掛けがあるのかもしれない。
(今ので攻撃のスピードは見えた)
すさまじい速度。
だが、対応できないほどじゃない。
(次はもっと近づくか)
天は最高速でクルーエルに接近する。
同時に、幾条もの斬撃が上下左右から襲ってくる。
高速の斬撃はクルーエルを守る結界であり、檻のようにも見えた。
「――――!」
天は斬撃の隙間に体を滑り込ませる。
斬撃の結界に踏み込み、クルーエルの懐に入り込んだ。
――本来、大剣という武器にとっては近すぎる間合い。
だが天も伊達に戦いを重ねてきたわけではない。
この間合いからでも手段はある。
「はぁッ!」
天は大剣を腰だめに構え、腰のひねりと足さばきだけで剣を振るう。
全身の回転を乗せた独楽のような一閃。
コンパクトに振るわれた斬撃は普段ほどの威力を有していない。
だがほぼ密着した距離からの斬撃を躱すことは不可能に近い。
「っ……」
事実、クルーエルの回避は遅れた。
彼女はわずかに身を引いたが、その頃にはもう天は大剣を振り抜いていた。
横一閃。
手応えは――
「……なんだよ、それ」
――なかった。
それだけではない。
天の大剣は――折れていた。
厳密に言えば、大剣の切っ先から数十センチが消失していた。
――大剣を振るった時、天は見ていた。
クルーエルの服に触れた部分から大剣が消滅してゆくのを。
黒い太刀。黒い服。
――影。
「触れたものを消滅させる影……ってわけか」
最初にクルーエルが見せた斬撃。
容易く座席を裂いたそれは切断力によるものではなかった。
影に触れた部分から座席は消滅していたのだ。
だからこそ、クルーエルはあれを『切断力』と評することへ疑問を呈したのだ。
「もうよい。――沈め」
クルーエルの服が溶けた。
セーラー服のような衣装が、炎のような影へと変化してゆく。
そのまま影の炎は津波のように天を襲った。
天の全身を包み込むようにして伸びてくる影。
近づきすぎていたこともあり、彼女のスピードではもう躱せない。
「蓮華ッ!」
だから――仲間を頼る。
「《紫色の姫君》っ」
紫電が走った。
天が影に呑まれる直前、彼女の下に現れた蓮華が天の腰を抱きしめる。
そのまま蓮華は雷速で離脱した。
標的を失った影の津波はいくつかの座席を喰らっただけに終わる。
もしも蓮華の援護がなければ、今頃は天もああなっていたのだろう。
「……心配させないでよ」
耳元で蓮華がそうささやいた。
彼女の顔を見ようとするも、蓮華がそっぽを向いているせいで表情は見えなかった。
――耳は赤かったけれど。
「悪かったよ」
天は笑いながら立ち上がる。
「でも、今のでアイツの戦い方は分かっただろ?」
「まあ……」
スピード。攻撃方法。
さっきの攻防で手に入れた情報は貴重だ。
それを参考にして立ち回りを組み立ててゆく。
「じゃあ、今度は全員でかかるとするか」
情報収集は終わり。
今度は本格的に攻略してゆく。
そんな天の言葉に、他のメンバーも頷いた。
「赦す。挑んでくるといい」
悠然と構えるクルーエル。
一方で、ALICEの面々は慎重に間合いを詰めてゆく。
最強の《ファージ》との戦いが――ついに始まった。
クルーエルの能力は『消滅の影』です。
ガード不可&絶対防御&カウンターといったチート性能となっております。
それでは次回は『王の影を踏め』です。