6章 5話 貴方は避雷針のように
「ん~~~~~~~~~~~~~~」
天の私室。
そこでは蓮華が唸っていた。
「ん~~~ん~~~ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
蓮華は頬を膨らませ、天の膝に頭を擦りつけてくる。
さっきからずっとこの調子だ。
「いい加減、機嫌直してくれよ」
天は嘆息しつつも蓮華の頭を撫でる。
「ん……」
わずかに蓮華の声音が変わった。
不満げな唸り声から、少しくすぐったそうな声になる。
なんだか大きな猫と遊んでいる気分だ。
――蓮華が不機嫌なのには理由がある。
ほんの半刻ほど前、天は彩芽から拷問を受けていた。
天の不用意な一言をキッカケに、彩芽の折檻を受けていたのだ。
その際に彼女があげた悲鳴を蓮華が聞いてしまっていたのが発端となり、現在へと至っていた。
「天、彩芽とイチャイチャしてえっちな声出してた」
「出してない」
それだけは断固否定しなければならなかった。
「ん~ん~ん~~~~~~~~!」
結論から言うと、蓮華のそれはヤキモチというものだった。
自分以外の女性と天が仲良くしていたという事実が気に入らないのだ。
「天が天が天がぁ~~~~~~~~~~~」
蓮華の姿はまるで駄々っ子だった。
年齢よりも幼げに見えるくらいに。
――思えば、仕方がないのかもしれない。
前世において、天が蓮華を助けたのは、蓮華が小学生だったころ。
それから今まで、彼女は年齢相応の生き方を捨ててきた。
いや、贖罪にすべてを費やした人生は人間らしい生活とさえ呼べなかったかもしれない。
だからある意味で、蓮華の世界はあの事故の日で止まっているのだ。
二人は大切な言葉を交わし、過去に一つの区切りをつけた。
そうして強くて頼れるリーダーを演じなくて済むようになった蓮華に残ったのは、あの日止まったままの幼い自分だけだったのかもしれない。
――もっとも、周りに天以外がいるときはこんな甘え方はしないのだけれど。
「う~~~~~~…………」
「なんだ? まだ言いたいことがあるのか?」
「んぅ……」
天が頭を撫でてやると、蓮華はくすぐったそうに身をよじる。
しかし彼女が天の手を払うことはない。
「天って……女の人が好きなのよね?」
「まあ……元々は男だったわけだしな」
特別、性的思考が変わったということはない。
いくら体が少女になろうとも、天の恋愛対象は女性のままだ。
「つまり、胸が好きなんでしょ」
「極論すぎる……」
天は微妙な気分になった。
「もっと他にも見るところとかあるだろ」
「――どこ?」
「ほら。もっと内面的――」
「性格は却下。だって、性格が好きでも男とは付き合わないんでしょ? なら、女の子特有の何かが好きってことじゃない」
「ぐぬ……」
わりとめちゃくちゃな論法だと思うのだが、どうにも論破するアイデアが浮かばない。
「じゃあ天。女の子の魅力って何? 性格と胸以外で」
「……ほとんど恥辱プレイだろこれ」
なぜ恋人の前で、好きな女性の部位を挙げねばならないのだろうか。
「……髪」
「あとは?」
「唇……腰とか……お尻とか? あと脚?」
「――天が一番見るのは?」
「多分……胸だな」
「んんぅぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
蓮華が半泣きで唸った。
そしてポカポカと叩いてくる。
どうやら、よほど胸に自信がなかったらしい。
「ほら、泣くな泣くな」
天は苦笑しながら蓮華の頭を撫でる。
「だって……アタシ、胸ないし」
「別に気にすることないだろ」
少なくとも、胸目当てで恋人になったわけではない。
「正直、グレイトフル古舘の胸筋のほうが大きいし」
「いきなり筋肉野郎の名前出すのやめろぉ……!?」
一瞬、天の脳内が筋肉系動画配信者のマッスルポーズで埋め尽くされた。
まさか、蓮華も彼の名前を知っているとは。
本当に有名な人物だったらしい。
「それにな、蓮華」
天は優しい声で蓮華にささやきかける。
「ぶっちゃけ、そんなに胸が良いなら俺の場合は自分ので充分足りて――」
「がうっ」
「痛ぇっ!? ちょ、胸を噛むなぁ……!」
蓮華に噛みつかれた。
歯を立てるわけではなく、唇で挟み込むような形ではあったが看過できるわけでもない。
「……なんで天のほうが胸大きいの……?」
蓮華は悲嘆に暮れていた。
彼女の胸へのコンプレックスは並々ならぬものがあるようだ。
「ねぇ天」
「……なんだ?」
蓮華が上目遣いで天を見た。
涙で潤んでいるせいか、その姿は健気で儚い。
守らなければならない。
そう思わせる姿だった。
「……抱っこ」
蓮華が仰向けのまま両腕を広げる。
だから天はため息を吐くと――
「ほら。これで良いのか?」
天は蓮華の背中に腕を回し、彼女を抱きしめた。
重なり合う二人の体。
音はなく、静寂だけが部屋にこだまする。
きっと蓮華の耳には、天の鼓動が聞こえていて――
「胸、柔らかくてムカつく」
「感想それかよ」
どうやら、蓮華には胸の感触しか伝わらなかったらしい。
避雷針は雷を離さない。
それでは次回は『ホワイトアリス』です。