6章 4話 彩芽ママとキッチン
「――何を作るんだ?」
現在、天は彩芽の私室にいた。
蓮華との共用ルームではなく、元々彼女が暮らしていた部屋だ。
とはいえすでにこの部屋に彩芽の私物はほとんどなく、もはや寮の共用キッチンとなっている。
そんな場所で今、彩芽は料理を作っていた。
――まな板の上には骨付きの鶏肉が乗っていた。
彩芽は骨に沿うようにして鶏肉に包丁を入れてゆく。
その動きに迷いはなく、手慣れている。
「今作っているのはローストチキンですよ」
「……晩御飯には早くないか?」
まだ午前中だ。
ローストチキンといえば夕食のイメージが強い。
作り始めるにはあまりにも早すぎはしないだろうか。
「これは試作ですから」
「……なんの?」
「クリスマスの、です」
彩芽はそう微笑んだ。
「毎年、ALICEのメンバーでクリスマスパーティをしているんですよ」
「へぇ」
確か、アンジェリカと美裂がALICEに加入したのが去年の秋だったはずだ。
つまり天が知らなかっただけで、クリスマスパーティはALICEにとって恒例の行事だったのかもしれない。
「普段作らない料理も作りますし、もうそろそろ試作をしてみようかと思いまして」
どうやら夕食というよりも、実験的な意味合いが強かったらしい。
この時間から作っていたのは、試行回数を増やすためだったのだろう。
「完成したら天さんも食べますか?」
「良いのか?」
彩芽が作る料理だ。
試作とはいえ一定以上の味は保証されたも同然。
断る理由がなかった。
「はい。多分、一人で食べるのは大変ですから」
そう彩芽は言った。
こうして会話をしつつも彼女の手は止まらない。
一連の動作が体に染みついているのだろう。
「思いのほか豪華な昼食になりそうだな」
天はキッチンに立つ彩芽の背中を見つめ、そう思うのであった。
☆
タイマーの音が鳴る。
それはオーブンの中にある料理が完成した合図だ。
「美味しくできていると良いんですけどね」
微笑みながら彩芽はオーブンに歩み寄る。
そして扉を開いた。
「ぉぉ」
思わず天の口から感嘆の声が漏れた。
少し離れた位置にいる彼女でさえ分かるほどに香ばしい。
嗅ぐだけで唾液が大量に分泌されているのが分かる。
「それでは――」
彩芽は料理をオーブンから取り出そうと手を伸ばす。
しかし、現在の彼女は素手だった。
「彩芽。手――」
彩芽は鍋つかみを着け忘れていることに気が付いていなかったようだった。
彼女は金属部に触れた瞬間、弾かれるように手を引っ込めた。
「熱っ……」
「大丈夫か?」
天は冷凍庫に向かう。
冷凍庫では保冷剤が冷凍されていたはずだ。
火傷していたとしたら、早めに冷やすべきだろう。
「彩芽。これで冷や――」
冷凍室から保冷剤を取り出し、天が彩芽に向き直ると――
「――そこまで心配しなくて大丈夫ですよ? ほんの一瞬でしたから」
彩芽はそう笑う。
――耳たぶをつまみながら。
熱いものに触れた際、耳たぶで冷やすという方法は実際に存在する。
人体の中でも耳たぶは比較的体温が低いからだ。
しかし同時に――最近はあまり見ることのない仕草だ。
「ふふ……! 彩芽……! なんかそれってちょっと昭和っぽ――」
「……………………」
「ぉふ」
――彩芽は無言だった。
そして微笑み、コテンと首を傾けている。
その光景を見て初めて、天は己の失態を悟った。
メンバー内で唯一成人を迎えた彩芽。
最近の彼女は、年齢にまつわる話題に敏感だ。
故意でないとはいえ、天は彼女の地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「――――えぇっと」
天はしどろもどろに弁解の言葉を探す。
一方で彩芽は色のない微笑を浮かべたままソファに向かって歩いて行った。
そのまま彼女はソファに腰かける。
――怒らせてしまったか。
なんの反応もないことで、かえって不安になる天。
しかし、次の瞬間に彼女は度肝を抜かれることとなる。
「!?」
彩芽が唐突に靴下を脱ぎ始めたのだ。
露出する白い脚。
女性的な肉付きに恵まれたそれは柔らかそうで――
「にぎにぎにぎにぎにぎにぎ…………」
「んっふぅぅぅぅ~~~~~~~~~~~~~!?」
彩芽は唐突に足の裏を揉み始めた。
同時に、天の足裏に激痛が走る。
「何すんだよ彩芽……!?」
「何を……ですか?」
「今《不可思技》使ってるよな……!?」
彩芽が持つ《不可思技》――《黒色の血潮》の能力はダメージシフト。
自分が受けた痛みや傷を他人に、他人が受けた痛みや傷を自分に。
彼女が持つ能力を加味すれば、天の身に起きた現象も説明がつく。
「ただ――自分に激痛足つぼマッサージをしているだけです」
「それだよ! 絶対それの痛みだよこれッ!」
ビンゴだった。
しかし正解したところで痛みが引く道理もない。
ついに天は立てなくなり床に転がる。
「我慢してください。ちゃんと効くんですから……にぎにぎにぎ」
「健康になるの彩芽! 痛いの俺!」
天の抗議も届かない。
どうやらこれは彩芽からの意趣返しのようだ。
「ぁっ……ぁん……やめっ……死ぬ……死んじゃう……! あ、脚が攣った……あや、謝るから助け……!」
終わりの見えない痛み。
自分の体から発生しているわけではないからこそ、どんな体勢であっても痛みを緩和することは叶わない。
「ごめ……ごめんにゃひゃいッ……! 俺が、悪かったからぁ……! もう言わないかりゃぁ……! お願いだから、たしゅけ……!」
天にできることは命乞いだけだった。
「――何の話をしないんですか?」
彩芽から投げかけられた問いかけ。
それは天に残されたラストチャンスだった。
「と、年……! 彩芽の年の話はしにゃいから……!」
ほとんど叫ぶように天は懇願した。
「それじゃあ、まるで私が年齢を気にしているみたいじゃないですか。にぎにぎ」
「んにゃはぁぁぁぁん!? そんなこと言ったらもう……どうしようも――にゅふぅぅぅ~~~~~~…………!」
どうやら天がラストチャンスだと思っていたそれは、彼女にトドメを刺すための刃だったらしい。
「うふふ……なんだか楽しくなってきましたね」
床にはいつくばって悶える天。
彼女を見下ろす彩芽の目には喜悦の色が混じり始めていた。
「ま……ママがSに目覚めた……!」
それからしばらく、彩芽の激痛だけマッサージは続いた。
彩芽ママに年齢の話はタブーです。
それでは次回は『貴方は避雷針のように』です。