6章 1話 朔月
「いない、か……」
乾いた風が天の髪を揺らす。
現在、彼女は蓮華とともにとある高架下にいた。
そこには複数のテントが張られていて、多くの人が暮らしている。
ここは人々から忘れ去られ、帰る場所のない人間が集まる場所となったエリアだ。
そして――月読が住んでいた場所でもある。
「月読はこんなところにいたのね……」
蓮華は瞳に複雑な感情を浮かべ、月読が暮らしていた世界を眺めていた。
「てっきり、どこか遠くに行ったものだと思っていたわ」
月読が箱庭を抜け出したのが3年前。
それから先日まで蓮華は一度も月読とは会わなかったという。
だからこそ蓮華も、まさか同じ町に彼女がいたなどと想像もしていなかったのだろう。
「とはいえ、さすがに拠点を変えたみたいだな」
天の視線の先にはもう、月読が暮らしていたテントはない。
箱庭に侵入した時点で、天がここを訪れるのは必然。
月読が留まり続けるはずもなかったのだ。
それでももしかしたら――そんな思いだったが空振りに終わってしまった。
ここにはもう月読はいない。
そんな事実を再確認してしまっただけだった。
「まあ、いないものを気にしても仕方ないわね」
蓮華は息を吐いた。
確かに彼女の言う通り、月読の足取りを追うことは難しい。
気にしても意味はないのだろう。
「そうだな。きっと……近いうちにまた会うだろうし」
――月読はなんらかの目的をもって箱庭に侵入していた。
彼女が一度で諦めるとは思えない。
機会をうかがい、再び彼女は現れるだろう。
「ええ。その時は、問い詰めてやるわ」
蓮華はそう笑っていた。
彼女にとって先輩にあたるALICEであり、箱庭にとっては裏切り者にあたる月読。
きっと再会は、蓮華の望むものとはならなかっただろう。
それでも彼女の瞳に曇りはなかった。
「じゃあ帰るか。特例で外出してるわけだし……」
本来、ALICEは外出の際に申請を必要とする。
しかし今回は、月読の居場所を探すために特例で箱庭を出ているのだ。
あまり遅くなると氷雨に怒られそうだ。
「ねぇ天」
そんなことを思っていると、天の袖が引っ張られた。
「?」
引っ張っているのは蓮華。
彼女は指先で天の服をつまんでいた。
そして蓮華は少し恥ずかしそうに――
「ちょっと……寄り道しましょう?」
それは――デートのお誘いであった。
☆
「サラダが好きなのは本当だったんだな……」
天たちは、以前二人で訪れたファミレスにいた。
確かあの時も、蓮華はシーザーサラダしか食べていなかった、
しかし当時の蓮華は体調を崩していたため、できるだけ胃に負担をかけないためにサラダを注文したのだと思っていたのだが――
「美味しいわよ?」
「……俺は草食動物じゃない」
生前よりもかなり食が細くなってしまったものの、天の好みはいまだ変わらず肉料理だ。
転生後は、そこにスイーツが加わってしまったが。
――アイドル活動を辞めた途端に太りそうで怖い。
「なら……はい」
机越しに蓮華が身を乗り出した。
――レタスを咥えたまま。
「? ?」
蓮華の意図するところが分からずに天は首をかしげる。
すると蓮華は少し肩をすくめ――
「食・べ・て?」
蓮華は唇で器用にレタスを挟んだままそう言った。
食べて。
この世にはポッキーゲームなるものが存在するという。
もしかするとこれは、それの派生形なのだろうか。
「ん……」
おそるおそる天も腰を上げる。
そしてそのまま蓮華の口からレタスを齧り取った。
咀嚼。
シャキシャキとした音だけが鳴り続ける。
そして――
「……レタスだな」
天は率直な感想を述べた。
端から端まで、徹頭徹尾レタスであった。
「だってドレッシングかかってないじゃない」
「……じゃあドレッシングがかかってるトコくれよ……」
「仕方ないわね……」
蓮華は笑う。
その笑みは悪戯を思いついた子供のようで――
「?」
蓮華がスプーンの裏でドレッシングを少しすくい上げた。
そしてそれを薄く唇に塗る。
彼女はそのままレタスを再び咥えると――
「――――はい」
蓮華の顔が近づいてきた。
――レタスにはドレッシングがついていない。
ドレッシングは蓮華の唇についているものだけ。
つまりそれは――そういうこと。
「んっ……」
蓮華が口を突き出す。
まるで乞うように。
「じゃ、じゃあ……行くぞ」
どうやら蓮華に引くつもりはないらしい。
天は意を決し、蓮華へと急接近した。
そして――
「……美味しい?」
「お……おう」
口の中にはまろやかな風味が広がっていた。
第2部はしばらく日常回になると思います。
それでは次回は『女帝の部屋』です。