5章 エピローグ4 影に沈む
そこはまるで謁見室だった。
巨大な部屋。
その奥には、玉座が置かれている。
玉座には誰もいない。
しかし、その前には四人の男女がひざまずいていた。
王の登場を待ちわびるかのように。
「ねえミリィちゃん。思うんだけどさ。肘つくのは失礼なのに、膝をつくのはOKっておかしくない?」
「じゃあデコつけて土下座してやがれ」
「でも土下座してる女の子の懇願って、逆に無視したくなるよね」
「死ね」
少年――ジャック・リップサーヴィスの発言を少女――グルーミリィ・キャラメリゼは一蹴する。
「しかしミリィッ! 土下座では肘も膝も床についてしまうのではないかッ!? それではプラマイゼロだろうッ!」
「じゃあ額だけ床につけて逆立ちしてろ」
「なんと斬新なッ! ミリィは現状維持を良しとせず、新しい忠誠の形を模索しているというのかッ! まさしく正義ッ!」
「アタシだったら、そんな臣下なんて張り倒すけどね」
感涙さえ流しそうな大男――マスキュラ・レスリングを赤髪の少女――レディメア・ハピネスは呆れた様子で見ていた。
しかしそんな言葉もマスキュラには正確に届かないらしく――
「逆立ちに疲れた部下をねぎらうため、あえて自らの手で倒すッ……! 陛下自らが行うことにより部下に無用な遠慮を許さない……! メアッ! さては君は正義かッ!」
「さてはお前バカだろ」
辟易した様子でグルーミリィは嘆息する。
かれこれ半刻ほどこんなやり取りが続いている。
待つのは構わない。
だが、一緒に待つメンバーがこんな阿呆であることが心労である。
「あ~あ。待つの疲れちゃったなぁ。ミリィちゃん食べてもいい? ちょっとカーペットが濡れちゃうかもしれないけどいいよね?」
「別にお前の血で濡らしてもいいんだぜ?」
「え? ミリィちゃんって血を見て濡れちゃうタイプ? 想像していたよりハードな性癖で僕びっくりしちゃうな~。ひょっとして変態?」
「…………………………」
あと数分もあれば謁見室が血で染まるような気がした。
多分、引き金を引くのは自分だろうけれど。
グルーミリィがそんなことを考えていると、なにやらマスキュラが思案しているのが見えた。
「しかし、相手を待たせるのは正義なのか――? いや、陛下が正義でないはずがないッ! 陛下の行いはすべて正義。つまり、権力は正義というわけだなッ!」
「おいゴミみてぇな結論に至ってるぞ」
頭を抱え始めたマスキュラにグルーミリィはツッコミを入れる。
「僕は、人が権力の奴隷になる瞬間を見てしまった」
「人じゃないけどねぇ」
ジャックとレディメアもそんなことをぼやいていた。
軽口を叩きながら待つ時間。
しかしそれも終わりを迎える。
「待たせたな」
――たった一声で。
そこにいたのは女性だった。
黒。影。
どんな言葉を持ち出しても、彼女の色を表せない。
光沢さえない漆黒。
光を呑む暗闇を女性は纏っていた。
闇色セーラー服。闇色のタイツ。
身につけた衣服だけではない。
髪も瞳も、底の見えない奈落のように暗い。
影の中にあるこの世界を統べる存在としては、これ以上にふさわしい者はいないだろう。
誰よりも世界の暗闇を体現した女性。
彼女はグルーミリィたちに目を向けることもなく玉座へと歩み――座った。
そのまま女性は足を組み、グルーミリィたちを俯瞰する。
「世界とは不思議なものだな」
ふと女性はそう呟いた。
彼女は天井を眺めており、グルーミリィたちに聞かせるつもりで発した言葉ではないのかもしれない。
「私が眠る前は、人間などただの食糧だったというのに」
女性は始まりの《ファージ》。
あらゆる《ファージ》の母だ。
「1000年眠っている間に、人間も我々への対抗策を見出したというのだな」
女性は手に顎を乗せた姿勢のまま思案する。
「人間というのも本当に運の良い種族だ。私に活動限界などなければ、これほど栄えることはなかっただろう」
活動限界。
彼女の活動には制約がある。
自由に動けるのは1年。
そして、その後には1000年の眠りにつかねばならない。
「そもそも活動限界など以前はなかったのだがな。我々を討てるほどの力を偶然見つけたことといい。余程、世界は人間を守りたいと見える」
もしも彼女がなんの制約もなく動けていたのなら、人間の活動圏はここまで拡大しなかったことだろう。
それほどに彼女の存在は大きい。
「人間の底力を褒めてやりたいという気持ちはある。しかし、我が子が殺されているという状況は面白くない」
ここ十数年は、人間が《ファージ》を倒すという事態が起こり始めている。
食物連鎖の逆転。
それが一部でとはいえ、確実に起こり始めているのだ。
「案外、次の1000年では人間が我々を脅かすような世界となっているかもしれないな」
女性はくすくすと笑う。
「――――私がいなければの話だが」
女性の表情が消えた。
彼女の衣服が溶けてゆく。
布は輪郭を失い、黒い炎となる。
だがその炎に熱量はない。
むしろ冷たささえ感じる。
それはきっと――恐怖だ。
生物は本能的に闇を恐れる。
彼女が纏う無尽蔵の暗闇が、ここにいる者たちの本能を刺激しているのだ。
「我が子のため、私も動くとしようか」
女性は再び笑んだ。
傲慢に、冷徹に、支配者の風格を纏い。
「1年などと悠長なことは言わぬ」
「近いうちに、人間の希望は影に沈む」
始まりの《ファージ》――クルーエル・リリエンタールが断言した。
ついに《ファージ》陣営が出揃いました。
すべての《ファージ》の王にして母。
そんなクルーエルと天たちはどう対峙していくのか。
それでは次回は『女神の世界』です。