5章 エピローグ3 月夜の下で二人
「ふぅ」
パーティも終わり、静寂が支配する夜。
天は私室の窓から外を眺めていた。
さっきまで騒々しくしていたせいか、静かな部屋が少し寂しく感じてしまう。
「?」
扉を叩く音が聞こえたのはそんな時だった。
コツコツと軽くノックする音。
「アタシよ」
「蓮華か?」
――今、いいかしら。
扉の向こうで蓮華がそう聞いてきた。
断る理由などあるわけもなく、天は部屋のドアを開けた。
しかしそこにいたのは――蓮華であり蓮華ではなかった。
「…………」
天は言葉を紡げずに立ち尽くす。
蓮華はパジャマ姿だった。
派手というよりもシンプルで上品なデザイン。
普段見ている彼女よりも無防備で、それでいてズボラには見えない微妙な塩梅のコーディネイト。
さすが数年間トップアイドルのセンターを務めてきた少女というところか。
「――その辺に座ってくれ」
「……ええ」
天の部屋を訪れるのは初めてだからだろうか。
蓮華は微妙にためらっているようにも見えた。
いつもならもっと堂々としていそうなものなのだが――
元々本調子ではなかったというのに、あれほどの激闘があったばかりだ。
まだ体調がすぐれないのだろうか。
「今夜は眠れそうか?」
「さすがに今晩眠れなかったら死ぬわね」
そう言うと、蓮華は床にあったクッションを抱きしめる。
彼女もどうやら疲労困憊らしい。
無理もないことなのだが。
「この前、彩芽からもらったハーブティーのティーパックがあるんだけど、それでもいいか?」
「ええ。お願い」
「煎れるの俺だし、味に期待するなよ」
「ええ。してないわ」
「……おい」
――比較対象が彩芽である以上は仕方がないとはいえ不満が残る天だった。
ともかく、特に知識もない天にできることは開封したパックをコップに入れてお湯を注ぐだけだ。
「ん」
「ありがとう」
天は二つのコップのうち、片方を蓮華の前に置いた。
そのまま彼女は、机を挟んで蓮華の向かい側に座った。
のだが――
「?」
いきなり蓮華が立ち上がった。
そして天の隣まで歩いてくると、そこに座り直した。
――肩同士が触れそうな位置で。
「「…………」」
どちらも何もしゃべらない。
気まずくなり、天は少しだけ蓮華と距離をとる。
しかしなぜか、また蓮華が距離を詰めてきた。
再び肩が触れ合う。
(なんで近づいてくるんだ?)
蓮華の行動の意図が読めずに困惑する。
「!?」
そんなことを考えている間に、蓮華の頭が天の肩に預けられる。
しなだれかかるような蓮華の行動。
天の混乱が深まる。
「ねぇ天」
――お願いがあるの。
蓮華がそう切り出した。
「……なんだ?」
少し身構えながらも天は問い返す。
すると蓮華は――
「アタシを、貴方だけのものにしてほしいの」
「のわっ……!」
蓮華に押され、気が付くと天は床に倒れていた。
そんな彼女に蓮華はまたがっている。
蓮華の顔が近づいた。
「ずっと思っていたの」
「………………」
「またいつか貴方に会えたなら、貴方のためのアタシになりたいって」
そう蓮華は続ける。
「ねえ天」
「アタシを、貴方だけのものにして」
「えっと……」
ここにきて凍結していた思考が動き始める。
天は平静を心がけつつ、目の前の少女に問う。
「もしかしてだけどコレ……告白……とかだったりするのか?」
彼女は少し頬を引きつらせ、冗談めかして尋ねたのだが――
「ええ。まぎれもなく、告白よ」
蓮華はそれを肯定した。
その瞳に揺らぎはない。
嘘でも冗談でもないらしい。
「でも――」
天は蓮華の瞳を見つめ返す。
彼女とてかつては男だった身だ。
蓮華のような少女に告白されて嬉しくないはずがない。
だけど、相手が彼女だからこそ確かめないといけないことがある。
うやむやにできないことがある。
「でもそれは――俺への罪悪感とかじゃないのか?」
天への献身。
それそのものが目的なのではないかということ。
もしもそうなら、天はそれを望まない。
それが蓮華の幸せにつながるとは思えないから。
だからこの一線だけはハッキリとさせなければならないのだ。
「確かに、昔のアタシなら天のために生きることで救われようだなんて考えたかもしれないわね」
蓮華は小さく笑う。
しかしすぐに彼女は真剣な表情へと変わり――
「でも今は――違うわ」
そう断言した。
「貴方といると、安心できるの」
蓮華はそう口にした。
「この前、アタシの頭を撫でてくれたわよね」
「ん? ……ああ」
一瞬なんのことかと思ったが、おそらく蓮華が療養していた時のことだろう。
なんとなく天が蓮華の頭を撫でたことがあった。
「あの時、どうして眠れたのか……今なら分かるの」
蓮華は微笑む。
「あの時、アタシは安心していたの」
蓮華はのしかかるようにして天と体を重ねる。
「いつも気が抜けなくて、不安だった。今度こそ失敗できないって――夜も眠れないくらい思い詰めてた」
――でも、天と一緒なら安心できたの。
「見ず知らずのアタシを助けてくれた貴方だから。不安も恐怖も、貴方になら全部預けられるの」
「アタシにとって、天のそばだけが安心できる場所なの」
「………………」
命を助けられたことによる吊り橋効果。
あるいは蓮華が抱いているものは依存に近い感情なのかもしれない。
だけど彼女にとって、天だけが安息の場所であることも事実なのだろう。
そうでなければ、壊れそうになるまで蓮華が走り続けることなどなかったはずだから。
(だとしたら俺は――)
「――分かった」
天は蓮華の告白を受けた。
もちろん、流されての決意などではない。
天なりの考えはある。
「だから、一つだけ約束がある」
天はそう提案した。
「ええ。なんでも約束するわ」
蓮華は迷うことなくそう言った。
彼女にとって、天は最初で最後――さらにいうのなら唯一の安息の地。
そこにいくら制約が付随したところで気にもならないのだろう。
しかし、天の言いたいことはそうではない。
「いや。約束するのは俺だ」
「俺は蓮華を――絶対、幸せにする」
あくまで、誓うのは天だ。
天が、蓮華に誓うのだ。
「俺だけの蓮華になるってことは、蓮華が幸せになれるかは俺次第ってことだろ?」
――だから、誓うよ。
蓮華にとって天だけが安心できる場所だとして。
ならば、本当の意味で蓮華を守れるのは天しかいないではないか。
「蓮華も守るし、世界も守る。そうして平和になった世界で、ずっと一緒に生きていこう」
そしていつか、この世界すべてが蓮華にとって安心できる場所になれば。
この世界が、もっと彼女に優しい世界となってくれたら。
窓から差し込む月光が二人を照らしていた。
蓮華はリーダーとしてすべてを背負いこむ反面、本質的にはかなり依存気質です。
逆に言えば、だからこそ重荷の背負い方の匙加減が分からないとも言えます。
すべて背負う100か、すべて預ける0かしかないといった感じです。
それでは次回は『影に沈む』です。