5章 11話 あの日の君へ言うべきだったこと
天の中ではすでに予感は確信へと変わっていた。
あの日助けたはずの少女が、瑠璃宮蓮華であったのだと。
「――そういう冗談は悪趣味じゃないかしら」
蓮華は責めるような視線を天へと向ける。
仕方のないことだろう。
容姿どころか性別さえ違うのだ。
生前と今世の天が結びつかないのも当然だ。
(瑠璃宮が納得する証拠となれば――)
天はある言葉を口にした。
――住所だ。
あの事故が発生した地名を天は口にした。
さっきの会話で、一度も蓮華は場所の名前を口にしていない。
(この世界に、俺たちが住んでいた町は存在しない)
ゆえに、そんな場所の名前を知っていることそのものが証明となるのだ。
天宮天が転生者であることの。
あの日、蓮華と出会った少年であることの。
「………………うそ。そんなこと……」
蓮華の口から漏れたのは猜疑の声ではなく、驚愕の言葉だった。
口にしていない。この世界に存在しない。
そんな場所の名前を言い当てられたのなら、信じざるを得なかったのだろう。
「…………ごめんな、さい……」
そして蓮華の口から次に発せられたのは謝罪の言葉だった。
「アタシがいなかったら……死なずに済んだのに」
再び、蓮華の目から涙がこぼれてゆく。
「生かされたんだから……頑張らなきゃいけないのに」
流れる涙は止まらない。
「頑張っても頑張っても、何も掴めなくて。何も為せないまま死んで」
――生き返ってもまた、何も達成できない。
「もう…………疲れたの」
蓮華の瞳は、諦観に蝕まれていた。
ずっと頑張り続けていた。
そんな少女の心は折れていた。
「……ごめんなさい」
蓮華の涙が止まる。
だがそれは涙が枯れてしまったから。
涙を流す力さえ失ってしまったから。
「もうアタシ……頑張れな――――」
「瑠璃宮っ……!」
気が付くと、天は蓮華を抱きしめていた。
胸元で彼女の頭を包み込む。
強く、強く。
残酷な運命が、彼女を壊してしまわないように。
「――ごめんな……瑠璃宮」
天は蓮華の頭を優しく撫でる。
少しでも、彼女の苦しみが和らぐようにと。
「なんで……謝るん……ですか」
たどたどしい蓮華の言葉。
前世の天も、今世の天も知っているからこそ距離感に戸惑っているのだろう。
だが、それを無視して天は蓮華を抱き続ける。
「俺……とんだ思い上がり野郎だったんだな」
(勘違い野郎もいいところだ)
天は猛省する。
あの日の自分が遺してしまった負債の大きさを知ってしまったから。
「俺さ。勝手に助けて、勝手に死んで、勝手に満足してた。勝手に――あの時、助けた親子は幸せに生きていけてるって思ってたんだ」
考えれば分かることなのだ。
自分を助けようとした人がいて、その人が死んでしまったら。
それは心の傷になる。
何事もなく幸せに生きていけるはずなんてないのだ。
そんなことにも思い至らなかった。
大馬鹿だ。
「ずっと……苦しかったんだな」
天は蓮華の耳元でささやきかける。
あの日、言わなかった言葉。
あの日、言うべきだった言葉。
それが今の天になら言えるから。
「もう、良いんだ瑠璃宮」
「お前は、自分のために生きて良いんだ」
償いのために生きなくてもいいのだ。
「世界が救われても。瑠璃宮が幸せになれないなんてさ……寂しいだろ」
そんな世界では見失ってしまいそうになる。
あの日、天は誰かを助けることの喜びを知った。
なのにそれは独りよがりで、助けられたはずの少女は救われなかった。
それでは、何が正しかったのか見失ってしまいそうになる。
初めて助けたいと思った少女だから。
蓮華には、気兼ねなく幸せになってほしいのに。
☆
心がほどけてゆく。
固く、彼女を守っていた心の殻は砕けた。
だけど、温かい。
甘えてしまいたくなる。
体の重荷が消えてゆく。
(そうか、アタシは――)
(ずっと『助けて』って、言いたかったんだ)
頼ったら壊れてしまいそうで。
弱い自分に飲み込まれてしまうそうで。
隠し続けてきた本音に、自分でも気づけなくなっていた。
「…………天」
蓮華を押し潰そうとする過去。
それが、ほんの少しだけ軽くなる。
だからだろうか。
あの日、言いたかった言葉を思い出せたのは。
一生言えないと思っていた言葉を思い出せたのは。
これは奇跡だ。
あの日、死に別れた二人が違う世界で再会する。
そうやって、伝えたかった言葉を伝えられる。
蓮華は微笑んだ。
今から伝えるのは、彼女にとって大切な言葉だから。
「あの日……助けてくれて、ありがとう」
蓮華はこの言葉を言うために、この世界に生まれてきたのだ。
『蓮華』の花言葉:貴方と一緒なら苦痛がやわらぐ。
それでは次回は『残酷な運命の中で二人』です。