5章 9話 見えざる運命の斬撃
蓮華は走る。
円を描くように月読の周囲を回ってゆく。
近すぎない間合いは保ったままに。
それでいて狙いを定められないように走り続ける。
「お元気でなによりですね」
月読は視線だけで蓮華を追っている。
(視線は外さないわね)
蓮華は彼女の動きを観察していた。
先程の見えない斬撃。
秘密にしていたという真の能力。
(刃物が必要だというのはフェイク)
蓮華はナイフを振るという行為が能力の予備動作だと思っていた。
しかしそれが勘違いだとしたら。
「ではもう一回」
月読がコインを構えた。
そして、指で飛ばす。
コインは回り――裏を示した。
「ぁぐッ……!」
――月読の肩が裂けた。
血が芝生に飛ぶ。
表が出たら――蓮華が斬られた。
裏が出たら――月読が斬られた。
つまり月読の能力は……、
「……馬鹿にしないでちょうだい」
蓮華は立ち止まった。
彼女は苛立ちが混じった声で問い詰める。
「コイントスの裏と表で斬られる相手が決まる能力――と勘違いすると思ったのかしら」
飛びつきたくなるような答えだ。
だからこれも、月読が仕掛けたミスリード。
「本当は月読の能力に予備動作なんてないんでしょう。それをこんな茶番で誤魔化そうだなんて……甘く見ないでほしいわね」
コイントスが必須だと思っていたら、思わぬ不意打ちで殺される。
能力に条件があると思わせることそのものが罠なのだ。
「あら……どうしてそう思ったんですか」
「簡単よ。月読が自分の能力で怪我をしているところなんて見たことがないわ。それとも、何百回でも表を出し続けられるっていうのかしら」
大雑把な話、コインは2回に1回は裏が出る。
そのたびに自分が斬られるのでは、一緒に戦っていて気づかないわけがない。
当時は彩芽もいなかったので、怪我を治すのも自然治癒しかなかった。
だから、月読が自滅覚悟の能力を持っていたのなら分かるはずなのだ。
「ふふ……」
「――何か間違っていたかしら」
月読は口元に手をやって笑う。
その姿は妖艶で――
「まったく蓮華ちゃんは……自分を追い込むのが好きですね」
――恐ろしい。
「んぁぁっ!?」
蓮華の足首が裂けた。
体重を支える力が失われ、彼女はその場に倒れこむ。
「予備動作がないんだから、逃げ回らないと駄目じゃないですか」
(予想はしていたけど……本当にまったく前兆がないわね)
あの能力に対処するには、動き回って狙いを定められないようにするしかない。
距離は無意味。防御も無意味。
攻撃のタイミングを察知することは――不可能。
シンプルだが、強力な能力だ。
(ともかくスピードで――)
蓮華は立ち上がろうとするも、
バツン……!
手首に走ったのは焼けるような痛み。
同時に何かが千切れる音がした。
「きゃ……!」
体重を支えていた腕の腱が断たれたのだ。
唐突に体の支えを失い、蓮華は顔から倒れる。
「ぁ……ぐぅ……!」
体中に痛みが走る。
浅く、全身を切り刻まれているのだ。
かまいたちのように見えない斬撃。
躱そうにも、どこが安全圏か分からない。
(このままじゃ……やられる……!)
立ち上がる時間さえ惜しい。
蓮華は全力で転がり、建物の物陰に身を隠した。
「はぁ……はぁ……」
蓮華は荒い呼吸を繰り返す。
全身の傷は浅い。
しかし背中の傷はかなり深く裂かれている。
血が止まってくれそうにない。
(動き回りながらの撃ち合いになりそうね)
蓮華は雷撃を。
月読は斬撃を。
どちらかが力尽きるまで。
「蓮華ちゃんでしたよね?」
そう蓮華が考えていると、月読の声が聞こえた。
大声ではない。
それなのに、不思議と耳に届く声で。
「わたくしの能力に距離も強度も関係がないって言ったのは」
理由は分からない。
しかし、蓮華の背筋を寒気が駆け抜けた。
死の気配を濃密に感じた。
「場所が分かれば――障害物に意味はありませんよ」
そして、蓮華ごと建物が切断された。
☆
「間に合ってくれよ……!」
天は一人街を駆け抜けていた。
《悪魔の四肢》で下半身を強化し、建物と建物を跳んで行く。
今の天なら、ヘリに搭乗して帰還するよりも速い。
建物を無視して、最短ルートで箱庭を目指す。
天はビルの屋上を駆ける。
「はぁッ!」
そして両足で踏み切り――跳んだ。
走り幅跳びの要領での跳躍。
そのまま天は箱庭に着地する。
着地地点は中庭。
芝生を抉りながら彼女は箱庭に降り立った。
「敵はどこなんだッ……!」
箱庭に敵がいるという報告を受けてからまだ時間はそれほど経っていない。
ならば敵も近くに――
「あら。もういらっしゃったんですか?」
声が聞こえた。
知っているはずの声が。
「…………は?」
声の主を見て、天は固まる。
夜色の髪。
赤い月のごとき瞳。
少女――月読は微笑んでいた。
――蓮華の血でブーツを汚したまま。
天が箱庭に戻ってきました。
それでは次回は『限界』です。