5章 7話 箱庭の中で独り
「…………ふぅ」
蓮華は息を吐く。
そして腹を撫でた。
体をねじると疼く。
「また今度も……何も為せずに死んでしまうのかしら」
蓮華は窓の外を眺めながらそう呟いた。
――数分前、箱庭の中にサイレンが鳴り響いた。
《ファージ》の出現を示す警報。
きっと今頃、他のALICEは戦っているのだろう。
「…………」
出撃禁止を言い渡されてから数日が経過したのだが、今のところ出撃許可は下りないままだ。
なんだかんだ《ファージ》に対処できているらしい。
――蓮華がいなくても。
そう思うと、心の内で何かが壊れていくような感覚が襲ってくる。
――いっそのこと、勝手に出撃して自分が戦えることを示そうか。
そんなことを思い、諦める。
それをしてしまえばおそらく、氷雨は蓮華を一生リーダーに据えない。
指揮官の命令を意味もなく無視する人間に、現場の指揮など任せられないからだ。
いや、そんな予想でも甘いほうか。
きっと出撃さえさせてもらえなくなるだろう。
スタンドプレーの皺寄せは仲間に降りかかる。
そのことを蓮華自身もよく理解していたから。
氷雨が言った通りに療養し、正しい手段をもって彼女から再び許可をもらう。
結果的にそれしかないのだ。
「まったく。眠れない人間に眠れっていうのがそもそも無茶なのよ」
そんな愚痴が漏れた。
――そして、そんな愚痴さえ仲間がいるところでは言えていなかったことに気が付いた。
「動けば、少しは眠れるかしら」
とうの昔に試した方法を実践するため、蓮華は私室を出た。
歩くたびに腹痛を感じながら。
共用スペースを抜け、寮を出た。
このあたりのエリアは限られたスタッフしか立ち入れない。
それこそ《ファージ》の存在を知っている、選りすぐりのスタッフだけだ。
そしてそんなスタッフたちの主な業務は、戦闘時にオペレーターとしてALICEを支援すること。
《ファージ》が出現したら警報を鳴らす。
《ファージ》の居場所を特定する。
戦闘時の指揮官は氷雨だが、彼女が判断を下すための材料を収集するのはスタッフだ。
言い換えるのなら――
「誰もいないわね」
《ファージ》との戦いにALICEが赴いている今、呑気に出歩いているスタッフなどいないということだ。
10人にも満たない人員のため、暇を持て余している者はいない。
現在、このエリアには蓮華しかいなかった。
――別に人恋しかったわけでもないので構わないのだが。
むしろ、一人になれて助かる。
「ん……」
蓮華は中庭に寝転がる。
いつもと違う場所なら眠れるのだろうか。
そう思ったのだが――
「……肌寒いわね」
暦にして11月下旬。
心地が良い陽気……とはいかない。
これで風邪をひいては馬鹿らしい。
特に収穫もなく、蓮華は立ち上がった。
――のだが。
「あらあら。このタイミングなら、みんな出払っていると思ったのですが」
そんな声が聞こえた。
声の主は少女だった。
夜色の髪をなびかせ、月のような赤い瞳で蓮華を見下ろしている。
その姿は妖しくも美しく。
ゴスロリ服もあいまって、人形のようにも思えてしまう。
「貴女は……」
思わず蓮華はそう問いかけていた。
――口の中が乾く。
だって、
だって彼女のことは――よく知っていたから。
「お久しぶりですね」
「――蓮華ちゃん」
少女――月読は昔のままの姿で微笑んだ。
☆
「んー」
「どうしたんだ?」
「いや……」
すべての《ファージ》を討伐した後、天は唸っていた。
それを見つけた美裂が声をかけてきたのだが。
「なんていうか、ちょっと戦いにくかったなぁ……って」
普段ならもっとスムーズに倒せる規模の相手だった。
「いつもより丁寧に指示が出てるのに、妙にやりにくいっていうか」
「……すみません」
天の意見に、彩芽は申し訳なさそうに謝った。
「いや、むしろ頼りっぱなしだった俺も悪いんだし、彩芽が悪いわけじゃ」
「ですわね。不慣れなのだから、上手くいかないのは当然ですわ」
天が彩芽に弁解していると、アンジェリカもそうフォローした。
まだ彩芽が現場の指揮をするようになって10回も出撃していないのだ。
むしろチームワークを破綻させていないだけでも評価されるべきだろう。
「普段は、蓮華ちゃんが一括で情報を受け取ってから、伝える内容の取捨選択をしているんですけど……今は、みんなにそれぞれ情報が伝えられているので――」
そう彩芽は言いよどむ。
確かに、これまでは天の耳に直接オペレーターから情報が伝えられることは少なかった。
他のメンバーと離れて行動をしている時くらいだった。
しかし最近は、天たちにそれぞれ情報が届くので、わずかに戦場から意識が散ってしまっているのだろう。
これまでは蓮華が情報を受け取り、処理・整理してから指示をしていた。
それを各々が行わねばならなくなった結果が、不手際につながっているのだ。
「ふぅ」
「大丈夫か?」
「……ちょっと疲れました」
力なく彩芽が笑う。
おそらく今、一番負担が大きいのは彩芽だろう。
戦いが終わった後の彼女は以前に比べて疲弊しているように見える。
これまで以上に要求される広い視野。
そして、自分のミスが及ぼす影響の増大。
それらのプレッシャーが彼女の心労を増やしているのだ。
『これは――』
そんなことを考えていると、氷雨の声が聞こえた。
こちらへの指示ではない。
しかしあまり良い話ではなさそうだ。
氷雨の声音が普段と違っている。
インカムの向こう側は切迫しているのが空気で分かる。
「追加で《ファージ》が出たのか?」
『いや』
天が尋ねると、氷雨はそれを否定した。
『――戦いが終わって休む暇もないだろうが、箱庭に急いで戻れ』
「?」
氷雨が出したのは帰還命令。
それも至急。
わざわざ彼女がそんなことを言うのは初めてのことだった。
「そりゃ、戻るけど。何かあったのか?」
『ああ。緊急事態だ』
『――箱庭に敵が侵入した』
5章のボスは月読となります。
それでは次回は『月読2』です。