5章 6話 療養
「それでは、胃に優しいものを作ってきますね」
そう言うと、彩芽はキッチンへと向かった。
現在、蓮華の胃には穴が開きかけている。
そんな状態でも食べられるようにという配慮だろう。
「あ、じゃあ俺も手伝うよ」
ここで座っていても意味がない。
そう考えて天が彩芽の後を追うため立ち上がると――
「アンタはここにいて」
蓮華が天の手を掴んだ。
病人である彼女の言葉を無視できるはずもなく、天は動きを止めた。
「なんだ? 一人は寂しいのか?」
そう天が茶化すも、蓮華の瞳は冷めていた。
「アンタが手伝うより、彩芽が一人で作った料理のほうが早いし美味しいわ」
「……事実なだけに言い返せねぇ」
天は力なく座り直した。
残念ながら、天は料理なんてめったにしない。
そんな彼女が手伝ったところで、彩芽の足を引っ張るだけだろう。
――とはいえ、なにも手伝わなければ申し訳ないわけで。
「…………なんで頭なんか撫でてるのよ」
――蓮華の頭を撫でてみた。
まるで子供にそうするように。
滑らかな青髪。
丁寧に手入れしているのだろう。
蓮華の髪は瑞々しく、艶があった。
(よく見ると……可愛いんだな)
アイドルとしてファンを魅了する姿。
戦場で《ファージ》を殲滅する姿。
そのどちらでも彼女は堂々としていて、凛々しかった。
世界の表でも裏でも、ALICEの中心は彼女だった。
最年少にもかかわらずすべてを背負い、皆を導いてきた。
そうした功績を知っているからこそ忘れそうになる。
瑠璃宮蓮華は、可憐な少女だということを。
☆
「って……ん?」
寝息が聞こえてきた。
天が考え事をしているうちに蓮華は眠ってしまったらしい。
規則正しく彼女の胸が上下している。
彼女を起こしてしまわないよう、天は彼女から手を引いた。
そして天はキッチンへと向かうと――
「悪い、彩芽」
「もうすぐ完成するのでちょっと待っていてくだ――」
「あー……それなんだけど」
どうやら料理は完成間近だったらしく、彩芽は湯気が上る鍋を抱えていた。
「瑠璃宮、寝ちまったからさ。今からは食べられないって伝えに来たんだけど」
「………………」
彩芽が黙ってしまった。
せっかくの料理が冷めてしまうことを気にしたのだろうか。
そう思いかけたが、違うと分かった。
――彩芽が、驚いていたから。
「どうやって……寝かせたんですか?」
彩芽の言葉に天は戸惑う。
特に何をしたという認識などないからだ。
「え……あー。頭を撫でてたら?」
なのでそんな曖昧な返事になってしまう。
「……そう、ですか」
腑に落ちない様子の彩芽。
「蓮華ちゃんって最初から、ほとんど眠れなかったんですよね」
「……昔からだったのか?」
つい最近のことだとばかり思っていた。
彩芽の口ぶりでは、蓮華が不眠症を患っていたのはALICEとなってからずっと――いや、場合によってはもっと前から――
「なんで私と蓮華ちゃんの部屋が一緒だか分かりますか?」
「……そういえば」
ALICEにはそれぞれ個室が与えられている。
にもかかわらず、蓮華と彩芽は同じ部屋で生活していた。
新人である天でさえ個室だというのに、だ。
「蓮華ちゃんが眠れないから、私は毎晩ハーブティーを用意してみたり、いろいろ試していたんですよ」
「へぇ」
家庭的な彩芽のことだ、眠れない蓮華の姿を見かねたのだろう。
「そうこうするうちに、いつの間にか同じ部屋に住むようになっちゃって」
「まるで押しかけ女房だな」
「蓮華ちゃんにも言われました」
彩芽は口元を隠して笑う。
そして少しだけ寂しそうは表情になり、
「それでも、ここ半年くらいは特に眠れていないみたいで……。一時期は少し落ち着いていたんですけど」
「そうなのか」
そして限界がついに訪れた。
そういうことなのだろう。
「でも、天ちゃんはすごいですね」
「……そうか?」
「はい」
彩芽は頷いた。
「頭を撫でただけで蓮華ちゃんを眠らせちゃうだなんて魔法みたいですよ」
「魔法みたいなのなら……普段から使ってるだろ?」
「うふふ……。なら蓮華ちゃんにだけ効く魔法ですね」
彩芽はそんなことを言った。
そして彼女は微笑んだ。
「なんとなく、思うんですよね」
「?」
「蓮華ちゃんは、天ちゃんのことを特別に意識しているような気がするんですよね」
「そうか? むしろ若干嫌われてる気がするんだけど」
いまだに『アンタ』呼びである。
親しいとは言い難い。
「逆ですよ。嫌われているなら、蓮華ちゃんは表面的に仲良くするはずですから」
本音を隠して、取り繕う。
そんな大人の付き合い方を選ぶはずだろう。
そう彩芽は言っていた。
――言われてみれば納得できる。
彩芽の予想通り、嫌いなら嫌いなりに上手く付き合うのだろう。
蓮華はそういうことができる少女だ。
いや。
リーダーとして、そうやって体裁を整えるはずだ。
自分がどう考えているかは二の次にしてでも。
「なんとなく気になって。それでもその理由が分からなくて。だから距離の詰め方が分からないでいる。――って感じでしょうか」
でも、天にだけは違った。
突き放したような態度をとる。
その割には天のため気を回すこともあれば、天からの誘いには都合をつける。
そんなチグハグな行動があった。
もしも瑠璃宮蓮華が天宮天を嫌っていたとして。
ならば、二人はもっと仲が良くなっているはずなのだ。
――表面的には。
蓮華が思うがままに付き合っているから、この微妙な距離感のままなのだ。
この距離感は、彼女の偽りない本音なのだ。
それを不満に思いはしない。
なぜなら今日、蓮華と少しだけ打ち解けられたと思ったのもきっと、勘違いじゃなかったということだから。
彼女が見せた姿に、偽りはなかったということだから。
次回あたりに5章のボスが現れます。
それでは次回は『箱庭の中で独り』です。