モグラ男
そこから私の父がどのような過程を経てモグラ男になったのかということについて一つの確かな考察があるのでここで書き残しておきたい。私は友達のかえるちゃんと香深と共に父の部屋のクローゼットに忍び込んだことを告白しなくてはいけない。
それは私の父がモグラ男であるかどうかを調べるための簡単な調査であり、内偵行為だった。モグラ男はクローゼットの底から繋がる地下のシェルターの隣の部屋を持っているはずだった。家の階段からも行けるが、いつもは鍵が掛かっている。しかしそこなら、鍵は掛かっていなかった。もし私の父がモグラ男なら、見てはいけないものがそこにあるはずだった。
「なんかまどろっこしい言い方ね」かえるちゃんは言った。
「いいじゃあないか。もしかしたら何か確証が得られるかもしれないし」
「懐中電灯とか持ってきたの」二人が持ってきたのは宿泊学習なんかで使う懐中電灯だった。私が持っていたのは、洞窟用の懐中電灯だった。光の濃さや照射範囲が違うそうで、使ったとき、みんなから驚かれたのを思い出した。
「それじゃあ入ろう」私は家族が出かける日をあらかじめ選んでおいた。
父の書斎兼自室を見るなり、「へえ、けっこう広いじゃん」と二人は言った。かえるちゃんを先頭にして、私たちはあらかじめあった縄梯子を降りていく。穴は成人男性二人分の大きさで、土の壁は上手く舗装されていた。足場の安定感から見て、私の父はもう何度もこの下に降りていったことがあるようだった。今は夏の終わりとはいえ、日中はまともに歩けないほど気怠い暑さを感じたけど、ここでは日差しそのものがない。地中の中にいるのは決して気味が良いとは言えないが、涼しくて気持ちいいことには代わりない。まだ朝日が昇って二、三時間だったが、さっきまでかいていた汗は引いていた。まだこの穴の中は薄暗くて昨日の夜の匂いがしていた。でもなぜだか今は秋の匂いがする。
この穴の長さは、子供でも地下に降りるにはほんの五分も掛からなかった。だから昇るのにも苦労はしない。降りた先は地下水道に直結していて、行けるのであればどこまでも奥の道まで続きそうだったし、行こうとも考えたが目的から外れているので止めにした。でも照らした先にはシェルターの入口にあたるものは見当たらなかった。
「まずはさ、破裂した水道管とかを探さなくちゃ」私はそう言った。
「どうして破裂した水道管なんか探さなくちゃいけないわけ」かえるちゃんは訊ねた。
「クレイモア地雷とかC4プラスティック爆弾とか手榴弾とかの破片も探している」
「こんなとこにあるわけないだろ」香深が言った。普通は、ないと私は言った。
「要するにあなたのパパはシェルターを秘密裏に作っているぐらいなんだから、そんな持っていちゃいけないものもあるってことを考えろって感じ」
「そうかもしれない」
「もしなければ」
「もしなければ、それでいい。まだ時間が稼げるってことだから」
「とにかく探すしかないね。ここまで来たら、とことんやるしかないじゃない」香深は懐中電灯で道先を照らしながら、スマホでこの場を録画していた。
「たとえば壊すものが近くにあるかもしれない。もしそれが見つかったら、ってことだけど、それは私の父さんと必ず繋がっている」
「もうわけがわからないよ」香深は言った。
「私もね」でも、と私は続けた。その、でも、という言葉は私自身には決して逆らうことの出来ない決定を覆すために言ったのではない。もし私の父とモグラ男に関する重要な何かを見つけたとしても、結果は変わらず、どちらにせよ大差がないという意味でそう言うのだ。私の父を止めることは出来ないのだ。
「でもモグラ男はこう言ったの。『終末がやってくる。そのために備えておくことはいいことだ』って。でももし終末がやってこなかったらどうするかわかる?」
「わかるわけないでしょ」かえるちゃんは困惑して言った。私にはモグラ男の考えがわかっていた。だからこそ言える。
「来なければ、終末を起こせばいいの」私たちが地下の世界で探しているものは、手品でいうところの種だった。手品の種は一度わかってしまえば、騙されない。周りの人間にいかなる真実かを教えることが出来る。しかしもし手品師がそれを望まなければ、手品師が種を不用意に明かされれば、どうなるか私にはわかっていた。怒り、悲しみ、失望する。だからある意味では私たちはモグラ男に攻撃を仕掛けてくる敵であり、戦争の対立国だった。ベトナムのときのようないつ終わるかもわからない文字通り泥沼の像に立ち向かっていたのだ。しかしいつしかそれは私たちが担ぐ荷物になっていた。私のバックパックにはあらゆるものが入っていた。夕日の陰のように、重さのないものばかりが。
私たちは破裂した水道管を見つけたときから、この泥沼の像をポケッタブルのレインコートみたく、折りたたんでバックパックに仕舞うことになった。それがほかならぬ自分自身の形をしていることに気づかなければいけなかった。いついかなるときも、病めるときも健やかなるときもそれは私たちと同じで泥と沼で出来ていた。それは溶けたチョコレートのように私に張り付いていた。汗と一緒にTシャツに染み込んでいた。
私の荷物からそれだけを取り除くことは難しいのだ。
でも子供だった私たちにはたして何が出来たか。今でさえその答えがわからないというのに、私はただ自分の頭の中でのみ真実を追求し、その真実を担いだままでいた。誰かにその風呂敷を広げて見せることを今までしてこなかった。かえるちゃんはこの状況に悪態をつき、両親のことを思った。パパとママと喧嘩するなんて馬鹿らしいけど、しないわけにはいかないのよね。だってしないまま生きていくとずうっとこのままなんだから。でも私にはそう言わなかった。香深はこの破裂した水道管を撮影し、動画としてどのような形で編集するかを考えていた。
破裂した水道管はアメコミ映画でスーパーヒーローが出した技の跡のようにひしゃげて、元々内側にあった金属がめくれあがり、もう修復不可能といったところまで破壊されていた。しかしこれこそが私の父が望んでいた未来そのものだった。これもまた私の父の泥沼の像の一つだと言えた。もしこれが破裂しなければ、破裂するまであらゆる手を尽くし、水道管を壊しにかかるだろう。モグラ男は確かにいたのだ。これはその証拠なのだと私は言いたかった。しかしそれを見たところで、一体誰が信じるのだろう。
だから私たちはここで見たことを誰にも言わずにおくことにした。それは甘美なる秘密を共有している愉しみがあったことは否定しないし、実際そうだった。