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地震のあとで。

 かつて私の父は道内にある老舗食品メーカーで営業を担当していた。以前少しだけ見せてもらったことがある冊子は電話帳か百科全書並みに分厚くて、驚く程中身が充実していた。卸先の企業相手にこの冊子を持ち込み、各食料店に商品を置いてもらう仕事だった。以前から取引先の相手には、新製品を置いてもらうよう売り込みをかけていた。食品以外にも、食器や調理器具や箸やスプーンや爪楊枝に至るまで取り揃えているから、発注を掛ける手間を省けると説明していた。

 その仕事を担当して九年近く続けていたが、給与の上昇は特段上げるわけではなかったが、それでも特別報奨を年間で二度はもらっていた。彼の口から給与が下がったなどという話は聞いたことがなかったし、そんな素振りは一度としてなかった。

 双葉さんが言うには、私以外の人とけっこう付き合っていたみたいだけど、どうしてあの人は私と結婚してから浮気も何もしないのかなと驚いていた。仕事が終わればすぐに家に帰ってくるし、出張の際もそのような行為に及んだ形跡すらなかった。以前はかなり遊んでいたが、今ではすっかり家に帰ってきて何か調べ物でもしている。たまに私と遊んでくれもした。何だか変ね。でもいい人だと周りからも言われていた。私と杏に会いたくて帰ってくるんでしょと私たちは言い合っていたし、そう思っていた。まあまあ昔さわやかで人あたりも良かったけど、少しずつ叔父さんになってきたからきっと家族愛に目覚めたのねと双葉さんは言った。私の父が求めているのは、双葉さんと私と三人でゆっくりと家族で過ごすことであり、週末になるとキャンプやショッピングモールで映画を見に行くことなのだと信じていた。

 私の父が結婚することを職場の人に言うと、誰もが驚いた。同僚からはついに遊ばなくなるのかと言われていたそうだし、友人も首を傾げた。それは双葉さんの容姿についてかもしれないし、性格かもしれない。私は私の父の職場の同僚や友人たちと会ったことはないから、あるいは単なる噂なのかもしれないが、双葉さんからすると似ても似つかない二人が結婚したと言われたそうだ。

 しかし私の父はそれとは真逆の立場にいた。彼女といると自分が一番落ち着ける相手だからと話した。仕事が終わって真っ直ぐ家に帰ってきても落ち着けない相手、つまり今までの自分によく似た遊び人とは暮らせなかったのだ。程良く肩の力が入らず、変に格好つけなくてもいい相手となら、長く過ごせると考えていたことは見て間違いない。昔はお酒に酔っ払いすぎたのか、不摂生な生活を送っていたからなのか、夜中に怖い夢を見て目覚めることがあったそうだ。今じゃそんなことは全くないよと私の父は言った。二日酔いも肩こりも風邪も虫歯にもならない生活を案じることがないんだ。

 でも双葉さんは私を連れて、時々東京の実家に帰ることがあった。親孝行したいし、彼らも会いたがっているからと話したが、他に理由があることは私も知っていた。それは酸素が抜き取られた優しさかどうかだと私は思っていた。ずっと一緒にいれば窒息し、血の気が失せ、やがて枯れ果てるもの。そうならないためにも外気に触れる必要があったのだ。

 私の父はちょっと実家に行ってきますと連絡や書き置きを何度か見ていることがあったから、それを珍しいことだとは思わなかったようだ。一人で食事を取り、部屋に戻って何か調べ物をしていた。時折工具用品などを買い込み、地下室を掘り進めていったのもここからだった。私たちが帰ってくるとまた元の生活に戻っていった。それはごく自然にある家族の形だとそのときは思っていた。

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