地震のあとで。
あの日の後、双葉さんは離婚することを口にした。彼女は我儘ではなかったが、一旦物事の見方を決めてそう言い始めると大抵の人がどんなに説得したところで、結果が覆ることはなかった。三ヶ月後、私の両親は離婚し、私は双葉さんと一緒に東京に帰ることになった。その三ヶ月の中には、もし私がモグラ男である父親と生活を共にすることを選んでいたら、その後何が起こっていたかについても付け加えておきたい。
私の父親はモグラ男だった。「楽園」のリーダーであり、彼とそこに居続けるということは、私が私ではなかった可能性もそこには含まれていた。泥濘に沈みかけていたし、そしたらそのまま穴に引きずり込まれて、モグラ男に食われる人生だったのだ。
三ヶ月後の冬の朝、私たちはシェルターに避難してきた二人の男女と共に朝食を取る予定だった。彼らは故郷を失っていた。友人である私の父を頼ってここまでやってきた。新しい住居が見つかるまで、財産や損害保険の相談の片がつくまでここに移り住むと父は言った。彼らはかつてこんな悲惨なことはなかったよと口々に話した。
「私たちは家族だ。この厳しい冬を乗り越えるために君たち二人はここへやってきたんだ」モグラ男の顔が父の顔に重なった。しかし言葉とは裏腹に、私たちは家族であることを止めようとしていた。
その朝、私と双葉さんは荷物を持って消えることにした。私たちが新千歳空港行きのJRに乗り込むときには、朝食の時間は始まっていた。私たちが朝食当番だった。食卓テーブルに何もない風景が目に入っても私の父以外には、何が起こったかわからないだろう。私の父さんは嘘が上手い。後のことの説明はどうとでもなるだろう。もしその説明が上手くいかなければ、嘘の山で家族は雪崩ていくのだが、おそらくその時点ではそうはならなかった。