地震のあとで。
災害伝言用ダイヤル #117
救急安心センター #7119
三ヶ月の間、私の両親はずっと離婚について話し合っていた。そのとき私は小学校六年生だった。あの日の地震で発生した大規模な停電が街を暗闇で覆い隠し、市内各地の交差点は液状化で切断され、想定を超える範囲で断水が発生していた。それらの風景が覗けるぐらい近くを、あるいは目の前を私はただ黙って歩いていた。学校に行くために私はいつもの道をただいつも通り歩いていた。その二日前にあった台風のせいで倒れた大きな木を見つけて、友達と写真を撮った。剪定のために切られるはずだった街路樹は風の力でへし折られていた。道路側に倒れた木も何本かあったが、そのへし折られた木よりは太くない幹だ。道路に覆いかぶさった姿を見て、私はその木を撫でてみた。野良猫が日向ぼっこしていて可愛いからみたいだが、撫でても冷たくざらっとしている。
もしこれが人の上に伸し掛ったなら、きっと死んじゃうよねと友達と言い合っていた。
私と友達二人、かえるちゃんと香深とで小学校に行くとみんないた。先生たちは玄関口にいて、来た生徒みんなに体育館へ行くよう促した。学校側から今回の地震についての説明がなされた。教室では避難訓練、防災教育に関するレポート用紙が配布され、親御さんにもよく読んでもらうようにと生徒たちに伝えた。私は普段から避難訓練や防災教育について父から教わっていた。だから両親が離婚した今でもその記憶は残っている。
私の両親は父が道内出身で、母は東京生まれだった。私の知る限り、親戚のほとんどは道内または都内に暮らしていた。
だからもし私の母親である双葉さんが私の父であるモグラ男と別れたら、余程のことがない限り、私をここには残せないと言った。双葉さんは私と共に東京へ帰省するつもりだったし、実際にそうした。
私の父がモグラ男でなければ、親権どころか、両親は離婚しなかったかもしれない。それについて考えることさえ、放棄するぐらい私たちは仲が良かったのかもしれない。しかし結局のところ、私の両親は離婚した。私たちは出て行ったのだ。