昼食の献立
「あっ」シャミテクスアは声を上げた。「とれる」そしてどさっ。ついさっきまで見事に背中から生えていた翼は、根本から剥離した。
「ひどい。もう飛べなくなるのかい」シャンズンが訊ねる。「教会でも……治せるのかなこれ」
「無理ですね」シャミテクスアは首を振る。「神様の<雷>の傷は、誰にも治療できないんです。でも、翼だけで済んでよかったです」そしてにっこり笑う。「シャンズン様のおかげですね」
「わたし、なにかしたのかなあ」彼は頭をかく。「雷が落ちてきた時の記憶、すっぽり飛んでるんだよね」
「シャミテクスア様を、立派にお庇いしたではありませんか」オリゾンが誇らしげに言う。「このオリゾン、いたく感動してしまいました。とっさに献身的な行動を選択できる者は、なかなかいません」
「そうかい。褒めてくれるのは嬉しいんだけど」次は頬をかいていた。「ま、ちょっと、照れくさいかな……」いよいよ恥ずかしくなり、彼はうつむいた。オリゾンやシャミテクスアはああいうけれど、本当に何も覚えていないんだ。だから、自分が彼女を庇おうとしたのか、まるで自信がない。あー、そんなに見ないでくれシャミテクスア、オリゾン。ほんとにわたし、何も覚えていないんだってば……
穴があったら入りたい、という一文に代表される感情を、まさしく今の彼は抱いていた。そしてその願望は、少々違う形式ではあるものの、二秒後に叶うこととなるのである。
「シャンズン様っ、前、前!」
「え? 前……」そう彼が言いかけたとたん、前方から<火球>が飛来。「うわっと」間一髪回避。「危ない。また髪を焦がすところだった」
「あそこです、あそこ」シャミテクスアが指差したところには、大人でも隠れられそうな岩場があり、「あそこから、その呪文がっ」
また<火球>は飛んでくる。今度はオリゾンやシャミテクスアも標的のよう。
「きゃっ」
「ひょえー」
「あらら」
身をよじって三人は必死で避ける。
「なんだなんだ。あの岩場の影には」シャンズンは駆け出しながら叫ぶ。「初対面の人に向かって<火球>を唱えるようなやつがいるのか」
「あるいは」シャミテクスアもそれに続く。「人間ではないのかも」
シャミテクスアの予想が当たった。こそこそと動く影が隠れ場所からはみ出ており、それだけ見るならば人間の子供のようにも思えるが、人間の子供のうちで人間の大人たちに向かって呪文を唱えて攻撃するような者はあまりいないのであり、よってその影の持ち主が人間の子供などという存在でないことは明らかであった。
それは、「ゴブリンメイジ」オリゾンが言った。「あの子鬼の魔術師ですなっ」
ゴブリンは子鬼とも呼ばれる怪物である。外見は二足歩行をしている子豚にそっくりで、声は風邪をひいた子豚に似ていて、知能は子豚並である(というふうに記述されている辞典が多いが、流石に見くびりすぎだとする意見も多い。いくらなんでも、子豚に呪文が唱えられるわけはない)。
社会性を持ち、集団で行動し、かなり細かな役割分担も成されている。人間はそうした役割に対し、自分たちのそれと大体おんなじだろうなあ、と思われる名称を与えている。つまりウォリアーとか、メイジとかいった名前である。が、実際にゴブリンたちが自分たちの役割をなんと呼んでいるのかは明らかでないため、ゴブリン語の習熟者が待たれるところ。
「で、今目の前にいるのがゴブリンメイジってわけだね」とシャンズン。「解説どうも」
「ああっ、また飛んで来ました」オリゾンが横っ飛び。「もうわたしは火葬済みですぞ!」
「いや、きみは土葬されたって昔言ってただろ」とシャンズン。「火葬だったら、そこまできれいに骨は残らないよ」
「……シャンズン様」オリゾンは深刻な面持ち。「今のは冗談でございます」
「ならいいけど」
「あれですかね、文無しアピールをしたほうが良いんじゃないですか」シャミテクスアが提案する「わたしたちは貧乏人ですよお、って」
「シャミテクスア様、ゴブリンは金目当てに旅人を襲うのではありません」オリゾンが言う。「どちらかと言うと、自分たちでは作るのが困難な道具とか、掘り出し物としては魔導書を狙っているのです」
「ドリューアの剣を渡すわけにはいかないな」シャンズンは剣を抜いた。両手で下げて走り続ける。「刀の錆にしてくれよう」
「刀じゃないですけどね、それ」
「うるさい」
なんて言っているうち、三人は既に岩場の手前。仕留めきれなかったことに焦ったゴブリンメイジたち(三体)は、ナイフを振り上げて向かってくる。
「おっ、おっ、おお……」シャンズンは感激。「わたしは今、久しぶりに人間以外から殺意を持たれている!」
「んなこと言ってる場合ですか!」オリゾンの声が飛ぶ。「ぎゃっ、危ない!」ゴブリンメイジの一体からナイフを向けられ、慌てて駆け出した。ここまでまったくそのような気配すら見せなかったが、オリゾンはいわゆる魔術師である。そんな彼が、なぜここまで敵に接近したのか、謎。
「なんでわたしたちについてきたの」呆れて、シャンズンが訊く
「申し訳ございません!」追いまわされながら、オリゾン。「自分が魔術師タイプだとすっかり忘れておりました」
「ふっふっふっ。みだりな殺生を天使たる我々に神は許しませんが」シャミテクスアは指を突きつける。「正当防衛に関する記述は、しっかり智天使の書にもあるのです!」そして<浄化>。慌てふためくゴブリンメイジの体は足先から光の塵となり、そのままこの世とおさらばとなった。
ぷぎーだか、ぴょえーだか、よく言語化できないけれど、そんな鳴き声を上げてゴブリンメイジは突っ込んでくる。どうやら<火球>の他に呪文のレパートリーはないらしい。「それでもいいじゃないか」シャンズンはナイフのリーチの外から刺突を繰り出し、あっさりと討伐。「わたしはひとつだって唱えられないんだから」
「あああああ!」こちらは明確に言語化できるオリゾンの悲鳴。「は、そうか。呪文、呪文……ええと、ええと」オリゾンはとっさに浮かんだものを詠唱。「<弾丸>!」そして猛加速。衝突。ゴブリンメイジは絶命したが、オリゾンもばらばらになった。「ぎゃあああ!」
「何やってんだよう、オリゾン」シャンズンは大きくため息。「なんでそんな自殺するような呪文を唱えたのさ」
「面目ないです」しゃれこうべだけが地面をぽんぽん跳ね、シャンズンのほうへやって来た。「申し訳ありませんが、骨を拾ってもらえませんか」
「あっ、それじゃあやっぱり」シャミテクスアが言った。「火葬だったんですね」
□ □ □ □ □ □ □
雲が晴れてきた。
切れ目から幾本も光の柱が伸びてきて、地平を雄大に照らし出す。遠くのほうで何かが動く。オリゾンは、あれは大鎧亀だと言った。地層の深くで生まれ、歳を経るごとに地上へ昇ってきて、ああして歩いているような個体は、人間が建てる城壁などよりずっと堅牢なんだとか……
また、いくつもの木や草を三人は見た。まだ<コマンド>からはさほど離れていないはずなのに、もう見慣れない植生があることにシャンズンは驚く。オリゾンやシャミテクスアが、ひとつひとつ解説してくれた。あれはカーミラヒメユリ、猛毒を含んだ白い花で、暗殺者がよく用いると言います……あっ、あれはカンテラキガンダケですねっ。夜でも赤く光り輝いて、凶暴な動物もあの近くにいればやり過ごせるんですよ……。どれもこれも知らないことで、シャンズンは二人の言うこと言うことに胸をときめかせた。
「じゃあ、あれは何?」シャンズンが南を指差して訊ねた。
「あれは……」オリゾンもシャミテクスアも、しばらく絶句。しかし、質問には答えた。
「マグロですね」
「マグロ?」シャンズンは首を傾げる。「あんなに大きかったっけ?」
地上をのっしのっしと、三人へ向かってくるあの大きな影は、しかしマグロだとしか思えなかった。ぎらぎら光る銀色の皮膚もある。しかし、ここは海中ではないからして、エラ呼吸を旨とする魚類が生存可能なところではないはずであった。
「だよね?」シャンズンが他の二人に訊ねる。「魚ってさ、海にいるもんだと思ってたよ」
「わたしもそう思っていましたが……いや」オリゾンは何度もうなずく。無理やり自分を納得させようとして。「世の中、わからないことだらけですなあ」
「しっかり、してください二人とも」シャミテクスアが言う。「魚が地上に上がるなどありえません」
「じゃああれは、マグロのかっこうをしているし、だから魚にしか見えないけれど、そうじゃないってこと?」シャンズンが言う。「ならなんなのさ」
「うぅん……あっ」ひらめくシャミテクスア。「精霊とか」
「精霊ぃ?」すぐには信じられなかった「なんで精霊がマグロのコスプレでやって来るの」
「精霊は、具体的な形を持たず、その属性が強く発揮される場に偏在しているんです」シャミテクスアの饒舌ぶりが発揮される。「だから接触と視覚にともなう現実への認知のみが鋭利である具象の生物に対しその顕然を示すならそれこそ存在の現在の現実を……」
「ああ、ああ、はい、わかった、わかりました」シャンズンは遮って言った。「あれが精霊なのはわかった。でもさ、なんでその精霊が……わたしたちに用があるのかな」
「こんな話を聞いたことがあります。精霊が人間に近づく時はたいてい……」と、オリゾン。「怒っているのだとか」
「怒る? 海の精霊が? なんでわたしたちに……あ」シャンズンは心当たりを発見。「すー……ごめん、もしかして、あれかも」
「あれ? ……あ」シャミテクスアも気づく。
「間違いありませんな」オリゾンもうなずく。「次の日見に行くと、海が緑色をしておりました」
三人は先日の戦いを思い出していた。シャンズンが毒性をさんざんぶち込んだ壜を、ありったけ投げつけたあの日の出来事を。たしかに、ちょっと、いや、ま、かなり、海も汚れたかもしれない……
「ひょっとしてそのせいですか?」シャンズンはもう目前に迫っていたマグロに訊ねた。
こっくり。マグロはうなずく。
「よし、一緒に謝ろうオリゾン」早くも土下座の姿勢へ突入したシャンズンが言った。
「え、や、しかし、あの壜を作ったのはあなた……」
「いいから」しーっと口に指を当てるシャンズン。「一人ひとりに下される罰の大きさが減るかもしれないでしょ」
「なおさらいやです」
「いいから」
「いやです」
「はやく」
そんなやり取りをしばらく眺めていたマグロ(精霊)であったが、いい加減にうんざりしたのか、身を躍り上がらせ、三人にのしかかろうとした。蝿をつぶそうとしているかのよう。
「ぎゃっ。ご乱心」とシャンズン。
「怒るのはもっともですけどねえ」とシャミテクスア。
「シャンズン様、早く謝ってください」とオリゾン。
「もうこのマグロこっち見てないって」
「じゃあ逃げましょう」
「いいね大賛成」
三人はその場を飛び退いた。とたん、マグロがどすん。どたんばたんの大合戦。その十分後。息絶えたマグロの側に三人はいた。
「あ、死んじゃった」シャンズンは青ざめる。「二重の罰当たり」
「いえ、肉体たるマグロが滅びても、精神たる精霊までもが消えるわけではございません」シャミテクスアが安心させようとしていた。
「いやはや、一時はどうなるかと思いましたが」とオリゾン。「……さて、このマグロ、どうしましょう」
「食べよう」シャンズンがあっさりと言った。
「た、食べる? 精霊が宿っていたのに? シャンズン様、罰を恐れているのではなかったのですか」オリゾンは驚く。
「言った。言ったけれども」ちょうど、今は昼過ぎだった。「腹の音に勝る指示はなし」
もちろんマグロの解体法など三人のうちの誰も知らないし、したがって彼らは適当にマグロの死体から魚肉を引っ剥がして口に含んだ。<コマンド>は海に近いため漁を生業とする者もいたが少数派であり、だからシャンズンが食べたことのある魚というのももっぱら淡水魚。海を本拠地とするものは食べたことがなかった。で、その味は、「あ、おいしい」だそうである。
マグロは非常に巨大で、ここは平原のど真ん中だから、当然このでかい餌に気づかぬ動物はなかった。獣も鳥も虫も、ランチライムに降って湧いた幸運にありつこうと、ぞろぞろ列をなしてやって来た。今マグロの頭を食いちぎったのはケブロドンである。この鈍重な獣は日に五回の食事を必須としていた。その頭からうつろな目玉を素早くすくい取っていったのはサジドリで、これは名前の通り、くちばしがスプーンのような形状になっている。ま、目玉が主食ってわけでもないが。
平原に続々と生物が集結する様を異様に思ったのか、それを確認しようとしたのか、一人の人間が三人に近づいていた。そしてその人間――もっと言うなら女の子――こそ、三人が目指す街<ウインドウ>の娘だったのである。