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ハイファンタジーのエター集  作者: 皿日八目
希なる月のテニス~ありえないほどいい加減なパーティーのめちゃくちゃな冒険とその顛末~
5/26

どっちかの心機一転

 <陽光の大陸>の遥かな上空。太陽さえ昇れぬ高み。そこから身を乗り出して下を見ている者がひとり。いわゆる神である。ごたいそうな称号だが、神はこの世界ではわりとメジャー。けっこうありふれた存在。とはいえ、この大陸を司っているのだから、それほど見くびってもいけない。


「……あれ?」自分の見たものが間違いなのか、飛蚊症の一症状なのか確かめようと、神は目をこすった。そしてもう一度見た。「……あれ?」目は衰えていないよう……だがむしろ、見間違いであってくれたほうがよかった。それほど神が見たものは、あまりよろしくない存在であったのだ。


「おい!」側を通りかかった熾天使に声をかける。「あれを見てくれ」熾天使は神の偉大なる人差し指が指し示す方向へ目を向ける。「……あれ?」自分の見たものが間違いなのか、花粉症の一症状なのか確かめようと、熾天使は目をこすった。そしてもう一度見た。「……あれ?」


「見えたか?」神が尋ねた。

「ええ」

「やっぱり、おれの見間違えじゃないよな」

「わたしの見間違いでもないんですね」

「ふたりとも間違えてるって可能性はないか……」ダメもとで神が訊く。


「神と熾天使の目が? 両方とも?」熾天使は笑った。やけくそって感じの笑い。「そりゃ、とんでもない一大事ですね」そして笑みは消える。「で、その一大事が地上で起こっているわけですけれど」

「あのバカ」神は叫ぶ。「勝手に地上へ降臨しやがった」


「ちゃあんと、智天使の書に書いてありますよね」と熾天使。「勝手に降りちゃダメだよ、って」

「また戒律を破る天使が出たか……」うなだれる神。「二人目だぞ? この大陸を管理する天使だけで二人だ。あいつらになんて言われるか……」あいつら、ってのは他の大陸を管理する神を示す。神は自身が管理している大陸の性質とそっくりな性格を持っている。つまり、どいつもこの神様よりは厳格なのだ。


「でも、一人目よりはマシじゃないですか」なぐさめるように熾天使が、「横領よりは」

「横領……」神は顔を上げる。「確かに、横領よりはマシだな」

「でしょう?」

「ただ、大変な罪であるのには違いない」ため息をつき神は立ち上がる。「ああ、約束を破るなって、親に教わらなかったのか、あいつら」


「親って」熾天使。「あなたでしょ」

「あ、そうか」


「前々からおかしな子だと思っていたけれど……」熾天使はまだ信じられない様子。「ここまでとは……シャミテクスア」

「名簿に書かなきゃな、黒名簿ブラックリストに」それは天界への出入り禁止を意味する。本当は「入り」だけでいいはずなのに、どうして「出」も含まれているのだろう? なんて考える余裕はいまのふたりにはない。「一人目は確か……」


「ディライティですよ」熾天使が教える。「むっつりした子でした。なにを考えているのかと思えば……」

「横領」

「横領」


「地獄行きはやりすぎだったかな……でも」神はつぶやく。「横領だしなあ……」


 □ □ □ □ □ □ □


「あああああ!」絶叫してよシャンズン! そうでなきゃ始まんないよお!

 教会とは神の家である。

 だってわたしのお! アールグレイの午後の前! その先端部の導入部はエピローグのプロローグ。開始のゴングは火蓋の代わりの先祖伝来の漬物石……


「え、なにこれ」おぞましい文章の羅列。呪わしきその葬列は日記帳に記されていた。シャンズンは偶然にそれを教会で見つけ、見て、驚愕。「絶対呪われてるよ」

「なにしてんの?」あああ! 背中に剣が百本も突き立てられたかと思うほどの戦慄。声の主は部屋の入り口に立ち、太刀のように口調は鋭い。やあ、レーテレーテちゃん……「あ、それ、わたしの」

ぎょっ。


「あ、どうも」何気なさをよそおう会釈。「お邪魔しました」シャンズンはそう言って立ち去ろうとする。いや、その言い方はあまり彼の動作を正確に表すものではない。彼は死力を尽くして駆け出していた。「ごめんねえ!」おざなりな謝罪の言葉は状況の打開を目指してというより、自分自身の精神安定を図るためのもの。副作用は三斗の冷汗!


 はっはっはっ、と瀕死の犬のような呼吸でシャンズンは走る。ひた走る。筋肉はきしみ、骨はぶつかりあって不協和音を奏でる。胸が痛い。肺も痛い。ああ全身が痛い。それでも全然止まれない! 

 あーこの教会、案外広いんだなあ。危機的状況下にあるわりに、シャンズンの思考はのんき。それが走馬灯と性質を同じくするものであることを、彼はまだ知らない。


 古の建築の技法。細やかな装飾はステンドグラスを囲う取るに足りないように見える枠にすら施されている。シャンズンは読んだこともない聖書の一節。「……神は自身より矮小なる生物にはあまりにも大きい大地を見……」なにこれ? おっさんたちがクッキーパーティーしてんの? 「それを……に分け」あっ、割っちゃった。あれだけ大きなクッキーなら、そのままかじってみたいけどなあ。


 ひどく恐ろしげな声が聞こえたかと思うと、シャンズンの頭上で光が炸裂。教会伝来の光魔法。あれっ、そういうのってヒトに向かって撃っちゃダメだと思ってたけど?

 詠唱の主はもちろん彼女。もうちょっとわたしは人との付き合い方を知るべきかも。柱廊を駆け抜け、柱の間から差し込む日に目を細めながらシャンズンは思う。こうやって激怒させないような付き合い方をさ! 


 しかしまあ、なんと大きな教会だろう。こんなに大きかったっけ? シャンズンがいくらテニスに鍛えられた俊足を発揮しようと、一向に出口は見えない。百の扉を蹴破り、千の回廊を渡っても、彼が求めている、<聖地>の木で造られた唯一のドア、出入り口はその一端すら姿を現さず……


 さすがにおかしい、とシャンズンは気づく。石造の床で急ブレーキ。摩擦で足が燃えた。あちちっ。噴水に(こんなのもあったのか)突っ込み冷やしつつ、突破の作戦を考える。そもそも、ここへは失われた片腕を取り戻しに来たのだ。「一度死んでみたらどうですか。わたしがやってあげましょうか?」なんてオッソロシイことを平気でシャミテクスアは言っていたけれど


(そしてその可憐な白い手はすでにシャンズンの首にかかっている。冷たい、かと思いきや温かな手。まるで春の陽光のよう。白いことは雪のようなのに……つやつやでつるつるで、きっと産まれたての子供はこんな手を持っているのだろう。きゅっ、と力が加わると、見る見る意識は遠のいていく。首の力は抜け、自然と視点は上方へ。シャミテクスアと目が合う。


 にこっと笑っていた。「安心してください」彼女はささやく。天上の空気が、まったく汚れのない息が、シャンズンにかかる……「きっと元通りに……」力はどんどん強くなっていく。彼女のただでさえ白い手は、そのためさらに白さを増しているだろう。惜しむらくは、絞殺されている自分には、それが見えないことだ。シャンズンはそう思う。だんだん気分がよくなっていき、視界は白み始める。おー、天国が見える気がするぞ。でも待てよ、わたしは地獄へ行きたいんだけど……てな頃合いで、部屋の扉を押し破ってオリゾンが突っ込んできた。「なにやってるんですか!」なんて大声出して。いい雰囲気がぶち壊しだよ。まったく……)


 、やっぱり死ぬのはイヤだから(そりゃそうだろ)、こうしてやって来た。


 が、あの部屋に入ったのはまずかった。レーテレーテがこの教会に住んでいるということくらいは、シャンズンも知っていたはずなのに。案の定、彼はあふれ出る(まるでパンドラの箱から飛び出す疫病のように)好奇心に突き動かされ、一番探ってはいけない本棚の、一番探ってはいけない本を見てしまった。日記というのは罪な発明である。これさえ存在していなければ、長い生涯を道半ばで閉じてしまう人は、ずっとずっと少なかったろうに……


 どーん! とけたたましい音と共に、目の前の石壁が崩れ落ちた。向こう側から登場したのはレーテレーテ……ではなく神父。えっ、神父さま!?

「こりゃ一体……」かわいそうに、見てわかるほど狼狽している。「なにが起こってるのじゃ?」


「えーと」シャンズンは上手な説明を思いつけないか脳に尋ねてみた。「ムリ」とのレスポンス。じゃ、しょうがないか。「レーテレーテちゃんに殺されそうなんです」正直に白状するシャンズン(ウソの白状ってのがあるのかはさておいて)。


「なに、あの子が?」一瞬、驚愕の面持ちの神父さま。しかし、すぐ平静を取り戻す。「……ありえない話ではないな」

「はい」シャンズンはうなずく。「けっこう、あの、エキセントリックなんすよ」昔っからそういうところがあったのであります。じゃ、ひとつこんなエピソードを……


 わたしとレーテレーテちゃん、ふたりでお外で遊んでいたんです。その頃にはまだテニスちゃんはいなくて、だから、ま、それなりに平和だったんですね(あくまで「それなり」ってところにご留意を)。で、知っての通り、外には危険がいっぱいなんですね。わたしはまだその頃は(いまもそうだろって言われることもあります。うん、一理ありますね……)ばかだったもんですから、怖いものなんてなにもない、って思い込んでいたんですよね。


 だから、レーテレーテちゃん、「ダメだよ。そっちはあぶないよ」って言ってくれたのに、いやいや、大丈夫。もしものときは守護天使さまが守ってくれるんだよって……実際守護天使ってのがどれほどの働きをしてくれるのかは、ま、うちの執事、オリゾンを見ればわかると思いますけれど……とにかく、わたしはケガをしました。でも、幸運でした。なにせ指先をちょっと切っただけで済んだんですから。これはけっこうすごいことだと思いますよ。あそこはバジリスクの住処で、ひょっとしたら石にされちまっていたかもしれないんですから。


 そこを切り傷ひとつで済ませる。うん、やっぱりわたしは幸運の星のもとに生まれついたんでしょうね……あ、本筋から外れました。ごめんなさい。で、当然指を切ったわけですから、そこからは血が滴っているんですけれど、レーテレーテちゃんがじっとこちらを見つめていました。いや、正確にはわたしの指先を見つめていました。血が滴っている指先ですよ。あんまり面白いもんじゃないでしょう、って確かそのときは思ってたんですけれど。


 ま、なにに価値を見出すかは人それぞれだし、わたしが口を挟めるもんじゃないかなあ、とも思ったんですね。だから彼女が見つめていることについて、とくにわたしはなにも言わなかったんです。だって、あまりに彼女の目が真剣だったもんですから。こっちも黙り込まざるを得ないくらい。ああいう集中力を勉強にも発揮できたから、レーテレーテちゃんはシスターになれたんでしょうね……とにかく、ひたすら見つめていました。不気味になってきましたよ。まだ年端も行かぬってくらいの年齢でしたから、ふたりともちっちゃかったんですけれど、その幼さを帳消しにするくらい、まっすぐで鋭い眼差し。


 どうしたんだろう。声をかけようかどうか迷う。でも、やっぱり……なんてドタバタ思考回路を電流が往来している最中、創傷の指先に、あっ、えっ、刺激。なんだろう、と、不思議な、あー……でも、あんまり悪い気はしない。でも、そうだな、うぅん、とにかく不思議。なにが不思議かって、いままでこんな体験、わたしは一度もしたことがなかったから。それはまあ当然のことで、だって目を開けてみたら、レーテレーテちゃんが、わたしの、指先を……


「話の最中ですまんが」神父が口を出した。「もうちょっと短くできんかの」

「あえ? あっ、すみません」シャンズンは頭を下げた。「もう少しでクライマックスなんです」

「それは結構じゃが……」神父の目線はシャンズンを通り過ぎた。「どうやらこちらのほうもクライマックスのようじゃぞ」


「はえ?」シャンズンは振り返った。わお! 「レーテレーテ……ちゃん」本人ご登場の時間ですか?

「シャンズンくん……」彼女は目を閉じている。先ほどまでビンビンに感じられたあの怒気は、いまは少しも感じられない。活火山がどういうわけか風邪にかかって、いきなり死火山になったよう。「どうしたの?」シャンズンは事情を訊かずにはいられない。


「行っちゃうんだね」閉じたまぶたの隙間を縫って、ひとつ涙がこぼれ落ちた。それはとてもわずかだったから、石床に落ちたとき、きっとアリにだってその音が聞こえたはずはなかった。が、シャンズンにはそれが聞こえた気がした。「どうしても、あの人を……?」テニスのことだ。


「ああ」シャンズンはうなずこうとして、しかしあんまり元気のよい動作にはならないように気をつけて、結果として首を痛めたようなぎくしゃくでわずかに下へ動かした。「悪いね……」

「いいよ」そう言って彼女は笑うが、なぜか泣いているより悲しげな表情に見える。「シャンズンくんとテニスちゃん、いつも一緒だったもんね」


「うん……」

「わたしがシャンズンくんたちから離れたのは、なにもシスターの勉強のため、ってばかりじゃないんだよ。まして、きらいになったからでもない……テニスちゃんのこともね」レーテレーテは笑顔のまま。痛ましい口角の角度が、シャンズンの胸を締め付ける……わたしは、ああ、なにも言えず。


「テニスちゃんが、ほんとうにかわいかったから」またひとしずく。「わたしじゃ、もう、全然……」そして雨。あんなに晴れていたのに、雲はいつの間にかかっていたのだろう。矢のような雨が、地面を叩く音が聞こえる。沈痛な雰囲気。湿気のせいばかりではない。なんとも居心地悪そうに、神父は天井にあるしみのひとつひとつを数えていた。十……二十……あれ、どこまで数えたのじゃったかな? 「おいシャンズン、わしがどこまで数えたか知らんか?」思わず訊ねてしまった。


「は?」あ然と神父を見るシャンズン。なに言ってんだこのジジイ。「なんの話ですか?」

「しみの数じゃよ。天井の」いらいらと神父はつぶやく。「あああ! まったく、歳をとると細かいものが見えんでな」

「そうですね。他にも見えなくなりますね」おや、いつの間にかレーテレーテちゃんは笑顔。涙の轍すら顔にはない。「例えば、場の雰囲気とか」それは元から目には見えんでしょ。


「シャンズンくん」地団駄を踏む神父を尻目に、レーテレーテは彼に向き直る。「無事に帰ってくるんだよ」そうしてその場を離れたかと思うと、どこからか紙袋を持ってきた。茶色いかさかさした袋で、バゲットを包むのにぴったり。あれ、しかし、入っているのはパンには見えない……


「あっ」シャンズンはようやっと気づいた。「わたしの腕!」そうそう、お忘れかもしれませんが、そもそも教会へ来た目的はそれだったのでした。

「返すよ。ごめんね」申し訳なさそうに、レーテレーテは紙袋から力なく伸びていた彼の腕を手渡した。手渡される腕。受け取ったシャンズンは、しばらくためつすがめつし、「うん」うなずく。「ぜんぜん問題ないみたい」


「そう! よかった」レーテレーテもにっこり笑顔。ヤー! やっぱりその顔が見たかった。

「もう出発するんだね」

「ああ、たぶん、明日の朝にでも」

「気をつけてね」

「レーテレーテちゃんもね」

「夜道には気をつけて」

「後ろを見ながら歩くよ」

「前にも気をつけて」

「オリゾンが見てくれるよ」

「上にも気をつけて」

「それは、シャミテクスアに任せようかな」シャンズンは笑った。そして少し誇らしげに、「そうそう、わたし」びっくりニュースを忘れるところだった。


「天使と旅するんだぜ」

 

 

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