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ハイファンタジーのエター集  作者: 皿日八目
希なる月のテニス~ありえないほどいい加減なパーティーのめちゃくちゃな冒険とその顛末~
3/26

ルナのゆくえ


 月は地平の山に沈み、今一度太陽の出番が来る。カーテンコールは鳥の歌。投げ出す帽子は朝の露。きらめく空気はハイエンドなる肺呼吸。うむ、なかなかよい朝であるようだ。にもかかわらず、シャンズンの心は沈んでいる。そりゃそうさ。


「シャンズン様……」気づかわしげなオリゾンの声。彼の骨は若干白みを増している。ケルベロスの舌がヤギのようにザラついているのは有名な話である。

「あー」魂の抜けた人の声。「うー」緩慢な動作で顔を向ける。「なに?」まったくもって、シャンズンは意気消沈の真っ最中。


「気を落とさないでください」なんてオリゾンは言うけれど、もうとうてい拾い得ない深淵へ投げ出してしまったんだ。シャンズンは瞑目。彼女の最後の姿、最後の声。記憶は昨夜へ遡る……


「きっと来てね……」

「月へ」


 どうやって行けっていうのさ。シャンズンは呟く。さすがに可能不可能の区別くらい、わたしにだってついている……

「月へ行くのですか?」オリゾンが尋ねる。

「はい? 行けるなら行きますとも」緩やかに流れ込む窓からの陽光。だがシャンズンの目には光らない。「でもね、さすがにサンタさんを信じるような年でもないんです……」


「<奥義アルカナム>」オリゾンがその言葉を口にする。シャンズンの耳に引っかかる。それくらいその言葉には、なんか、こう、とんがった部分があったってことだろう。「ご存知ですかな?」

「……なにそれ」二度と帰らぬと信じ込んでいた生気が、にわかにシャンズンの目に宿る。すでに死んだスケルトンが、このような作用を生者にもたらすとは、一体だれが想像し得たただろうか?


「昔からある伝説です。奥義と呼ばれる十一のアーティファクトを集めれば……」結論を述べるに十二分の溜め。さんざんシャンズンをやきもきさせてから――「月へ到れると」

「十一の奥義……」シャンズンは静かに復唱。すると胸にひとつの考えが浮かぶ。「ちょっと多すぎない?」


「まあ、伝説ですからな」オリゾンは肩をすくめるポーズ。記号的な意味を内包する記号的ムーブ。骨という最大の記号化を成し遂げた彼にはぴったりな動作だ。「実際の数もそうであるかは怪しいですが」


「伝説ね……」伝説という言葉は、だいたいの場面において主にふたつの意味を指し示す。一、めちゃすごい。ニ、ホントかどうか怪しい。この奥義にも、もちろんその両面の性質が備わっていた。「それ、実在するのかな?」


「おや、坊っちゃんらしくもない」とオリゾン。「実在非実在にかかわらず、テニス様に会えるという可能性があるのならば」眼窩は空っぽなのに、熱い視線を感じるのはなぜだろう――「やってみる、というのがあなたなのではありませんか?」

 

 ……熱いスケルトンだ。シャンズンはそう思う。彼に助けられたことは数知れず、このニ百本の(十五本はいつの間にか折れていた)骨は、いつしか欠かせない友として、心の深いところに書き込まれていた。彼が言うことに間違いは、まあ、そうだな、あんまり、いや、ときどきは……とにかく、おおむね正しい。

 聞かない手があろうか?


「いやない!」反語でもって返答とするシャンズン。「月へ行くなんて突飛な話が、伝説として残っているってだけでも十分さ」再び、シャンズンの視野で陽光は輝く――

「行こうか、オリゾン!」

「ええ、ええ」声帯もないのに、彼の声は震えている。不思議と、シャンズンの心に響く周波数。「どこへでも付いていきますとも、坊っちゃん」


「そんじゃまあ、とりあえず……」決意の表明の次、するべきことと言えば……「朝食を用意したまえ、オリゾンよ」

「はい。グリーンプディングサラダでよろしいですかな?」プディングは森に住む単細胞生物。

「やだ」

「ご堪忍を、シャンズン様」鼻歌交じりでキッチンへ。「英雄に好き嫌いはないものですぞ」


 □ □ □ □ □ □ □


 冒険に必要なものを考えよう。

 武器……必須。この世界には人間をエサとする生物があまりにも多すぎる。黙って食われたいのなら手ぶらでもいいだろうが、まあ、それを願う人間はそれほど多くはないだろう。


 魔法……使える者はそれほど多くない。スクールの学費はバカ高いからである。莫大な収入を一体なにに使っているのかと気にする生徒は多いが、気にするだけに留めている。ある日目覚めたら虫になっている様を想像してみよ。魔法にはそれができるのだ。


 地図……あるに越したことはないが、わりと動く山(のような生物)や島(のような魚)が多いこの世界で全幅の信頼を置くには足らない。


「他になんかある?」シャンズンが尋ねる。

「ええーと、そうですな、食糧とか……」オリゾンの痛ましい提案。彼はもはや物を味わうことなど叶わないのだ。「乾燥させたワームを持っていきましょう」


「いっつも思うのだけれど」とシャンズン。「なんでこの家の食事は怪物クリーチャーばっかりなんだ」

「入手が容易だからですよ」オリゾンの笑み。ニッコニコの頭蓋骨。げっ。不気味。「そこら中怪物だらけです」

「なんだか不安になってきたな」シャンズンはぼやく。「本当に見つけられるだろうか?」


 馴染みの人びとへ別れを告げに。ふらりとシャンズンは家を出る。外は暖かい。南中する太陽が笑いかけているようだ。それに答えて草は背を伸ばし、ついでに影も伸縮中。たっぷりとした風が谷のほうから流れてくる。頬をくすぐる。ぎゃはは! 突飛に笑い出すシャンズンに仰天する人はない。彼は昔からそんなふうだと、十分すぎるくらいに知っていたからだ。


 まず鍛冶屋を訪れる。ぽっぽっぽっと白い煙が煙突から。雲に交じって見えなくなるまでその姿を保っていた。ここの主人はドワーフだ。ま、言わずと知れたことだが、背が低く、手先が器用な種族である。彼は昔からこの<コマンド>に住んでいた。シャンズンが宿屋の二階で着床する前から。


「やあやあドリューア、元気かい?」戸口からこんにちはとシャンズンの声。無骨なハンマーを手にした無骨なドリューアは顔を上げる。「おう、お前か。どうした?」

「お別れを告げに来たのです~」歌うようなシャンズンの声。別れってのはどうにもしんみりしていけない。おちゃらけた調子で切り出してみれば、少しはマシになるんじゃない? という彼の勝手な妄想による行為である。


「きめえよ」その思いさっぱり伝わらず。「おれは忙しいんだ。用はそれだけか。じゃあもう帰れ」

 つれないなあと思いつつ、しぶしぶシャンズンは帰る。彼が素直なのは、ドリューアのこうした性格をよく知っていたからだ。


「……お前の家に」背を向けたシャンズンに、低い低い声が届いた。ドリューアの声だ。「地下室があったよな」

「はい。それがどうかしたの?」

「見せてくれないか」あんまり人にお願いするような声色じゃないけど。「どうせ錆びついたヤツばっかだろうが、少しはお前のために直してやれるかもしれん」シャンズンはびっくり。ドリューアがこういう優しげな申し出をしたのは初めてのこと。


「どうしたの、頭でも打ったんですか」末期患者への声掛けのごとく。「いつもとずいぶん様子が違うじゃないか。具合でも悪いの?」

「あー」ドリューアはうめく。「お前の顔を見るまでは元気だったんだがな……」

 いつだって余計なことしか言わないシャンズンの活躍により、ちょっとその関係性にひびが入りかけたけれども、とにかくドリューアは彼の家に来てくれることとなった。おー! なんだか出立する準備が整ってきた感じじゃない?


「それじゃあ次は……」なーんてぶつぶつつぶやきながら歩くシャンズン。目に止まったのは教会の尖塔だ。<コマンド>に教会は一つしかなく、したがって尖塔もひとつしかない。「……あそこかあ」シャンズンの顔は曇る。


 教会は神の家なんて言うけれど、それが彼の顔に雲をかけた理由ではない。彼は特別ずうずうしい性格だから、たとえ口に出すことすらはばかられる所業の後始末をしたときにだって、堂々と正面玄関から教会に入ってしまうだろう。まあ、本当にそんなひどいことをしたことは流石にないが……いまのところ。


 <聖地>の植生を彩るバイブルの木。祝福された木こりが、祝福された斧で伐採し、祝福されたノコギリで裁断して、祝福された台車で運び……そんなありがたい過程が延々と続いたあと、やっと材木は教会のドアに生まれ変わる。いちおう、そういう手間暇をかける意義はそれなりにある。数え切れないほどの古にこういう掟が生まれてから、名だたる悪魔が(動物の頭と人のからだを持った、とにかくすごいやつ)教会に侵入したことは(たぶん)一度もない。万民の避難所にはふさわしい備えといえよう。


 とはいえ、この村の教会の扉もそうであるかは怪しい。現に何度も地獄に落とされたシャンズンは、元素蚊エレメンタルモスキートに刺されたときほどの痛みすら感じない。スルリと聖域の内側へ。これには天使も首をかしげる。あれ、あの人は悪魔寄りって感じだったけど?


 ステンドグラス(なんかの書物の一節だろうか? ずいぶんヘタクソな絵だ)に通されて、日の光はより神聖な光度を増している。その筋のなかにはわずかの埃すら見えない。これこそ神のなせる業! と叫んで五体投地する人も少なくないが、シャンズンはもうちょっと冷静だった――相変わらずきれい好きなんだなあ、レーテレーテちゃん。


 そのレーテレーテちゃんは祭壇の辺りを掃いていた。教会にある備品はすべて祝福を施さなければならない、との布告が<聖地>にある総本山から届いていたが、あのほうきはどっからどう見てもすぐ側の雑貨屋が献上したものだ。


「あっ、シャンズンくん」気づいて顔をあげ声をかける。栗色の髪が光ってる。ま、言うまでもないだろうけれど……かわいい子だ。シャンズンもそう思っている。けれど、疎遠になって久しい関係。どうして? その原因は最近月に行った彼女にあった。「テニスちゃんが月に行っちゃたんだよ」とシャンズン。


「へえー」瞬時にしてシャンズンを慄然とさせる。それほどまでに感情のない声。石の声。いや、石でももうちょっと温かみは……「よかったね」

「あ、ああ、そう?」

「うん。これでシャンズンくんは、もう、ケガしなくて済むもんね」そう言ってニコリ。続けざまのセリフはシャンズンをグサリ。「もっと早く、殺してあげたかったんだけど」


 レーテレーテが言っていることは物騒だけれど、そんな物騒を口に出す理由はおおむねオリゾンと同じだ。シャンズンのことを心配しているのだ。たしかに、死にかけた回数と実際に死んだ回数が同じくらいだし、一生日の目を見ないような臓器が口からこんにちはしたことも多々あったし……それでもオリゾンには言い返した。わたしはテニスちゃんが好きなんだと、たとえ朝起きたら包丁を持って馬乗りされていたとしても、ドレイクの巣穴に置き去りにされたとしても、それでも……!


 しかし今日のシャンズンは言い返すこともできない。心の内ではこう思っている……あー、なんでこう、わたしの周りには、なんか、あの、おっそろしい女の子ばっかなんだろう。わたしなにかしましたか?


「それで、なんの用?」レーテレーテの声で我に返ったシャンズン。

「あっ、そうだった。あのね、わたし冒険に出るんだ」

「なんで」

「なんでって……あのー」テニスちゃんに会いに行く、だなんて言ったらどうなるだろう。この子が本当にオソロシイのは、ときどきテニスちゃんへの敵意がそのままわたしに向いてくることだ。いや、気遣ってくれるのはわかるんだけども。包丁は置いてくれないかい……


 すでにシャンズンは大ピンチ。はっきり言ってこの物語最初のピンチとはここである。あの月の民との戦いなど屁でもない。口に出す言葉、その口調、声の大きさ、手のしぐさ、組み替える足の動き、そのうちのどれかひとつでも選択を誤れば、また地獄行き。シャンズンは死んでも甦れるけれど、死ぬことを恐れていないわけではない。だって、痛いし。


「……あー!」答えに窮したときの最終手段として、シャンズンは今どき幼児でも取らないであろう手段に打って出た。「腹痛のようだ!」なんとまあ説明的な。

「えっ、だいじょうぶ?」しかし迫真の演技。見よ、レーテレーテはすっかり騙されている。恋は盲目とはよく言ったものだが、さすがに盲目過ぎないか?


「これは帰ったほうがよさそうだなあ」腹の痛い者はそんな大声を出さないという常識すら忘れて、シャンズン。「きっと朝食べたプディングが当たったんだ。そうに違いない」

「えっ、あのガイコツ、まだそんなゲテモノを食べさせているの?」にわかに気色ばむレーテレーテ。しまった、今度はオリゾンが大ピンチだ。「わたしがこの教会に引きずりこんであげる」こんなセイクリッドな場所にアンデッドたる彼を連れてくればどうなるだろう。


「違う、違うよ」必死に弁明を開始するシャンズン。もうホントにお腹が痛くなってきた……「プディングはわたしが勝手に食べたんだ。森で見かけて美味しそうで……」

「はあ?」

「いや、ホント、あれはすごかったぜ」もはや自分が何を言っているのかもわからないシャンズン。やけになってプディングがいかに美味しそうだったのか説明を始める。


「あれは朝のいつだったかなわからないけれど、あのときは日が昇り始めていて森にも光が射し込んでいたんだそれの美しいのなんのって! 朝露が――あれってどういう原理で発生しているんだろうね、だって朝起きて身体がびしょぬれだったことあるかい? ある? なんで? ま、いいけど――森全体に降りていて、ああもうここは湖のなかなのかと思ったよ。冗談抜きで溺れかけたんだ。そこで見つけたのがあのプディング。清潔そうな緑色で、まわりに生えてた芝にそっくりな色だったよ。あれは擬態の意味があるんだろうね。ゼラチン質のからだが日の光を屈折させて、もっと遠くのほうにいるグリフォンの目を焼いていたのかも。そうするといきなり上から降下してきてパクッ、なんてスプラッタを見る羽目にならずに済むし、ねえ、きみもそう思うでしょ、でさあ、そのときわたしは二日前からなにも食べていない……ああ、いや、オリゾンがサボったからじゃなくて、ただわたしが……




 

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