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ハイファンタジーのエター集  作者: 皿日八目
希なる月のテニス~ありえないほどいい加減なパーティーのめちゃくちゃな冒険とその顛末~
1/26

ジ・エター


 <陽光の大陸>の右下、海近い地図の端っこ、<コマンド>というちっぽけな村がある。そこからこの丘までは徒歩五分。その表面はリンドウに覆われている。いまそのうちのいくつかが舞い上がった。剣戟を交わす二人のステップによって。


 片方の動きは素晴らしい。苦しげな息ひとつ漏らさず、動作の洗練されたるは風に吹かれる新芽のよう。真夜中の月光に似た白い髪を振り乱し、右手にはロングソードが握られている。これはまったくありふれたもので、特別な力など一切ない。しかし彼女が持っていると、まるで貴重なアーティファクトのように見えてしまうから不思議だ。

 

 もう片方はダメ。バツ。クソ。ゴミ。カス。まるでなっちゃいない。聞き苦しい呼吸を先程から何回もしているし、ナメクジが絶倒するほど動きはノロい。彼は呪いでもかけられたのだろうか? いや、そんなことはないが、ああも見事な相手と比べると、どうしてもスッポン扱いせざるを得ない。それはこの世の者みなだれもが認めるところである。


「ふざけてんの? シャンズン」少女のきつい声が飛ぶ。「殺すわよ」

「それは、困るんだけど」シャンズンはもはや虫の息。でも虫だってもうちょっとマシだろう。「もう、動けない、テニス、ちゃん」

「うるさい」そう言ってテニス、剣を一振り。たちまちシャンズンはロングソードを取り落とす。ついでに気絶する。が、それは彼女が許さない。乱暴に頬を何度も叩く。


「……痛い痛い」目を覚ますシャンズン。「わぁ、おはようテニスちゃん」空を見上げる。目はまんまる。「あれっ、もう夕方?」テニスはため息をついた。


「今日はいつもより激しいね」もう一発ぶん殴られ記憶を取り戻したシャンズン。リンドウの花の上にテニスと二人して座る。空には雲がゆっくり動く。

「そう? いつもこれくらいやってたでしょ」

「マジ? 命がいくつあっても足りないね」

「あなたが弱すぎるのよ」

「そう言ってもさ」シャンズンはありもしない発疹を求め頭をかく。似た癖を持つ人間は多い。「けっこう、まじめにやってるつもりなんだけどな」

「でも弱いわ」

「それはそうだけど」


「……でも、まあ」シャンズンはテニスの声の変化に気づく。おや? 「十年前と比べれば、まあ、ちょっとは、まあ……」煮え切らないが、褒めているらしい。やったね。シャンズンの顔が輝く。

「そういうわけで続きをします」また曇った。


 テニスちゃんは本当に強い。必死で彼女に追随しようとしながらシャンズンは思う。地下渓谷からドレイクが迷い込んで来たとき、テニスは地面を蹴って飛翔し、黒い鱗に覆われた胸へ腕を突っ込んで心臓を引きずり出した。たぶん、ああいうことは、ふつうの人間にできることじゃない。バジリスクが百匹くらい迷い込んできたときも、逆に睨み返し、群れを追い払ってしまった。もう人間なのかどうか怪しいくらい。ときどき、腕や足が十本くらいに増えて見えるのはそういうわけなのか?


「……それにしたって」シャンズンの額に一筋の汗のあと。「今日は速すぎだなこりゃ」

 いよいよテニスの動きを捉えられなくなった。もうシャンズンは適当に剣を振っているだけ。こうでもしなきゃ、たちまち頸動脈がスパッ。いつだって彼女が殺る気であることを、彼は知っていた。


「ねえ、ちょっと、速すぎ。こちとら凡人ですぜ?」無駄だろうと思いながらも抗議。「なんか今日あったの?」

 ぴたっ。

 シャンズンが「なんか今日あったの?」という言葉を口にした瞬間、それが停止ストップの呪文であるかのように、テニスの動きが止まった。リンドウの花びらも一瞬、中空に停止する。


 しかしここに止まれないアホウが一人。「え?」シャンズンである。やみくもに振り回した剣、その切っ先が、テニスの胸へ――


「……なんでそうなるのよ」テニスが不機嫌に呟いた。いま彼女はシャンズンの下。とっさに剣を放り投げた彼は、しかし身体の動きまでは止められず、結果としてテニスを押し倒してしまった。ヤアヤア、本日の濡れ場は此処なるか? 古風なる紳士の声が聞こえてきそうだ。


 二人の距離は十センチ。シャンズンにはテニスの隅々まで視野に入る。目口鼻耳髪。まったき五つのパーツ。それが白い白い汚れなき顔に完璧に収まっている。頬には髪がかかっている。自分の影が、彼女のすべてに覆いかぶさり……


「キモい」そして一発。シャンズンは上空へ。ギャグかよと自分で吹き出すほどの吹っ飛び方。しかし口から流れ出ているのはどうやら十二指腸らしく、これはあんまり笑えない。十二指腸はふつう、口からは飛び出さないものだからだ。


 たぶん、意識が持つのはあと半秒。辞世の言葉はなににしようか……

「テニスちゃん、あの――」

 彼は死んだ。


 □ □ □ □ □ □ □


 さてここ地獄。シャンズンには相応しい場所だし、彼自身もそれは認めている。というのも、彼は何度もここを訪れているからだ。目の前には億人の血がこびりついた果てしなく大きな黒い門がある。


「……また来たの」地獄の可憐な門番・デライティ(少女)が側に立っている。黒い服に黒い髪。「これで何度目?」

「うーん、二回目?」シャンズンの当てずっぽう。

「いいえ、二十回目よ」

「あら、そうとは感じさせない君の顔」肉体の枷を外れたため、彼の口は饒舌だ。「何度見てもかわいいね」


 バジリスクも舌を巻く視線をシャンズンに送ると、デライティは東方に目をやって大声で、

「ほら、ベロちゃん。待ち人は来たれりよ」

 ベロちゃん=ケルベロス。地獄にこの多頭犬は欠かせない。百匹の大型犬が一斉に吠え立てたような音が聞こえる。そりゃ、頭が百個あるからね。


「ひえー、勘弁してくれ」シャンズンは慌てて逃げ出す。その後をケルベロスが追う。他の来客と違って、シャンズンには罪の匂いがしない(デライティはいつもそれを不審がっているが)。そのためいたく気に入り、彼がここへぶっ飛ばされるたび追いかけまわすのだ。


「キャインキャイン」とケルベロス自身は言っているつもりらしいが、シャンズンの耳には「ギャイゲイウゲイゲイゲゲイゲイオゲイオゲゲゲゲッェゲゲ」としか聞こえない。これだけでも逃走の理由には十二分すぎるくらいだが、おまけに千匹の蛇もついてくる。百匹の頭のそれぞれに十匹ずつ住み着いているのだ。こちらの蛇はとくにシャンズンに好意を抱いていないようである。


「地獄で死んだらどこ行くのお?」地獄の不安定な道をあちこち走るシャンズンの質問。

「さあ? わたしも知らないわ」デライティのそっけない返答。「試しに死んでみて」

「そんなんできるか!」足に力を込め、思いっきり上へ飛ぶ。パシッと蜘蛛の糸をつかむ。地獄から脱出するにはこれを登るしかないのだ。あれよあれよスルスルと、彼は上昇していく。


「……だいぶ上手くなったわね」残念そうに帰ってきたケルベロスの頭を(手が届く範囲で)なでながら、デライティはつぶやく。「あれじゃ、何度殺しても生き返るわ」


 □ □ □ □ □ □ □


 地上ではシャンズンの葬儀が粛々と行われていた。どっかからやって来た泣き女がオーバーな演技を見せているほか、ほとんどだれも泣いていない。今月に入って五回目ともなれば、さすがにみな慣れる。鍛冶屋のドリューア(一般的なドワーフ)も、シャンズンの幼馴染であったシスターさえも。「どうせまた生き返るんでしょ?」という空気が、喪主であるオリゾンを除いた領域にただよっていた。


「おおー、おいたわしや! シャンズン様、未だうら若き身の上に降りかかりし……」さめざめと泣いているオリゾンはスケルトンである。スケルトン戦士ファイターやスケルトン魔道士ウォーロックはたくさんいるだろうが、スケルトン執事バトラーというのは彼しかいないのではないだろうか。シャンズンの父がどっかの墓場から連れてきて、自分の代わりに息子を育てさせているのだ。じゃ、その父親やら母親はなにをしているのかというと、それはだれも知らない。おそらくどこかで、宝石竜(ヴィーヴル)のケツを追っかけまわしているのだろう。


 うう、と泣きながらオリゾンが亡き骸の手を取ると、なんとまあ、脈があるではないか。二秒後には血色が戻り、ほら、もうぱっちり目が開く。オリゾン大喜び。

「シャンズン様!」そう言って骨ばった(というか骨そのものの)腕で抱きつく。言うまでもないが、骨というのはとても硬く、それで抱きしめられたシャンズンはたまったものではない。


「痛い痛い! もう一回死んじまうよ」しかし表情は笑顔。「帰ってきたよオリゾン」

「うれしゅうございます」

「今日の夕飯は?」

「ワームの軍隊焼きでございます」

「ゲッ、マジ?」これはシャンズンの大()物である。「もっかい死んでもいい?」

「だめです」

「だよね」


「とにかく、今回も戻ってきてくださり嬉しいですぞ!」シャンズンの家。背を丸めこんがりと揚がったワームを二十匹もシャンズンの皿に乗せながらオリゾンは言った。「流石ですなあ坊っちゃんは」

「うー」シャンズンは鼻をつまんでワームを噛み砕く。得体のしれない汁が喉をつたう……いや、ま、まずいわけではないけれど。「うー、そう。うん。それはよかった」あまりにも原形を留めすぎている……


「テニス様の訓練の効果を認めないわけには参りません」オリゾンは複雑な顔。「……しかし、もう二十回もシャンズン様をあの世送りにしています」

「ああ、そうらしいね」水瓶の水を口に入れるシャンズン。口内環境のリセット。「地獄の門番ちゃんに聞いたよ」


「どうでしょう? これを機に、交際の如何を考えていただければと……」オリゾンの声が次第に小さくなっていく。シャンズンは困ってしまう。彼の気持ちはわかる。しかし、ごめんなさい。テニスちゃんとは今後もお付き合いしたいのが正直なところ。だって、ねえ? あーんなにかわいいんだぜ……


 だんだん空は暗み始め、夕焼けは西へ退却していく。三本足のカラスと二本足のカラスは交じって飛び、そのあとを幼いリンドブルムが追いかけていく。旅人は道を急ぐ歩をしばし止め、次第に形を失っていく空の影に目をとめる……

 シャンズンの家に隕石が落ちたのはこんな時間であった。


「なんか音しない?」先に気づいたのはシャンズン。「ヒューってさ。ヒューって」

「いやあ、わたしにはさっぱり……」オリゾンは頭をかく。なるほど、骨にも痒みはあるようだ。「なにしろ、耳が遠いもんですから」耳がどこにあるんですか。


「でも、ほら、だんだん大きくなって……」外に飛び出たシャンズン。上空に目をやり仰天。「なんだあれ」

 燃え盛る尾をひいて、白い隕石がまっすぐこちらへ向かってくる。いや、最近あちこちで落ちるとは聞いていたけれど、ここに落ちるってのはどんな確率!?

「数学を勉強しておけばよかったな」シャンズン呆然。「そしたら確率を求められるのに」

「そう落ち込むことはありませんぞ」続いて出てきたオリゾンが励ます。「クソくらえですそんなの。わたしたちは天文学的な確率を的中させちまったのです」


「あれ、どーするよ?」

「祈りましょうか」

「だれに?」

「神に」

「隕石に祈ったほうがいいんじゃない?」シャンズンは投げやり。「だって、いま問題なのは隕石なんだし。それに神はいたりいなかったりするけど、隕石はどう見ても目の前にあるし」

「ではそうしましょう」オリゾンは手を合わせる。「あー隕石様、どうかお怒りをお鎮めくだされ。どうせ落ちるなら他の家に……」


「なーにやってんのよ」ここでテニスが登場。視線の先には奇ッ怪な二人。「なにって、見りゃわかるでしょ」シャンズンは鎮魂のダンスを即興で編み出し踊っている。オリゾンはそれに合わせて手拍子。四分音符が舞い踊る。あ、それ、あ、それ、それそれそれそれ……「隕石様の怒りを鎮めてんだよ」


「無駄でしょ」真理を突かれ二人はフリーズ。「あれが隕石ね」わかりきったことをテニスは言う。そして飛び上がった。おそらく成層圏に至る跳躍。そこで繰り出す超絶のキック。隕石は砕け散る。シャンズンとオリゾンのあごも外れる。ええ、ここまで強いの……?


「ま……さっきのお詫びってことで」羽のように軽やかに地上へ降り立ったテニスは、そう言うとシャンズンに目を向けた。その目の光、いつになくしんみりとしていて、彼を困惑させる。「どうしたの?」


「わたし、帰るわ」

「どこに?」

「あそこに」

 そう言って指差した先、シャンズンが目をやると――


「はあー」隕石よりなお彼は驚愕。「君はあそこのお姫さまだったんだね」

 真円の月が、白銀の光を振りまいてたたずんでいた。






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