巫女様の誤算
「双子が生まれるのは凶兆だと言う者もおるのだ、どうか巫女よ我が子達の未来を占って欲しい」
国王が恭しく頭を垂れる。その両腕には安らかに眠る双子の嬰児がいた。
祭壇に立つ巫女は慈悲の溢れる微笑みを浮かべる。
(そんなん知るかよ~~~~~~~~~~~~~~~~!! より王国が栄えるほうを選べって言われてもな~~~~~~~~~~~? 長男を王太子にしても次男を王太子にしても王国滅亡にひた走りやがる~~~~~~~~~!)
引くつきそうになる口元を押さえながら、彼女は必死でこの場を切り抜けようとしていた。
彼女の名はフリーデリンデ。ヒイカクーネ王国を守護する神に選ばれた巫女である。
ヒイカクーネは神懸かりの国と周辺国から呼ばれている。事実、神の守護を受け、また神を敬う民が住む国だ。王族もその例に漏れず、日々神に祈りを捧げ、神が選んだ巫女から齎される神託を忠実に守る。
巫女は神が直々に選び、選ばれたのなら巫女の任を下りるその時まで死なず、年も取らず、神のものとして神殿でやはり祈りを捧げているのである。
しかし、巫女に選ばれたといっても巫女自身が超常の技を身に着ける訳ではなく、それはあくまでも神からの加護という形で巫女に宿っている。つまり、巫女は神の声を聴けるだけのただの人間である、というのがフリーデリンデの見解であった。
(長男を選ぶと王政が荒れて国を憂いた次男が謀反を起こすし、次男を選ぶと長男が妬んで謀反を起こすし、なによこれえ~~~~~~~。神様、これどーしろとーーーー??)
表面上だけはおしとやかに微笑むフリーデリンデだったが頭の中は大混乱であった。
(いくら王様に巫女って言われて頼られても神様に預けられた先見の能力があるだけで、不老の人間でしかないんですけど?! 神様に判断してもらえる訳じゃないんですけど?! 神様、丸投げかよ)
ここだけの話、神は人間の人生を左右する気など毛頭ない。ただお気に入りの場所で生まれたお気に入りの子どもを守りたいだけである。
(長男を殺す……のはナイナイ。人殺しなんてイヤ。長男を捨てるのは? うーん、ダメだ。どうしてそんなに残虐に育つの。盗賊に拾われる確率たっけぇーー……。えーと、王位継承権を剥奪して貴族に育てさせ……ハイアウトー。じゃあ平民にあず……はいアウトー。なんなの? 長男君は悪逆の道に落ちる運命なの? やめてよ私は何事もなく平穏に次の巫女様にバトンタッチしたい。頭いたあ。先見もタダじゃないのよイタタ。じゃ、じゃあ最後の砦、神殿で育てるのは……うーんいい線いったんだけどな。アレー、君ってばそんなに悪辣な人間だったんかい神官A君よ。気を付けよ。ウーンウーン頭いてえ……。ぐぬう。なるべく面倒事は回避したかったけど、私が預かるってのはどうだ……。浮浪児時代にけっこう子どもの面倒は見てきたし……おや? おやおや? 長男君笑ってる! 内乱も起こってない! 私自身の未来は見られないから私がどうなってるかはわからんが、これが一番良いのでは? イッテエ! もういいやこれで! 内乱が起こんなきゃいいんだよ!)
酷くなる頭痛に耐え、フリーデリンデはなんとか笑みを作る。
心配そうにしていた国王が抱く長男に向けて自分の両手を広げた。
「国王陛下、王太子にするのは弟君がよろしいでしょう。ですが長子ではなく次子を王太子に選ぶのは禍根が残りかねません。それが元で王国が荒れる可能性もあります。いらぬ心配ではありますが兄君は私がお預かりいたしましょう。私自身に子はありませんが、子を持つ母となる覚悟を持ちこの子の養育に当たります。どうぞご心配なさらぬよう」
「おお、巫女様……! どうぞこの子を、アインスをお願いいたします……!」
そうして、フリーデリンデは乳離れしたばかりのアインスを腕に抱いたのだった。
***
五年後。
肉体年齢は十八だが、精神年齢は三十となったフリーデリンデは毎日でれでれとしながらアインスと過ごしていた。
「お義母さま!」
「なあに、アインス君。私はあなたの母じゃなくて保護者枠ですよ」
走ってきて自身に抱き着くアインスを撫でながら、フリーデリンデは幸せを嚙みしめていた。
(はー~~~~~~~~~~。アインスくんめっちゃいい子~~~~~~~~~~~~。こんな良い子が謀反とか起こす訳ないわ~~~~~~~)
「お義母さま大好き!」
「私も大好きですよ~」
神に選ばれるには処女が条件であるので、三十路を超えていても処女で母親と呼ばれるのは抵抗のあったフリーデリンデだったが、アインスが母と慕ってくれるのがかわいすぎてどうでもよくなっていた。
(アインス君がかわいいし良い子だし、まあ母親でもいっか~~~)
***
さらに五年後。
フリーデリンデは三十五才になっていた。
「フリーデリンデ」
「なあに、アインス君。母親を呼び捨てはどうかと思うの。お母様悲しい」
「今日も変わらず美しいですね」
「ありがとう、アインス君」
(そういうアインス君こそかっこいい~~~~。まだ十才だけどもう未来を約束されし美形の片鱗が見える現美少年じゃん~~~~~~。しかもめっちゃお母様思いとか~~~。文武両道でその上性格も良いとかもう自慢の息子すぎるわー。神様に感謝でも捧げとく? あの時の私の判断グッジョブすぎでは?)
くふくふと笑みながら、フリーデリンデはまだ自分に甘えたい盛りのアインスの頭を撫でる。さらさらとした髪の毛が気持ち良い。
「ふふふ、今からアインス君の成人式が楽しみです」
「ええ、僕もです!」
微笑むフリーデリンデに百点満点の笑顔をアインスも返した。
(ムフー! 孫の顔を見るのが楽しみだわー!)
***
さらにさらに五年後。
フリーデリンデは四十才に、アインスは十五才になっていた。
「ねえ、アインス君」
「ここを出て学校寮に入れという話なら聞きませんよ」
「でもアインス君。あなたは慈善院で一番の成績だし、もったいないと思うの。いえ、フェッツ慈善院が悪いという訳ではなく、あなたの成績ならこの国一番の神学校にだって行けるのよ? やっぱりもったいないわ」
「いいえ、フリーデリンデ。僕はここにいます。僕の意思で貴女の側にいたいのです。許してくれますね?」
「許す、許さないの問題じゃないわ。ここにいたってあなたの選択肢を狭めるだけでしょう? あなたが私を心配してくれるのは嬉しいけれど、でも私は一人でも大丈夫。お母様は見た目よりずっと丈夫で図太いのですよ」
「貴女の側を離れるのは僕が寂しいのです。貴女は僕を寂しさで殺すおつもりですか? フリーデリンデ」
子離れの時期を見誤ってしまったかしら、とフリーデリンデは捨てられた子犬のように瞳を潤ませるアインスの頭を撫でるのだった。
***
三年後。
フリーデリンデは四十三才に、アインスはとうとう十八才になっていた。
「とても良い成人式でしたね!」
「ええ、フリーデリンデ。本当に。成人したこの身が誇らしいです」
成人祝いにとってきのワイン! アインス君が生まれたときの年代! これ子どもが成人したときに親がやりたいことランキング上位なんだよ~。嬉しい~! っかー! 美味しい! 念の為に十本買っておいてよかった!
「ときにフリーデリンデ。質問があるんですが」
「なあに、アインス君」
「次代の巫女はどうやって選ぶのです?」
「ん~? 知らなかったっけ? そういえば説明してなかったかもー。えっとねー、神様が次の子を選ぶのを待ってればいいんだよ~」
「ふむ? でもそれだと時間がかかりすぎたり、逆に早すぎたりするのでは?」
空になったワイングラスにアインス君がワインを注いでくれる。気の利く子だよ、ほんと。
「そこは五十年に一回下界を覗いて探す、って取り決めになってるから」
「五十年ですか。神にとっては瞬きにもならない時間なのでしょうね。けれど人間は病気や事故で死んでしまう可能性もあります。五十年も長い間巫女を務めきれるものなのですか?」
「うんうん、そうなんだよね~。だから巫女は不老なのね。病気にもかからないようになってるし、ケガの治りも早くなってるの。さすがに不死じゃないけど、神様の目が届きやすい神殿内ならぜったいに死なない加護あるし」
アインス君が用意してくれたチョコが美味しい。チーズも美味しい。ついついワインが進んでしまう。
「ああ、それでフリーデリンデはめったに外に出たがらなかったのですね」
「えへへ実はそうなの。神様からの御神託を聞き逃さないようにってのもあるけど」
「ふぅん。調べたのだけれど、巫女の在位年数がまちまちなのはどうしてですか? 五十年より多い人はいないから老年で交代しているかと思ったのだけれど、話を聞くかぎり違うようだし。フリーデリンデの前の巫女も二十年ほどで巫女を降りているよね」
「あーそれねー。巫女のしかくをなくしちゃったから~」
「巫女の資格?」
ううん、ちょっとのみすぎかな。でもおいしいし。アインスくんがついでくれるし。アインスくんがついでくれるワインおいしい。かぷかぷのめちゃう。アインスくんものみな? おいしいよ、アインスくんのためのワインだよ。
「神さまはしょじょがだいすきだからねー。しょじょじゃなくなると五十ねんたたなくてもつぎの巫女さまをえらぶのね。それでたたりがあるわけじゃなし、神さまはすきな娘にしあわせになってほしいタイプのりかいある神さまだから~。でもいきなり人のあたまに神託落とすのはえんりょしてほしいけどね~」
あははなんかすごく良いきぶん。あはは。あれ? 神さまこんばんは。いまアインスくんと飲んでるんでまたあとで……え? 逃げろ?『君の義息ヤバイ?』またまた~。アインスくんみたいないい子はきょうびさがしてもなかなかいませんってば~。じゃ~アインスくんとの語らいにもどりますね~。また明日~。
「フリーデリンデ……。今、神と話していたのか?」
「うん。なんかねーここはきけんだから逃げなさいって。神殿にきけんなとこなんてないのにね~」
「…………ええ、そうですね。ですがせっかくの神託を無下にするのも心苦しいでしょう? どうですか、僕の部屋で飲みなおしませんか? 鍵をかければ誰も入れません。危険な事などありませんよ」
「う~~ん、わたしはあ、できたお母さんなのでえ、むすこのへやにはいりこんだりはしないのでえす。そういうのはお嫁さんにしてあげようねえ」
「ええ、もちろんですとも、フリーデリンデ」
わあい、アインスくんとっても良いえがお。わたしのムスコちょういけめぇーん。
「さ、行きましょうかフリーデリンデ」
「わー、お姫さまだっこだあ~。ちから持ちになったねえ、アーくん」
「ふふ、懐かしい呼び方ですね」
「そうだよお、まえはいくらいってもお母さまよびがなおらなくてさ、いざわたしが母親になるかくごをきめたらなまえでよびだしてえ……。アーくんてよばないでとか言いだすしい……。お母さんかなしいし、さみしいよお……」
「泣かないで、フリーデリンデ……」
ひんやりとしたアーくんの指がわたしのめもとをくすぐる。つめたくて気持ちいい。
「母と呼べなくなったのは僕が貴女を一人の女性として愛したからです」
「ふえ? あ、アーくん顔あかーい。かわいー」
「貴女は僕に溢れんばかりの惜しみない愛を与えてくれた。最初はもちろん母親のようだと思っていたましたとも」
「そうなんだ、うれしいぃぃぃ。母おやみょうりにつきるよおぉぉぉぉ」
「けれど、それは間違いだった」
「ええええまちがいなの、なにそれかなしい……」
「貴女が僕以外に笑いかけているのを見て嫉妬しました。僕以外にやさしくなんてしてほしくなかった」
「だってわたしみこですもん。おいてもらってるし、こじのめんどうくらいみますよお、そりゃあ。それしかとりえないですしい」
「そうだ、貴女は巫女だ。純潔を失う事で貴女に何か障りでもあったらどうしようかと思っていたのですが、そんなことはないようなので安心しました」
「そりゃあそうですよお。神さまはこころのひろ~い、ふせいにあふれるおかたですからね~。あれえ、アーくん、ここはアーくんのへやでしょう? わたしぃ、じぶんのへやでやすみますよお~。もうよるもおそいですしい~」
ああ、にこにこしてるアーくんすごくかっこいいなあ。びなんしにそだっておかあさんうれしいよ。
「まだ十時ですよ」
「もうじゅうじ、ですよ~」
「まあまあ。もう少し飲みましょう。フリーデリンデと飲むために用意しておいた酒があるんです」
「ええー? もー、アーくんたらわるいこですね~。うふふー。そんなわるいこにはおしおきだー!」
アーくんのかみのけはさらさらしていて、ゆびどおりがよすぎる。せかいがしっとするかみだね! そんなキューティクルをぐしゃぐしゃにするわたしってば、つみぶかい……。
「ふふ。可愛らしいお仕置きだね。じゃあ、僕からもフリーデリンデにお返しをさせてもらおうかな?」
「はえ?」
フリーデリンデの言葉は唇ごとアインスの唇に飲み込まれ、体はそのままベッドに縫い留められた。
***
朝。
小鳥たちの忙しない鳴き声が聞こえる。カーテンのすき間からは爽やかな朝陽が差しこんでいた。
フリーデリンデは痛む頭を必死に動かしていた。頭がずきずきと痛む。この頭痛は先見によるものではない。二日酔いだ。
一糸纏わぬ己。腰と、それからとてもじゃないが人さまには言えない箇所に違和感ががっつり残っている。
昨夜の記憶を辿り、へべれけになった自分がアインスに抱えられて彼の自室に連れて来られたところまで再生し終えたところで、隣に寝ていた男――アインスが身動ぎをした。
フリーデリンデは顔を青褪めさせ、息を潜めたが、アインスは一度二度瞬きをするとすぐにフリーデリンデの姿を認め、にこり、と笑う。
昨日までは確かに自分の自慢の息子であったアインスの笑顔はいつになくキラキラキラキラと輝いているのだが、どことなく物騒なものを感じてしまう。何故だ。
「おはよう、フリーデリンデ。身体の調子はどう?」
ごく自然な様子で腰を撫でられ、フリーデリンデは短く悲鳴をあげようとしたが、喉からは空気が漏れただけだった。
頼みの先見も発動しない。もちろん神託も降りてはこない。
「ごめんね、フリーデリンデ。君の巫女の在位はまだ二十五年もある。終わるころ僕は四十三だ。十八才のままの君とは釣り合わない。なによりそれまでずっとフリーデリンデが神のものかと思うと我慢できなくて……。
僕は君の事が好きなんだ、フリーデリンデ。愛している」
しゅん、とアインスがまるで叱られた大型犬のように俯く。
昨夜は神様とまた話せると思っていたから適当に切り上げてしまった。また今度、と言ったのにその機会は二度と訪れない。
せめてお世話になりました、ありがとう、くらいは伝えたい。あとでお祈りをしよう、とフリーデリンデは決めた。新しい巫女が選ばれたら伝言を頼もう。自分が先代の巫女の伝言を伝えたように。
ああ、困った。こんなの予想外もいいところだ。
「フリーデリンデ……?」
上目遣いにフリーデリンデをうかがう可愛らしい旋毛にキスを落として、フリーデリンデはアインスの頬に手のひらをよせた。
こんな良い子の母親をやれるならば、それで良いと思っていたのに。お嫁さんを紹介される覚悟も、孫を抱く覚悟だってしてきたというのに。
このあと神様には熱心にお礼をしておこう。神様のおかげでこんな良い子に出会えました。
「私もアインスが大好きだよ! 愛してるわアインス!」
このあと巫女、二日酔いに沈む。元養い子、甲斐甲斐しく世話をする。
誤字報告ありがとうございました!