王子様とお姫様
「それで、調べるって具体的にどうするつもりなんだ?」
「……僕も考えてたんだけど……エクレアちゃんの部屋にあった書類を破ったりするのはともかく、バスや電車を止めたり、看板を落としたりなんて、どう考えてもこんなの人間にできることじゃないよ」
それを聞いてエクレアはぶるっと震えた。
「あ、あたしはお化けとか信じてないからな」
エクレアは、どうやらホラーは苦手らしかった。
「まぁ、僕も頭から信じてるわけじゃないけど……そういう、オカルト的な物が絡んでいる可能性は捨てきれないなーって思うわけなんだよね」
「……オカルト?」
その単語に、エクレアも思い当たる節があったようだ。
「まさか、あんたあの変人のとこに行くつもり?」
それを聞いて伊織はからかうような口調で、
「少なくとも、彼女はエクレアちゃんより早くお見舞いに来てくれたよ」
エクレアはぐっと言葉に詰まった。
そんな様子を見て伊織は笑って、
「冗談だって。……彼女が病室に来た時に、相談に乗ってくれるようお願いしておいたんだ。この時間だとまだ部室にいるそうだから、行こう」
「……それこそ、携帯で相談すればいいじゃない」
「彼女、携帯持ってないんだってさ」
やっぱり変人だ、と思ったエクレアだった。
◇ ◇ ◇
「やぁ、そろそろ来る頃だと思っていたよ。いらっしゃい、プリンセス達」
時刻は夕方過ぎ、そろそろ下校時刻になる頃合いだった。
オカルト研の部室に入ると、夕陽をバックに机の上に足を組んで座っている状態で岡田琉優が待ち構えていた。
エクレアはオカルト研というからには薄暗い部屋に水晶玉とか、ドクロとか怪しいグッズが並んでいて、ともかくもっと不気味な雰囲気の部屋を想像していたのだが、本が数冊置いてあるだけの普通の教室だった。
「やぁ、岡田さん。2日ぶり。一昨日は来てくれてありがとう」
「私の事はルウでいいで言っただろう? プリンセス」
「いやー会って間もない女子のことを名前で呼ぶのはちょっと恥ずかしいというか」
出会ってからずっと名前で呼ばれているエクレアはつっこみたくて仕方無かったが、とりあえずそれに関しては何も言わなかった。
話を早く進めたかったのだ。
「岡田さん。あたしの身の回りで起きていることについて、相談したいんだけど」
「ああ、稲妻の子よ。何でも聞いてくれたまえ」
エクレアは稲妻という意味だから、稲妻の子らしい。
とことん変人だな、とエクレアが思ったのも無理は無い。
「さて、稲妻の子のプライベートな事情らしいから、プリンセスからはまだ話を聞いていないんだ。一体この私にどんな相談事かな?」
「とりあえずその呼び方やめてくれない? 佐藤でいいから」
「ふむ。どうやら名前に何かこだわりがあるようだね。普段から、プリンセス以外は君の下の名前を呼ぶ者はいないしね」
「……いや、こいつにも名前を呼ぶのを許した覚えは無いけど」
エクレアは、ルウの謎の察しの良さに驚きながらも、事情を話した。
彼女はじっと黙って聞いていたが、エクレアが話し終えると、
「古来より、世界中には『言霊』という概念が存在している。言葉には、力が宿る。そういう意味なのだけどね」
「『言霊』……」
「名前も同じだ。名は体を表す、という言葉があるが……その言葉の通り、名前を付けた人物の、子供にこうなって欲しいという思いが込められた、『言霊』の一種なんだ」
『名は体を表す』という言葉が嫌いなエクレアはちょっと顔をしかめたが、黙って聞いておくことにした。
「名前というのは、昔から大きな力を持っていると言われている。もし君が名前を変えるのを邪魔している存在がいるとしたら……君の、『エクレア』という名前を付けられた意味が関係しているのかもしれないね」
それを聞いてエクレアは肩をすくめた。
「『エクレア』なんて名前、意味あると思う?」
ルウは首を振ったが、それは意味が無いという意味では無い。
「私にはわからない。だから、わかる人に聞くのが一番だろうね」
『エクレア』という名前を付けた人物、つまり、
「あの親が、意味なんか考えているとは思えないんだけど。……今まで何度も聞いたけど、答えてくれないし」
彼女の両親に話を聞きに行くということだ。
「どっちにしろ、他に手がかりも無いしね。とりあえず行ってみようよ。エクレアちゃんの家に」
「…………」
エクレアはしばらく考えていたが、諦めたように頷いた。
「……わかった」
「それと……もし何もわからなかったら、霊感の強い人に見てもらうというのも一つの手だとは思うよ。もしかしたら、何かわかるかもしれない」
さっきまでのアドバイスは比較的納得のいくことだったが、いきなりオカルト要素が強くなって戸惑ってしまったエクレアだった。
「霊感の強い人って何……? あなたは違うの?」
ルウはちょっと残念そうに、
「生憎、私にはそういう力は無くてね。だが、感じられないからこそよりこの世界を知りたいと思って、調べているんだ」
ふと、エクレアが伊織の方を見ると、何やら難しい顔をしていた。
「……なんかあるの?」
「……んー、いや。とりあえずエクレアちゃんの家に行ってからだな」
伊織はルウの方を向いた。
「ありがとう、岡田さん」
「どういたしまして。こんなの、私にとっては造作もないことだよ」
「……ありがとう」
照れ臭かったのか、エクレアはそう言うと先に部室から出て行ってしまった。
「プリンセス」
伊織も彼女の後に続こうとしたが、そこをルウが呼び止めた。
「彼女には言わなかったけど、悪魔や妖怪、神にとっても、名前はとても重要なものなんだ」
悪魔、妖怪、神。
先ほどまでの話よりも、さらにオカルトらしい単語だな、と伊織は思った。
「そういう、いわゆるオカルト的な存在は、名前を知ることで相手を縛ったりする。逆に、彼らの名前を知ると存在を支配できる」
「怖い話だな」
呑気なセリフだが、伊織は笑っていなかった。
「気をつけてあげてくれ。名前を捨てるということは、オカルト的な意味では非常にリスクの高いことだからね」
伊織はしっかり頷いた。
「わかった。助かったよ。肝に銘じておく」
「私からも一つ聞いていいかな?」
「ん?」
「君にとって、彼女はどんな存在なんだい? 少なくとも、この前出会ったばかりの関係には見えないんだけどね」
伊織は肩をすくめて、意味ありげににやりと笑った。
「内緒」
◇ ◇ ◇
学校を出て、二人はエクレアの家に向かった。
「そういえば、エクレアちゃんのご両親って、何やってる人なの?」
彼女はとても嫌そうな顔をしながら、
「……パティシエ」
なんだか、ものすごく納得してしまった。
エクレアはそんな様子を見て舌打ちをした。
「だから言いたくなかった……んだけど、隠していても仕方ないしな」
どうせ、すぐにばれることなのだ。
「おお、ここかー。なんだか、お嬢様の家みたいだね」
「茶化すな」
そこは、学校から徒歩10分ほどの場所にある、高級住宅街の一角に構えてある洋菓子店だった。
オシャレな雰囲気で、いかにも金持ちそうなマダムがショーケースの色とりどりのケーキを選んでいる様子を見ていた。
なかなか高級そうなお店だ。
看板には、『エクレール SATO』と書かれていた。
エクレールとは、フランス語で稲妻の事で、エクレアの語源となった言葉だ。
そう、ここはエクレアの実家だった。
彼女の話によると、表が店、裏が住居スペースになっているらしい。
エクレアは店のドアの前に立ってドアノブに手をかけたが、なかなか開けようとはしなかった。
自分の家だというのに、彼女は入るのを恐がっているようだった。
伊織はそっと、彼女の手の上に自分の手を重ねた。
驚いた様子でエクレアは伊織の方を見た。
伊織はにっこりと笑って、
「自分の家でしょ? 何も恐がることないよ」
その顔を見てエクレアはため息を吐き、伊織の手をバシッと払った。
伊織は傷ついたような顔をしたが、彼女はそれには構わず、ドアを開けた。
「ただいま」
店の中にいた、店員とお客さん達が全員入口に立つエクレアを見たが、彼女の姿を確認すると何事もなかったかのように元に戻った。
この店の娘だと、お客さん達もわかっているようだった。
「おかえり、絵久珍」
カウンターに立っていた女性が、二人の傍までやってきた。
優しそうな眼をした、30代後半ぐらいの女性だ。
「母さん、こっちが姫野伊織。この前言った、あたしの命の恩人」
その言葉に、奥から慌てた様子で男の人がやってきた。
真っ白な服と帽子を着けた、いかにもパティシエらしい格好をした人だ。
おそらく、エクレアの父親らしき人は伊織の手を握ってぶんぶん振った。
「君が伊織君か! 娘の命を救ってくれてありがとう! 治療費は全部私たちが出すと言ったんだが、君のご両親は受け取ってくれなくてね」
そう言うと、エクレアの母親も、
「絵久珍を助けてくれて、本当にありがとうございます。なんとお礼を言えば……」
別に、普通のご両親じゃないか。
そう、伊織が思うのも無理は無かった。
少なくとも、自分の娘に絵久珍なんて変わった名前を付けるような人たちには見えなかった。
「母さん、父さん、大事な話がある。聞いて」
エクレアがそう言うと、二人は顔を見合わせた。
「とても大事な話か?」
「とても、大事な話」
娘の真剣な目を見て、そしてなぜか伊織の方を見た両親は、再び顔を見合わせて頷いた。
「……わかった。ここじゃなんだから、中に行こうか」
そう言って、家の中に通された。
伊織とエクレアはリビングの4人掛けのテーブルのイスに横に並んで座り、エクレアの両親はその正面に座った。
エクレアの母親が紅茶とケーキを用意してくれたので、伊織はいただくことにした。
さすがは、高級な洋菓子屋さんで、ケーキは甘さ控えめでとても上品な味わいだった。
紅茶もケーキに良く合う、素晴らしい味と香りだった。
自分が作ったらこうはならないだろう、と感心していた。
「それで、話と言うのは?」
伊織がケーキと紅茶に夢中になっていたら、エクレアの父親がそう話を切り出した。
エクレアはケーキに手をつけず、下を向いて黙っていたが、意を決した様に両親の方を向き、
「あたしの、名前の由来を教えて欲しい。今まで何度聞いてもはぐらかされていたけど、とても重要なことだから、教えて欲しい」
そう、両親の顔をまっすぐ見て、言った。
しばらく沈黙が流れた。
伊織が沈黙に耐え切れずに紅茶を飲むと、
「え? そんな話?」
エクレアの父親はキョトンとした顔で、
「私はてっきり、伊織君が娘を妊娠させてしまったとか、そういう話かと」
ブーッ、と伊織は思わず飲んでいた紅茶を噴き出した。
ゲホゲホと、そのまましばらくむせていた。
エクレアはあまりの事にしばらく呆然としていたが、顔を真っ赤にして立ち上がると、
「ふざけんな!!」
自分の両親に向って怒鳴っていた。
「あ、あたしが、こ、こんなやつと、そんなことするか!! このバカ親!!」
その言葉を聞いて、母親の方はのんびりした声で、
「そうよね。絵久珍は昔から王子様みたいな男の子が好みだものね」
「母さんは黙ってて!!」
父親の方は脱力して、
「なーんだ、この年で孫ができたのかと思って覚悟を決めていたところなのに」
「そうね。残念ね」
伊織は思わずテーブルに突っ伏してしまった。
普通の両親とは、言い難いかもしれない。
そう認識を改めないといけないようだった。
「なんで残念がってんだ!! あたしまだ中学生だぞ!! バカかあんたら!!」
エクレアの叫び声は、店の方まで届くぐらい大声だった。
彼女が叫び疲れてはぁはぁと呼吸を乱していたところ、
「それで、絵久珍の名前の由来だっけ?」
ようやく話が進みそうだった。
「そうだよ。どうして絵久珍なんて、ふざけた名前をあたしに付けたのか、その理由が知りたいんだ」
だが、両親は渋い顔で、
「親から貰った名前を、ふざけた名前なんて言うものじゃないぞ」
「そうよ。せっかく私たちが一生懸命考えて付けたのに」
それを聞いてエクレアはため息をつきながら、
「それで、いい加減に教えてくれよ。なんであたしに絵久珍って名付けたのか」
「それはな……」
ようやく、父親が話してくれそうだったので、エクレアも伊織も、ごくり、と唾を飲んだ。
「エクレアが好きだから」
「……は?」
聞いていた二人は、意味がわからなかった。
エクレアが好き?
自分の娘が好きってことか?
と考えたが、どうやらそうでは無かったようだ。
「エクレアってとてもおいしいだろう? シュークリームにチョコが乗っているなんて、最高じゃないか。だから、娘にもそんな最高な子になって欲しいと思ってそう名付けたのさ!」
エクレアは完全にフリーズしていた。
思っていた以上に、くだらない理由で、現実を受け止めることができないようだった。
一方、伊織はじっと二人の目を見ていた。
「……もういい!! あたし、こんなふざけた名前、絶対捨ててやる!」
我慢の限界が来たエクレアは飛び出して行ってしまった。
「あ、ちょっと、エクレアちゃん!」
あわてて、伊織も彼女の後を追おうしたが、エクレアの父親に呼び止められた。
「伊織君」
振り返った伊織は、驚いた。
エクレアの両親は、さっきまでのふざけた態度とはまったく違う、悲痛な表情を浮かべていたのだ。
「……その、あの子の気持ちは知っているが……私たちは、どうしてもあの子に名前を変えて欲しくないんだ。あの子を説得してくれないだろうか」
「よろしくお願いします……」
二人の言葉に対して、伊織はきっぱりと、
「僕は、エクレアちゃんが幸せになるように手助けする。それだけですよ」
伊織は肩をすくめて、彼女を追った。
◇ ◇ ◇
「信じられない! 結局、バカ親はバカ親だった! まさか、あんなに何も考えて無かったなんだて、本当にどうかしてる!」
伊織が先に飛び出したエクレアに追いつくと、彼女は家の近くの電柱を何度も蹴りつけながら、 自分の両親を罵倒していた。
しばらくそうしていたが、次第に蹴る力が弱くなっていき、ついには蹲ってしまった。
「ちょっとでも、何か理由があるのかなって、期待したあたしがバカみたいだ……」
今にも泣きだしそうな声だった。
そんな彼女に向って伊織は、
「……たぶん、まだ本当の事を言ってないと思うよ」
エクレアは驚いて思わず振り返った。
「あの二人の態度、何かを隠している感じだった」
彼女は疑わしそうな目をしていたが、
「何か、あるんじゃないかな。エクレアちゃんに名前の由来を隠さなければならないような事情が」
「どうせ、ロクな事情じゃないと思うけど」
「……そうかもしれないけどね」
エクレアは冷たく切り捨て、伊織も強く否定はしなかった。
「でもこれで、手がかりなくなっちゃったけど」
ルウから手がかりが無くなった時は、霊感のある人に頼れと言われていたが。
「……あたし、霊感のある人に心あたりなんかないんだけど。霊媒師でも呼べばいいの?」
そう言うと、伊織は独り言のように、
「……仕方ない。助っ人を呼ぶしかないか」
思わずエクレアは伊織の顔を見た。
「助っ人?」
「ちょっと待ってね。電話するから」
そう言って、伊織はスマホを取り出すとどこかに電話をかけ始めた。
「ああ、もしもし? ちょっと急いで『エクレールSATO』っていうケーキ屋さんまで来て欲しいんだけど。……え? 忙しい? いや、そこを何とか。……え? ケーキ? ……わかった。500円までな。……え? いやそれはいくらなんでも……はい、わかりました。お願いします……」
後半はだいぶ力無い声になっていた。
電話を切ると、エクレアの方を振り返り、
「……急いで来てくれるって」
「……一応聞いておくけど、誰を呼んだんだ?」
伊織は肩をすくめて、
「霊感の強い、僕の身内」
◇ ◇ ◇
10分ほどエクレアの家の近くで待っていたら、ギュイインと音を立てて自転車が急ブレーキで目の前に止まった。
乗っていたのは、同じ年ごろの子供だった。
「兄貴、なんでこんなところにいるんだよ。入院してたはずじゃん」
ショートカットで、兄とは反対にスラっとした長身だった。
一見した所は男子にも見えるが、声は間違いなく少女の物だった。
「いやー色々あってね。……エクレアちゃん。この子は僕の妹、翔だよ」
「えっと、妹の姫野翔です。兄貴がお世話になってます」
名前も兄とは正反対で、男らしかった。
彼女がクラスで王子様と呼ばれているのも無理は無い。
「あたしは佐藤……絵久珍です。よろしくお願いします」
伊織がもうすでに言っていたのもあって、エクレアは渋々ながら隠しても意味が無いと思いフルネームを名乗った。
だが、彼女はエクレアの名前など気にしたような素振りを見せず、笑ってエクレアの手を無理やり握ってブンブン振っていた。
「よろしくお願いします! ……ところでこの人、兄貴の彼女?」
「そうだよ」
「違います」
エクレアは反射的に伊織を蹴り飛ばしていた。
勢いよく倒れたが、すぐに起き上がって、妹に向って訂正した。
「まだ違うそうです」
「あ、そう……」
彼女は呆れたような顔を兄に向けていた。
「で、なんでウチを呼んだのさ。ケーキを1500円分奢ってくれるっていうから来たのはいいけど」
伊織は500円と言っていたと思うが、だいぶ値上げ交渉をしていたらしい。
兄はちょっと悲しそうな顔をしながら、妹に向って、
「翔。ちょっと、この家に変なのが憑いてないか調べて欲しいんだけど」
彼女は、昔から霊感が強かったらしい。
小学生ぐらいの時から、その霊感を使って幽霊がらみのトラブルを解決していたのだ。
オカルト大好きな岡田琉優に知られたら、間違いなくオカルト研に勧誘されるだろう。
「えー。なんだ。そっち系かよ。それだったら、ケーキ3000円分に値上げな」
「勘弁して」
そこから兄妹で何やら言い争っていたが、最終的に兄が妹に対して土下座をして頼み込んでようやく話し合いが終わった。
「よし、じゃあ調べるとするか」
「……よろしくお願いします」
兄弟のいないエクレアはそんなやり取りに若干引いていた。
「まぁでも、正直あんまり詳しくは調べる必要ないかもな」
「どういうこと?」
「いや、あきらかに何かいるもん」
事もなげにとんでもない事を言い放った。
エクレアはそれを聞いて物凄く嫌な顔をしていた。
◇ ◇ ◇
エクレアの両親に気づかれないよう、3人は店側ではなく裏口から直接居住スペースの方に入っていった。
「いや、ただあんまり悪いことをしそうな感じじゃないっぽい。どっちかと言えば、座敷童とか、そういう家を守る系? そんな感じの雰囲気」
エクレアは悪いことをしないと聞いて不服そうに、
「でも、あたしの部屋で書類を隠したり、無茶苦茶にされたりしたんだけど」
「可愛いイタズラじゃない。少なくとも、悪霊とかならそんな程度じゃすまないだろうし」
それでも彼女は何か言いたげだったが、結局は何も言わなかった。
「じゃあ、その部屋に行こうか」
そう言って、エクレアの案内で奥にある彼女の部屋へ着いた。
「へーここがエクレアちゃんの部屋かー。エクレアちゃんらしくていい部屋だね」
「絶対バカにしてるだろ」
彼女の部屋はあまり女の子らしくない、ぬいぐるみ等は置いていないし、ポスターなんかも貼っていない、あるのは机とタンス、それから本棚だけの殺風景な部屋だった。
「翔……いるの?」
伊織は妹に向って慎重に尋ねてみたが、彼女はあっさりと答えた。
「いるね」
そう言われて、思わずエクレアは後ろに下がってドアから離れた。
さすがに自分の部屋に幽霊がいると言われて、恐かったらしい。
伊織も正直、結構恐くて離れたかったのだが、妹とエクレアの手前、ギリギリ踏みとどまっていた。
「な、なんか言ってる? てか、早めにどうにかしてもらいたいんだけど……」
エクレアにそう言われて、翔は困った顔になった。
「ウチは除霊とかはできないよ? 専門家じゃないし。もっと言うと、幽霊の声は聴けないし、触ったりもできないよ。なんとなーく見えるだけ」
エクレアは非難するような目で伊織の方を見たが、伊織は、
「翔を呼んだのは、別にそういうのが目的じゃないよ。ただ、僕らには情報が必要だと思って呼んだんだ。……翔、その幽霊ってどんな見た目してるかわかる?」
「小学生ぐらいの男の子だね。こっちの声は聞こえてるみたいで、驚いてるっぽい」
小学生ぐらいの男の子、と言われて、なぜそんなものが家に憑りついているのか、エクレアにはさっぱりわからなかった。
しばらく真剣に考えていたが、
「あ、そっち行った」
と翔が二人の方を見ながら言った。
エクレアと伊織は慌ててドアの側から飛びのいた。
見えていなくても、幽霊が自分の方に寄ってくるなんて、ぞっとしない。
もし自分の体を通り抜けるようなことがあったらと思うと、気絶してしまいそうだ。
「そんな慌てなくても大丈夫。あっちの部屋に行った」
翔がそう言いながら指をさしたのは、エクレアの部屋の向いの部屋だ。
エクレアは恐る恐るその部屋の扉を開けた。
そこは彼女の両親の寝室だった。
ベッドが二つの他にタンスやクローゼットなどが置いてあった。
「あの子、ベッドの下を指さしてる」
そう言われて、伊織がそっとベッドの下を覗くと、大きなお菓子の缶のような物があった。
長い間放置されていたようで、埃をかぶっていた。
伊織は手を伸ばして箱を取り、エクレアに渡した。
3人は顔を見合わせ、エクレアはゆっくりとその缶の蓋を開けた。
「アルバム?」
中には、古いアルバムが入ってあった。
「あ、あの子、どっか行った」
伝えたいことを伝えられたからか、幽霊の男の子はどこかへ行ってしまったようだ。
幽霊に慣れていない二人は少し安心したが、今はそれより目の前のアルバムの方が重要だ。
エクレアは慎重にアルバムを捲った。
「……これ、誰だ?」
そこに貼られていた写真には、今よりももっとずっと若いエクレアの両親と、その二人と手を繋いでいる小学生ぐらいの男の子が写っていた。
どこかの山にピクニックに行っている写真、海へ行っている写真、誕生日のケーキと一緒に写っている写真、クリスマスらしき写真、幼稚園の入園式の写真など色々な写真があった。
どれも、両親とその男の子の3人で撮られていた。
「あ、それ。さっきの子だ」
翔は男の子を指さしてそう言った。
エクレアはそれらを黙って見ていたが、そのうちの一枚を見て手が止まった。
小学校の入学式の日か何かだろうか。
おめかししている、同じぐらいの女の子と一緒に写っている写真だった。
エクレアはそれを見て驚いた顔で、
「……あ、この子」
「知ってるの?」
「隣に住んでる、お姉さんだと思う。この場所、お隣さんの家の前だし」
隣に住んでいるお姉さん、には伊織にも心当たりがあった。
確かエクレアと同じように変わった名前をした人だったはずだ。
「ようやく手がかりが見つかったね。行ってみようか」
「…………」
エクレアは黙って頷いた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、ウチはそろそろ帰るね」
霊感のある翔の必要な調査は終わったので、彼女は先に帰る事になった。
「ありがとう。翔」
「ありがとう、ございます」
「どういたしましてー。兄貴。父さんと母さんには黙っといてやるから、早めに病院に戻れよー」
そう言って翔は手を出してきたので、伊織は黙って財布から3000円を取り出して渡した。
そのまま彼女は表に回って『エクレールSATO』に入っていった。
え、よりによってここでケーキ買ってくの? と二人は同時に思った。
「さて、僕たちも行こうか」
行くと言っても、行先はお隣さんである。
少し歩いて、1分もかからず目的地に到着した。
いかにも高級そうな、大きな家だった。
チャイムを押そうかと思ったその時、散歩に行こうとしていたのだろうか、ちょうど女の人が犬を連れて出てきた。
「あらあらあら、エクレアちゃん?」
ぶっといネックレスに、でっかい指輪をいくつも指につけていて、体は失礼ながらちょっと肉々しい。
いかにも金持ちのマダムといった見た目だった。
この人、語尾に「ざます」とかつけて喋ってもおかしくないなと伊織は失礼なことを考えていた。
「こんにちは、鈴木さん」
「まぁまぁまぁ、久しぶりねぇ。相変わらず、名前と一緒で可愛い子だわ」
嫌味なのかと思ったが、この人はどうやら本気で名前が可愛いと思っているらしい。
「あら、そちらは彼氏?」
「そうです」
「鈴木さん。今日はお姉さんに用があって来たんです」
エクレアは余計な事を言った伊織を蹴っ飛ばして話を進めた。
「うちの希紗羅に? ええ、もちろん。奥にいるわよ。どうぞ上がって行って」
プールのある大きな庭に、ちょっとしたスポーツのできそうな広い洋風のリビングには高価そうな絵や壺が置かれてあり、一般家庭の伊織はただただ圧倒され、興味深々に周りを見ていたらエクレアに怒られた。
「あんまり人の家できょろきょろするな」
「すみません」
螺旋階段を登って2階に上がり、たくさんある扉の中から一つにノックをして部屋に入った。
「あ、エク……佐藤さん。久しぶりね」
鈴木希紗羅さん。
大学生で、名前は派手だが、見た目はいたって普通だ。
就活中ということもあってか髪も真っ黒で、どこにでもいそうな大学生といった感じだった。
「そっちの子は?」
「姫野伊織です。エクレアちゃんの彼氏……ではなく友達です」
彼氏、と口にした瞬間鬼のような形相で睨まれたので即座に言い直した。
「お姉さん、お願いします。教えてください。この写真に写ってるの、お姉さんですよね。隣の男の子、一体誰なんですか?」
希紗羅さんは写真を見て息をのんだ。
「この写真……」
希紗羅さんは、懐かしそうな、悲しそうな顔をしていた。
そして、エクレアの方に向き直り、
「……いつか、あなたには謝らないといけないと思っていたの」
と言って、頭を下げた。
「エクレアちゃん、実はあなたには、お兄さんがいたの」
それは、エクレアも伊織も、写真を見た時から予想していた答えだった。
希紗羅さんは二人にお茶を入れてくれた。
部屋の中央の小さなテーブルの周りに3人は座って、彼女の話を聞くことにした。
「武士君って言って、私とは幼馴染だったわ」
佐藤武士。
鈴木希紗羅とは同い年だったので、もし生きていたら21歳。
彼女とはお隣同士、仲が良かったそうだ。
「優しくて、とっても元気のいい子だったわ。エクレアが好きで、よく食べていたのを覚えてる。私の名前、変わっていたから周りの子からからかわれたりしていたんだけど、武士君はそんなこと気にせず、ずっと遊んでくれていたの」
エクレアは、自分のことと重ねていた。
彼女にも、同じような経験があったからだ。
「でも……私達が小学校に入学してしばらくして、バスが交通事故にあってね。……彼は、私と一緒にバスに乗っていたんだけど……事故があったとき、とっさに私を庇ってくれたの。彼がクッションになってくれたおかげで私は軽傷で済んだんだけど……彼は……死んでしまったの」
エクレアの兄は、どうやら子供ながらに、立派な男の子だったようだ。
「……でも、それだけじゃないんですよね?」
それだけだと、エクレアの両親が彼のことを隠す必要は無さそうだ。
立派な兄だったと、娘に自慢してもいいぐらいかもしれない。
「うん……その事故の後、武士君のお葬式で、ママが……あなたの両親に向ってとんでもない事を言ってしまったの。『うちの子は愛のある名前だから生き残った。次の子はもっと愛のある名前を付けてあげましょう』って」
さすがに聞いていた二人は絶句した。
「うちのママ、私達みたいな変わった名前が好きなのよ。親の愛が込められてるとか何とか言ってね」
当時、エクレアはちょうど母親のお腹の中にいたらしい。
「だから、あなたが生まれて、『絵久珍』と名付けられたと聞いた時、本当に申し訳ない気持ちになったわ。私のママのせいで、あなたにまで私と同じような目に合わせてしまうって……本当にごめんなさい」
彼女は、再び頭を下げた。
「その後、あなたの両親から、頼まれたの。武士君のことは、黙っておいてくれって。なんでそんな事するのかと思ったけど……今思えば、そんな理由で娘の名前を付けたのを後悔しているのかもしれないわね……」
「じゃあ、エクレアちゃんが『絵久珍』と名付けられたのは……武士さんが、エクレアが好きだったから……? そして、希紗羅さんのお母さんに煽られたから……?」
まとめると、そういうことになる。
希紗羅は、黙って頷いた。
エクレアは、しばらく呆然としていたが、
「そんな、くだらない理由だったなんて……」
と、呆れたような、悲しいような、そんな声を出した。
◇ ◇ ◇
「もしもし」
「もしもし、岡田さんのお宅でしょうか。姫野伊織と申します。琉優さんはいらっしゃいますか?」
「……え、琉優って言った?」
「え? は、はい」
そんな事を言われたので、一瞬かけ間違ったかと思って番号を確認したが、間違っていないようだった。
通話先は、オカルト研の岡田琉優の自宅である。
声の主は琉優とよく似た雰囲気の女性の声だが、母親だろうか。姉妹かもしれない。
「……伊織って言ってたけど、あなた男の子よね?」
「え、ええ。一応」
「…………」
「…………」
お互いが沈黙していしまったが、
「お母さーーーん!! 琉優に男の子から電話掛かってきたーー!!」
電話の向こうから物凄い大声が聞こえてきた。
普通、受話器の口を押えるとかするんじゃないか?
と思ったら、さらに大きな声が聞こえてきた。
「なんですってーーー!!!?」
ドドドドド、と電話の向こうから足音が聞こえてきたと思ったら、電話の相手が代わったようだ。
「あなた、琉優の彼氏? どう? 琉優は学校でうまくやれてるの?」
話の流れからして、おそらく母親なのだろう。
なんだか、想像していたのと違う家族だった。
本人があのミステリアスな様子だったから、てっきり家族も似たような雰囲気だと思っていたのだが、いたって普通で逆に困惑していた。
「ええと……彼氏ではないです。琉優さんには、相談に乗ってもらったりしていて……」
「ちょっとお姉ちゃん! お母さん! 私への電話なんだから、勝手に出ないでよ!!」
と、ようやく本人が現れたようだ。
なんだか、学校の彼女と、家での彼女は口調がずいぶん違うようだが。
「も、もしもし。プリンセ……姫野君かい?」
呼び名を言い直した。
すぐ側に家族がいるから、おそらく伊織のことを変な名前で呼ぶのが恥ずかしいのだろう。
「あれから、何か進展はあったのかい?」
「ああ、それでまたちょっと相談に乗ってもらいたいんだけど」
「構わないよ。君の相談にならいつでも乗ろう」
またしても電話口の向こうから甲高い声が聞こえてきた。
「やだ。『君の相談ならいつでも聞こう』ですって! この子デレデレじゃない! ねぇねぇ、姫野君ってどんな子? かっこいい? 写真ある?」
「ちょ、お母さんは向こう行っててよ!! ……すまない」
「あ、うん……気にしてないよ」
伊織は戸惑いながらも、今日あったことをルウに話した。
「ふむ……昔亡くなった、稲妻……えっと、佐藤さんのお兄さん、か。興味深い話だね。その人の幽霊が、彼女の改名を邪魔しているのだとすれば全ては筋が通るとは思うよ」
「……やっぱり、そうか」
伊織は、チラッと横にいるエクレアの方を見た。
スピーカーモードにしているので、この会話は、彼女にも聞こえている。
エクレアは、辛そうに二人の話を聞いていた。
「どうかしたのかい?」
「いや、お兄さんが妹の改名を邪魔するなんて、悲しい話だなって思っただけ」
伊織は、疑問に思っていたことを聞いてみた。
「エクレアちゃんの両親は、気づいているのかな?」
「私にはわからない。が、もしかしたら、何か感じているのかもしれないね。自分達の死んだ息子が、家に憑りついていて妹のことを邪魔していると。自分の好きなエクレアという名前を変えられたくない、自分の事を忘れられたくないと。だからこそ、彼らは何もできないんだろう。彼女に『絵久珍』と名付けたのは、彼らなのだから」
幽霊が家に憑りついていることを良しとしている、佐藤家の方をちらっと見て、伊織はなんとも言えない顔になった。
「でも、どうしたらいいだろう? 神社の人でも呼んで、お祓いしてもらうのがいいかな? でも、エクレアちゃんのご両親がそんなの受け入れてくれるわけないか……」
「神社というのは悪くない発想だよ。幽霊が寄り付かないような、強力な霊的な物……御守りでも彼女に持たせればいいと思うよ」
伊織はエクレアの方を向いて、
「エクレアちゃん、御守り、持ってる?」
「学業成就のならあるけど」
「僕も恋愛成就のやつなら持ってるんだけどな」
「なんでそんなもん持ってるんだ」
ルウはそんな二人の漫才のようなやり取りを聞いて、呆れた声で、
「……この場合は、厄除けとか家内安全の物がいいだろうね。この辺りだと、『瀬戸南神社』があるから、行ってみたらいいと思うよ」
「そんなものでいいのかな……わかった。ありがとう岡田さん。この借りはいずれきっちり返すよ」
「気にしなくていい。また、いつでもかけてきてくれ」
「キャー! 『またいつでもかけてきてくれ』ですって! うちの電話を使ってイチャイチャする気よこの子!」
「ち、違うわよ!! それに、お母さんが携帯買ってくれないからでしょ!!」
「それは琉優の学校の成績が良くないからでしょー。期末テストの結果が良ければ買ってあげるわよー」
母親がまだ傍にいたらしい。
彼女、意外にも成績が良くなかったらしい。
この電話での数分間の会話だけで、今まで琉優に抱いていたイメージがガラガラと音を立てて崩れていっていた。
「岡田さん」
「なんだい?」
「期末テスト、一緒に勉強しようか」
「……お願いします」
借りは近いうちに返すことになりそうだった。
◇ ◇ ◇
「神社か……」
「どうしたの?」
「いや、神社にはあんまりいい思い出が無いだけ」
そう言って、二人はこの町唯一の神社、『瀬戸南神社』へと続く長い階段を登っていた。
神社があるのは山の方で、エクレアの家から歩いていくことは可能だが、間は結構な高低差で、長い坂を上り、山のふもとにきたところで、追い打ちをかけるように長い階段が用意されているのだった。
「しかし、こんな時期に御守りって買えるのか?」
普段から参拝客が絶えないような大きな神社ならともかく、小さな田舎の神社だ。
初詣のシーズンぐらいしか参拝客は来ない。
当然、御守りを手に入れられるのもそのシーズンだけだ。
「御守りは買うじゃなくて受けるって言うんだよ」
「雑学を披露してる場合か」
そうこうしている間に、二人は階段を登りきり、神社へとたどり着いた。
しかし、そこは明かりも無く真っ暗で、人の気配は無さそうだった。
「日中なら、もしかしたら神社の人がいるかもしれないけど……」
「そもそも、こんな時間に人がいるわけ無かったか」
いつの間にか日は落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。
「出直した方がよさそうだね。明日また来てみよう」
「……仕方ないか」
二人が諦めて帰ろうとした時、突然、ポトッ、と後ろで何かが落ちるような音がした。
二人とも、振り返ると。
「えっ」
「えっ」
足元に、御守りが落ちていた。
普通に神社で見るような、袋に紐がついているタイプの御守りだった。
しばらく二人とも呆然としていたが、伊織はおそるおそる落ちている御守りに手を伸ばし、拾い上げて首をひねった。
「……あったっけ。こんなの」
「……あったかもしれない。たぶん、あった」
エクレアは御守りが突然現れたという現実を認めるぐらいなら、自分の記憶力の方を疑うという強い意志を示した。
「……一応、『厄除け』って書いてあるけど……いる?」
「……えー……」
エクレアに御守りを差し出したが、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
「幽霊も嫌だけど、得体のしれない御守りも嫌なんだけど……」
そう言いながらも、一応は御守りを受け取った。
「……じゃあ、そろそろ帰ろうか。エクレアちゃん、家まで送っていくよ」
「……帰りたくない」
女の子が夜に帰りたくないなんて言うと男としてはもっと別の事を期待してしまうが、残念ながらそういうことでは無い。
「あんな、幽霊が出る上に、どうしようも無い親がいる家に帰りたくない」
今日の両親と希紗羅さんの話を聞いて、ますます両親に対する嫌悪感が増しているようだった。
幽霊に関しても御守りの効力もわからないし、当然とも言えた。
「……うーん。じゃあ、僕の病室に行く? ばれないようにこっそり戻れば、一晩ぐらいならなんとか……」
そう言った時、伊織の携帯が鳴った。
慌てて確認すると、母親からのメールだった。
『病室にいないって連絡来たけど、あんたどこにいるの!?』
「あっちゃー……」
このまま病室に戻ったら、確実にばれてしまうだろう。
とはいえ、外で朝まで時間を潰そうにも、こんな時間に中学生が外を出歩いていたら、十中八九補導されるだろう。
そうなると、もう取れる手段はほとんど無い。
「しょうがない、今日はこの神社に泊まろう」
「泊まるって、ここで!? いや、さすがにそれは……第一、この神社に泊まれるようなとこなんてある? ……まさか、社の中!? さすがにそれは罰当たりでしょ!?」
「違う違う、あっち」
伊織が指をさしたのは、
「社務所だよ。神社の事務を執り行う場所」
「でも、こんなとこ勝手に入るなんて……それに、鍵がかかってるんじゃ」
「よいしょ」
伊織は、社務所の入口の側にあった、バレーボールぐらいの大きな石を持ち上げた。
そこには、少し土で汚れた鍵が落ちていた。
「あー。やっぱりあった。昔からここに隠してあったんだよな」
「なんでそんなこと知ってるんだよ……」
エクレアは呆れた顔をしていた。
◇ ◇ ◇
社務所の中は暗く、夜ということもあってかもう夏だというのに少し肌寒かった。
しかし、電気をつけようにもなにせ不法侵入の身だ。
もし明かりが付いているところを神社の人に見られたらまずいため、暗いまま過ごすしかなかった。
スマホの明かりを頼りになんとか中に入り、エレクアは疲れていたのかすぐに隅の方に座りこんだ。
「あ、ほら毛布があったよ」
「……ありがとう」
伊織は押し入れを漁って毛布を見つけてきて、エクレアに渡し、そのまま彼女の横に座った。
「……ごめん」
「いいって。毛布くらい」
その言葉に、エクレアは首を振った。
「そうじゃなくて。……あたしのせいで怪我しちゃってたのに、付き合わせちゃって……あたしが帰りたくないなんてわがまま言ったせいで、今もこんなとこに泊まることになっちゃったし……」
「いやー幽霊の出る家で寝るのは誰だって嫌だよ。平気なのはうちの翔ぐらいじゃないかな」
霊感がある人は、見えるから逆に恐いという人もいるそうだが、翔は幽霊が見えても全然平気だそうだ。
あの子なら、幽霊屋敷でも平気で寝泊まりできるかもしれない。
「……だとしても、あたしに付き合う必要無いだろ」
「あるよ」
「本当は、めんどくさいって思ってるだろ」
「思ってない」
伊織は、かつてないほど真剣な目でエクレアの事を見つめていた。
そんな風にまっすぐ見つめられて、エクレアは思わず目を逸らしてしまった。
「……なんで、お前は、あたしなんかのために、ここまでしてくれるんだよ」
そんな、泣きそうなエクレアに対して、伊織は、
「僕は、君の王子様になりたかったんだ」
あまりにも、恥ずかしいセリフだった。
エクレアが普段、男の人にこんなことを言われたら、何を言ってるんだと冷ややかな目で切り捨てるが、この場所と、この言葉には、思い当たることがあった。
「王子、様……?」
子供の時、誰かに同じことを言われたことを思い出した。
◇ ◇ ◇
10年前。
それは、エクレアがまだ子供の時のことだった。
「やーいやーい!」
「エクレア! エクレア!」
彼女は子供の時から、お菓子の名前ということでいじめられていた。
「母ちゃんいってたぞ! おかしのなまえをつけるなんて、じょーしきのないいえだって!」
「お母さんもお父さんも、じょうしきなくなんてない!」
そんな風に、言い返して、取っ組み合いの喧嘩になったりした。
そんな事が何度もあって、いつしかエクレアは瀬戸南神社で一人で遊ぶようになった。
そして、一人でボール遊びなんかをしている時、一人の男の子と出会った。
「きみ、エクレアっていうの?」
「あなたも、あたしのなまえをバカにしにきたの?」
男の子は、笑って否定した。
「まさか。エクレア、だなんて、まるでおひめさまのなまえみたいだね」
「おひめさま……?」
そんな事を言われたのは、初めてで、彼女はとても嬉しかった。
そして、男の子はエクレアの手を取って、
「ぼくが、きみの王子さまになるよ!」
◇ ◇ ◇
「あんたが、あの時の男の子だっていうの……?」
「僕は、再会してすぐわかったよ?」
伊織はイタズラっぽく笑った。
「エクレアなんて名前の女の子、他にいないだろうしね」
「バカ。でも、あの時の男の子、姫野なんて名前だったっけ……?」
伊織は首を振って、
「当時の僕は、王子伊織って名前だったんだ」
「えっ? 王子?」
「そう。だから、王子様ってわけ」
「そんな、くだらない理由だったのか……」
「子供なんて、そんなもんだよ」
伊織とエクレアは、それから二人で遊ぶようになった。
遊ぶ場所は、決まってこの神社だった。
二人で鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり、ボール遊びをしたり……。
しかし、伊織はそれから1年後、突然引っ越すことになった。
「あんた、『もう王子様じゃいられない』って言って、引っ越したと思うんだけど」
「あの時、両親が離婚してね。僕は母親に引き取られることになったんだ」
それで、伊織は名字が変わることになり、王子伊織ではなくなってしまった。
「母親の実家でしばらく過ごしていていたんだけど、5年前に母親が再婚してね。それで名字が姫野になったんだ」
「でも、なんで再会した時にすぐ言わなかったんだよ」
「エクレアちゃん、姫って呼ばれるの嫌がってたし……それに、王子様になりたかったのに、姫野なんて名字になっちゃったからね……言い出せなかったんだよ。皮肉なもんだよね」
「…………」
名は体を表す。名前は言霊の一種。
自分も散々悩んだことだった。
たかが名前ごとき、なんてエクレアにはとても言えなかった。
「僕は王子様になりたかったけど、なることはできなかった。せいぜい、道化になるぐらいしかできなかった。でもせめて、エクレアちゃんの助けになりたかったんだ」
その言葉に、エクレアは首を振った。
「……そんなことない」
驚いて、伊織はエクレアを見た。
彼女は涙目になって、伊織を見つめていた。
「あんたは、一人きりのあたしを一人にしなかった。あたしが一番困っている時に、助けてくれた」
「エクレアちゃん……」
「あんたは、あたしが一番必要な時に帰ってきてくれた。……あたしの王子様だよ」
「…………」
エクレアも、伊織も顔が真っ赤だった。
「ありがとう……伊織」
「……どう、いたしまして」
◇ ◇ ◇
二人がその後、思い出話に花を咲かせていたためか、気づいたらすっかり朝になっていた。
暗い社務所の中ならともかく、外だとお互いの顔がはっきり見えて、お互いに恥ずかしかった。
「……そろそろ、行こうか」
「……ああ」
が、いつまでもそうしているわけにはいかない。
鍵を元の隠し場所に戻し、二人は神社を後にした。
目的地は、当然、家庭裁判所だ。
御守りを手に入れた今なら、邪魔されずに改名申立書を出しに行けるはずだ。
とは言えこの前のこともあったので、道中、また看板が落ちてきたりしないかドキドキしていたが、御守りのご利益のおかげなのか、バスが突然止まったりすることも無く、無事に家庭裁判所にたどり着いた。
エクレアは迷うことなく、まっすぐと申立書を提出しに行き、滞りなく受理して貰うことができた。
書類を出し終わって満足そうな顔をしているエクレアに、伊織は尋ねた。
「エクレアちゃん、なんて名前に改名申請したの?」
「絵見」
「うん、いい名前だと思うよ。普通で」
「バカにしてんのか」
名前を褒めただけなのに、ギロッと睨まれた。
名前に関するコンプレックスはしばらく抜けそうにないようだ。
改名申請の結果が出るまで、およそ2週間かかるらしい。
実際に改名できるかどうかは裁判所の判断になるだろうが、エクレアの場合は読みにくい上に一般的な読み方ではないから、通る可能性は高いそうだ。
「そっかー。じゃあ、申請が通ったら、もうエクレアちゃんじゃなくなっちゃうんだね。ちょっと残念だな」
「…………る」
「え?」
エクレアはうつむいて小声で何か言ったが、よく聞き取れなかった。
「……あんただけは、エクレアって呼ぶの、許してやる」
そう言うと、プイと向こうを向いてしまった。
伊織はしばらく呆気にとられていたが、満面の笑みで、
「わかったよ! エクレアちゃん!」
「でも、大きな声では呼ぶな!」
二人で、ぎゃーぎゃー言いながら、朝の街を歩いていくのだった。
この後、二人は伊織の両親と、エクレアの両親に無断外泊についてこってり絞られ、おまけにその日は寝不足だったこともあり学校の授業をほとんど寝て過ごしてしまったので、先生からもみっちり絞られてしまった。
伊織は病院に連れ戻され、医者からもお説教を食らったが、検査を受けて特に問題無かったこともあり午前中には退院することができた。
そして、その日の放課後。
「やあ。待っていたよ。当然話を聞かせて貰えるんだろうね?」
伊織は、オカルト研の部室に寄っていた。
昨日と同じように、机の上で優雅に足を組んでいた。
夕陽をバックにし、ミステリアスに決めている彼女はかっこいいのだが、昨日の電話でそんなイメージは崩れている。
「岡田さん。昨日も言いたかったんだけど」
「なんだい?」
「パンツが見えそうだから、足を組むのはやめた方がいいよ」
「っ!?」
ルウはバッと真っ赤になってスカートを抑えた。
すでに伊織の中で、この少女は残念な美少女というカテゴライズになっていた。
「まったく君は……君といると、私の仮面がどんどん剥がされていっている気分になるよ」
そういう彼女の顔はまだ少々赤い。
「仮面っていうか、ただの中二病だと思うんだけど」
「やめて。はっきり言うのマジやめて」
ついに反対を向いて顔を隠してしまった。
「私だって、オカルト研にいるんだから、ちょっとこういうキャラで行きたいなって思ってやってるだけなんだから。勘違いしないでよね!」
キャラがぶれている。中二キャラからツンデレキャラになっている。
「別に悪いとは言ってないけどね。そういう岡田さん、おもしろいと思うし」
それを聞いて、ルウはおそるおそるこちらを向き、上目遣いで、
「本当にそう思ってる……?」
とちょっと涙目になって尋ねてきた。
さっきからキャラがぶれすぎだ。
伊織は力強くうなずきながら、にっこりと、
「まぁ、高校になってそれだと相当痛いからそれまでにやめた方がいいと思うけど」
「うええええええん!!!」
散々いじめられたルウは、ついには泣き出してしまった。
◇ ◇ ◇
ルウが泣き止むのを待って、伊織は今回の事を全て報告した。
もちろん、伊織とエクレアの昔のことなどは省いたが。
聞き終わったルウは、少し考えて、
「名前というのは、親から与えられたプレゼントであり、呪いでもあるって聞いたことがある」
「呪い?」
「名前は親が子供にそうなって欲しいと願ってつけた物だろう? 名前には力が宿る。優しい子に育って欲しいと願った子には、優しくなるような力が働く。逆に言えば、親の一方的な思いが呪いのように子供を苦しめてしまうこともある。名前で苦しんでいた彼女の場合はまさにそうだったんじゃないかな」
「名前を付けるのは、もっと考えて、子供のことを考えろってことかな」
「端的に言ってしまうと、そうかもね。いささか説教臭くなってしまったが」
そう言って、肩をすくめた。
「まぁ、私たちにはまだまだ先の話だ。それまでに、ゆっくり考えればいいさ」
「そんなもんかね」
「そんなものさ。君も、もし彼女との子供ができたら、名前は慎重に考えた方がいいよ」
にやにやとからかうような口調で笑って言ってきて、そのドヤ顔に若干イラッとしたので、
「じゃあ僕、その彼女と勉強してくる。もうすぐ期末試験も近いしねー。それじゃあ」
「あ、ちょ、待って! 私と一緒に勉強してくれる約束だっただろう!? 私の携帯が! 携帯がぁぁぁぁ!!」
バタバタと追いかけてくるルウを後目に、伊織は教室で待っているエクレアの元に走っていった。
彼女は、そこで待ってくれているはずだ。
王子様を待つ、お姫様のように。